サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

モーセの律法、キリストの律法、御国の律法の区別の重要性

十戒』を教える教会は多いと思います。

しかし、それは現在の教会時代に生きる私たちクリスチャンが守るべき命令なのでしょうか?

 

『律法』と呼ばれるものは、大きく分けて三つに分類されます。

(1)モーセの律法

(2)キリストの律法

(3)御国(千年王国)の律法

 

この区別をつけるためには、時代区分が必要不可欠になります。

(1)旧約時代モーセの律法が有効の時代)…出エジプト後〜キリストの十字架の死まで。

(2)教会時代(キリストの律法が有効の時代)…ペンテコステ〜携挙(キリストの空中再臨)まで。

(3)御国の時代千年王国の律法が有効の時代)…キリストが千年王国の王の王として着座〜最後の敵である死が滅ぼされるまで。

 

それぞれの『律法』が、どこの聖書箇所に記されているのかを知ることもまた重要です。

(1)モーセの律法…『トーラー』と呼ばれるモーセ五書(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)。

『トーラー』が与えられたのは、神の選びの民であるイスラエル民族であって、私たち異邦人に命じられたものではありません。

従って、旧約時代にイスラエルに住む異邦人以外で守る義務のある異邦人はいません。

 

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十戒』は、613あるモーセの律法の最初の十の戒めであって、聖書的には『十戒』という区別はありません。

また『十戒』の中には、違反した時の罰則規定(石打ちの刑)があるものが含まれます。

 

第三戒:主の御名をみだりに唱える者

レビ記24:16の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。

 

第四戒:主の安息日には、どんな仕事もしてはならない。

出エジプト記31:13~15ー「あなたはイスラエル人に告げて言え。あなたがたは、必ずわたしの安息を守らなければならない。これは、代々にわたり、わたしとあなたがたとの間のしるし、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、あなたがたが知るためのものなのである。
これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。
六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。

 

第五戒:父と母を敬え。

レビ記20:9ーだれでも自分の父あるいは母をのろう者は、必ず殺されなければならない。彼は自分の父あるいは母をのろった。その血の責任は彼にある。

 

第六戒:殺してはならない。

民数記35:21ーあるいは、敵意をもって人を手で打って死なせるなら、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は殺人者である。その血の復讐をする者は、彼と出会ったときに、その殺人者を殺してもよい。

*敵意の無い過失致死罪は、逃れの町に行くことができた。

 

第七戒:姦淫してはならない。

レビ記20:10ー人がもし、他人の妻と姦通するなら、すなわちその隣人の妻と姦通するなら、姦通した男も女も必ず殺されなければならない。

 

十戒を守りなさい」と教える人たちは、これらの罰則規定の律法を無視しています。

しかし、もしこれらの罰則規定を現在の日本で守るなら、日本の法律に触れ、その人は逮捕されることになります。

十戒は有効だが、罰則は無効ということにはなりません。

 

聖書は、モーセの律法は守るなら613全てを守る必要があることを記しています。

ヤコブ2:10~11ー律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。
なぜなら、「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。

 

これらのことからも『モーセの律法』は、教会時代の信者である私たち異邦人が守るように命じられているものではないことは明らかです。

 

ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

 

現在でも『十戒』を守るように教える人たちに是非知って欲しいみことばです。⬇️

ガラテヤ3:10ーというのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

 

トーラーの一部である申命記28章には、モーセの律法を守ると祝福(28:1~14)が、守らないとのろいや裁き(28:15~68)が来ることが記されています。

十戒を守るように」と教えることは、相手に躓きの石を置くことになるので要注意です。

 

 

(2)キリストの律法…教会時代の信者である私たちが守るべき『キリストの命令』であり、主に異邦人信者が守るべき命令は、異邦人への使徒として選ばれたパウロがその手紙の中に記しています。

 

多くの人が、マタイ5~7章の『山上の垂訓』や、マタイ22:37~40の『黄金律』をキリストの命令だと勘違いしています。

この時はまだ十字架前のモーセの律法が有効だった旧約時代であり、これらを語っている相手は全員ユダヤ人たちです。教会時代の異邦人信者に対して語っているのではありません。

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公生涯の終盤や、十字架前の弟子たちと取った最後の過越の食事の席で、教会時代に入ってからのことを預言的に話されたことはありますから、前後の文脈から『いつ適用すべき命令なのか』を理解することが重要です。

 

パウロ書簡の中には、以下の重要事項が含まれます。

*キリストの福音1コリント15:3~5

*ほかの福音ガラテヤ1:8~9

*携挙1テサロニケ4:16~17, 1コリント15:52

*恵みと信仰による義エペソ2:8~10

*牧会書簡1テモテ3章、テトス1章

*御霊の保証エペソ1:14, 4:30

*御霊の賜物ローマ12章、1コリント12章

*結婚について1コリント7章

献金について1コリント16:2, Ⅱコリント8:12, 20, 9:5~7

*礼拝についてローマ12:1, ピリピ3:3

 

キリストの律法は、現在の教会生活に密着したものであることが理解できると思います。

近年リベラル派の一部では、「パウロは偽使徒であるから、パウロ書簡は読まなくても良い」と教えていますが、新約聖書27巻のうち約半分の13巻を否定することになります。このような教えに惑わされないようにしましょう。

上記の聖書箇所は、すべてパウロ書簡からです!

 

Ⅱテモテ3:16ー聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

 

 

(3)御国(千年王国)の律法旧約聖書の預言書の中に、一部千年王国における『御国の律法』について触れている箇所があります。

 

モーセの律法では、イスラエルの13歳以上の成人男性は年に三度、エルサレムの神殿での礼拝が命じられていました。

申命記16:16ーあなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。

 

しかし、ゼカリヤ書の預言ではイスラエルの成人男性だけではなく、異邦人諸国にも仮庵の祭りを守るように命じられています。ここから、この預言はモーセの律法ではなく、またエルサレムに神殿が無い現在の教会時代に対するキリストの律法でもなく、千年王国における『御国の律法』であることがわかります。

ゼカリヤ14:16~19エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。

もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。
これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。

 

千年王国に住む異邦人も仮庵の祭りを祝う理由は、復活のキリストが再び地上に千年間『仮住まいされる』からです。

 

また、エゼキエルもイスラエル人に対する『御国の律法』をいくつか記しています。

*一般的な捧げ物エゼキエル45:13~16

*新年の捧げ物エゼキエル45:18~20

*過越・種なしパンの祭りエゼキエル45:21~24

*仮庵の祭りエゼキエル45:25

安息日の捧げ物エゼキエル46:1~5

モーセの律法でも、キリストの律法でも、「安息日に礼拝せよ」という命令はありません。御国の律法において初めて命じられます。

新月の捧げ物エゼキエル46:6~8

*特別な例祭での捧げ物エゼキエル46:9~12

*日々の捧げ物エゼキエル46:13~15

 

エゼキエル書40章以降は千年王国での預言となっているため、45〜46章の命令は『御国の律法』であることがわかります。

 

モーセの律法を現在の教会時代の私たちが守る必要がないのと同様に、キリストの地上再臨後の御国の律法を先取りして守る必要もありません。

各時代の律法は、その時代に生きている該当する人々が守るべきものです。

 

霊的大人として、三つの引き出しに各時代の律法が整理され、必要な時に、必要とする人々にアウトプットすることができますように。