伝道するときに「キリストはあなたの罪のために十字架につけられ…と福音を語ると、「キリスト教は、人を『罪人』扱いするから好きではない」と言う方がおられます。
それは『罪人』という共通の言葉を使っていてもクリスチャンが意味することと、未信者が理解することに大きな違いがあるからです。
信者の場合、『罪人』義なる神様の御前に人はみな『不義』であり、神を神としない『的外れ』な生き方をしている人を指していますが、未信者の場合、法律違反を犯し、逮捕され、さらに裁判で有罪が確定して初めて『罪人』だと認めることになるようです。(律法の時代のユダヤ人たちが、律法に違反すると『罪人』になるのと似ているかな…)
それと同じように、『神の国』という言葉の意味を確認しないと十人十色の解釈になってしまいます。
『神の国』が持つ意味は、全部で五つあります。
1)永遠の王国…私たちが信じる聖書の神は、永遠のお方です。その神が支配される『普遍的王国』のこと。
2)霊的な王国…人類の祖アダムから始まって、罪(原罪)ある肉体で生きている人々がいる千年王国の終わり、つまり人類の歴史の終わりまで。さらに信者の場合は、その後の栄光のからだで生きる永遠の秩序へと続きます。
3)神権政治の王国…モーセの律法からバビロン捕囚前の南ユダ王国最後の王ゼデキヤまで。
4)奥義としての王国…『ベルゼブル論争』でイスラエルの民がイエスのメシア性を民族として拒否した時から、患難時代の終わりにイスラエルのレムナントがイエスをメシアとして受け入れる時まで。
そのほとんどの期間を占めるのが、私たちが生きている『教会時代』です。
マタイ16:16~19ーシモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
マタイ13:31~32の譬えの『天の御国』が意味するのは、この『4)奥義としての神の国』のことです。
5)メシア的王国/千年王国…患難時代の終わりにイスラエルのレムナントが、詩篇118:25~26の意味で正しく「ホサナ」と民族として祈った時に、その祈りに応えてキリストの地上再臨が起こります。
再臨のキリストが千年王国の第四神殿の御座に着座されると、『メシア的王国』が始まります。そして、千年後のサタンとサタンに組する人々による反乱が起こり、彼らが滅ぼされると、この地球上における人類の歴史は終止符を打つことになります。
詩篇118:25~26ーああ、主よ。どうぞ救ってください。
ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。
主の御名によって来る人に、祝福があるように。
私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。
*どうぞ救ってください…ヘブル語:ホサナ
マタイ23:39ーあなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
*あなたがた…ユダヤ人
ユダヤ人たちが民族として「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」と言うと、ユダヤ人たちは『王の王』として戻って来られるメシアであるイエスを見ることになるのです。
『メシア的王国』は、千年間続くので『千年王国』と言われます。
千年間、サタンは縛られて『アビス/底しれぬ穴』に閉じ込められますが、千年の終わりにそこから解き放たれます。
それは、千年の終わりの時点で百歳に達していない異邦人の羊組の子孫たち(原罪のある肉体で生まれてきた者たち)を試み、王であるキリストにつくのか、サタンにつくのかを明確にし、『永遠の秩序』に入る人々を選ぶためです。
人類に『死』をもたらしたサタンが滅ぼされ、サタンに組する人々が滅ぼされると、後に残されるのはキリストにつく人々のみです。そして、天から『新しい都エルサレム』が降りて来て、永遠の秩序へと移行します。
パウロもこのことに触れて、コリントの教会に書き送っています。
1コリント15:24ーそれから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
*終わり…地上での『千年王国』の終わりのこと。
『千年王国』というキリストを王とする専制君主国を、父なる神にお渡しになります。
1コリント15:25ーキリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
*すべての敵…千年王国の最後に『アビス/底知れぬ所』に閉じ込められていたサタンは解き放たれ、最後の反撃を試みた後、燃える火の池に投げ込まれます。cf 黙示録20:7~10
1コリント15:26ー最後の敵である死も滅ぼされます。
最後の敵はサタンではなく『死』です。
つまり人間は神とキリストを信じる者も信じなかった者も復活させられ、永遠のいのちを与えられるということです。しかし、信じない者は復活のからだで永遠に苦しむことになる『燃える火の池』に送られることになります。cf 黙示録20:14~15
1コリント15:27ー「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
すべての被造物がキリストに従うことになります。この時、キリストは万物の創造主ですから、ご自身はその中に含まれることはありません。
コロサイ1:16ーなぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
1コリント15:28ーしかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
三位一体の第二位格なる『御子』としての働きは『万物をその足の下に従わせた』時までです。
詩篇8:6ーあなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
万物を彼の足の下に置かれました。
*神がすべてにおいてすべてとなられる…神は『死ぬ』ことはありません。罪を犯し『死』がはいってしまった人間を救うには、人間より尊い存在の犠牲を必要とします。神が神としてだけで人間界に来られても『贖いの死』を遂げることは出来ないので、神は『人』として『死ぬ』ために来られたのがキリスト・イエスです。cf ピリピ1:6~11
人類救済のみわざを完成された後は、『御子』としての役割を終えられたことになります。ですからもう『三位一体』という形ではなく、創世記1:1にある『エロヒム』なる神としての存在に戻られ、『永遠の秩序』となるのです。