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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

エペソ人への手紙 4章

1〜3章まででパウロは『福音の内容』を説明してきました。

特に2章では、十字架の縦軸『神と人』の仲介者としてのキリストを、十字架の横軸『ユダヤ人と異邦人』の仲介者としての平和の君イエスを伝え、両者が共に『教会』というキリストのからだを築き上げるという『奥義』が語られています。

 

ここからは後半に入ります。キリストの福音と奥義をふまえ、具体的な適用論をパウロは述べています。

 

エペソ4:1新改訳聖書、口語訳聖書:『さて。』新共同訳聖書:『そこで』…1〜3章の『福音の内容と奥義』を踏まえた上で、適用に入るということ。

 

主の囚人…この時パウロは、キリストの福音のゆえにローマの獄中にいました。

 

召し…救いは、神の『召し・選び』なのか、自分の『決断』なのか…???

神はすべての人がキリストを信じて救われることを望み、招いておられます。

ヨハネ3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

その招きに人間側が応答することが『信じる決心をした』『決断』ということであり、その信仰による決断を神側から見たときに『召し出した』『選んだ』ということなのです。

 

cf エペソ1:4ーすなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

世界の基の置かれる前から…全知全能なる神は、あらかじめ誰がこの福音を受け入れ、救われるかをご存知だということです。

 

ですから、救われた者というのはこの世にありながら神に従って生きるようにと、神様に召された者なのですから、その選びに相応しく、神のみことばに忠実に歩むべきなのです。

 

エペソ4:2ーかつては律法によって隔てられていた『ユダヤ人』と『異邦人』ですが、今はキリストによって隔ての壁は壊され、キリストにあって『新しいひとりの人』とされたのですから、キリストに倣ってお互いに受け入れ合うことが必要です。

 

cf コロサイ3:12~15ーそれゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

 

エペソ4:3ー御霊の一致…cf ピリピ2:2ー私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

 

信者が互いに受け入れ合うということは、キリストがユダヤ人も異邦人も受け入れてくださったという事実にならうことなのです。

 

エペソ4:4ーからだは一つ…普遍的教会。

御霊は一つ…信者の心に内住される御霊。

望みが一つ…天の御国。cf コロサイ1:5ーそれらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

 

エペソ4:5ー主は一つ…イエス・キリスト。cf 使徒4:12ーこの方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。

 

信仰は一つ…キリスト・イエスを信じる信仰によってのみ、天の御国に入ることができるのです。

cf ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

ヨハネ10:9ーわたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

 

バプテスマも一つ…水によるバプテスマを受けることが『信者』になるのではなく、『聖霊によるバプテスマ』を受けた者が「イエスは主です。」と告白する信者となるのです。

 

cf 1コリント12:3bーまた、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です。」と言うことはできません。

 使徒10:47ー「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」

 

エペソ4:6ー父なる神…全被造物の父、の意。

 

エペソ4:7ー賜物の量り…神の恵みはすべての人に等しく与えられますが、御霊の賜物には多様性があります。

cf 1コリント12:18ーしかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。

ローマ12:4~5ー一つのからだにはおおくの器官があって、すべての器官が同じ働きをしないのと同じように、

大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

 

エペソ4:8ー高い所に上られた…キリストの昇天。

多くの捕虜を引き連れ…ハデス(死後の世界)の『アブラハムのふところ』に閉じ込められていた神を信じて亡くなった人々のたましいを、キリストの昇天の時に第三の天、『パラダイス』にまで引き揚げてくださいました。

 

人々に賜物を分け与えられた…昇天されたキリストは、もうひとりの助け主として『聖霊』を私たち生きている信者に与えてくださいました。そしてその聖霊が、神のみこころに沿って、ひとりひとりの信者うちに『賜物』を与えてくださるのです。

 

 

cf 詩篇68:18ーあなたは、いと高き所に上り、

 捕われた者をとりこにし、

 人々から、みつぎを受けられました。

 頑迷な者どもからさえも。

 神であられる主が、そこに住まわれるために。

 

エペソ4:9ー8節の『上られた』を説明する挿入文。

 

地上の低い所に下られた…神の御子イエスは、肉体を取って人と同じ地上生活を歩まれました。

cf ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 

エペソ4:10ーもろもろの天…第一の天ー空の鳥(や飛行機)が飛ぶ高さ。

第二の天ー天体の高さ。

第三の天ー神の御座。cf Ⅱコリント12:2ー私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前にー肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。ー第三の天にまで引き上げられました。

 

エペソ4:11ー使徒…キリストの公生涯、十字架、復活の目撃者。

ユダヤ人の使徒…ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ(ナタナエルと同一人物)、トマス、マタイ、小ヤコブ、タダイ、シモン、マッテヤの12人が『十二使徒』。

異邦人の使徒…パウロ。cf ガラテヤ1:1、2:8。

 

預言者…初代教会時代の預言者:神から直接与えられた啓示を人に語る者。イエスの異父兄弟ヤコブ、ユダなど。

 

cf 1コリント13:8ー愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

 

伝道者…福音を宣べ伝える者。(国内で宣教の働きをする者を『伝道師』、海外で宣教の働きをする者を『宣教師』と呼ぶようです。)

 

牧師または教師…と訳されている言葉は『牧師・教師』と訳すべき一つの賜物です。牧師は聖書のみことばを解き明かし、群れの羊たちを養うという働きが含まれるため、『教師』としての賜物も必要です。

 

cf 1コリント12:28ーそして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者助ける者治める者異言を語る者などです。

 

ローマ12:6~8では、七つの賜物を挙げていますが、すべてを網羅しているわけではありません。

ローマ12:6~8ー私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

奉仕であれば奉仕し、教える者であれば教えなさい。

勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

 

エペソ4:12ー賜物が与えられる目的は、①聖徒たちを整えて、奉仕の働きをさせるため、②キリストのからだを建て上げるため、

 

エペソ4:13ー③信仰の一致と神の御子に関する知識の一致に達するため、④キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

 

エペソ4:14ー霊的に成熟することをを神は願っておられるのです。それは人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略に惑わされることのないためです。

 

エペソ4:15ーキリストの愛をもって、真理を語ることができるように、あらゆる点で成長し、キリストのようになるという信仰の歩み(聖化)をするためです。

 

エペソ4:16ー神から与えられた御霊の賜物を十分に活かして、互いに助け合い、補い合って、キリストのからだなる『教会』を建て上げるためです。

 

エペソ4:17ーむなしい心で歩んでいる…キリストを信じない生き方をする人々の特徴。

福音の内容を説明してきたパウロは、4章からその適用に入りました。聖書を点と点、またはぶつ切りの切り身のような理解、もしくは間違った教理的理解では、正しい適用はできません。

 

キリストを信じた者は、もはやこの世に属する人々とは、価値観、生き方が違います。なぜなら、霊的に新しく生まれ、三位一体の神がその人の内に宿っておられるからです。cf ヨハネ14:17&23、1コリント6:19。

 

Ⅱコリント5:17ーだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 

エペソ4:18ーこの世の人たちの特徴としては、①知性において暗くなり、②無知、③かたくなな心、④神のいのちから遠く離れているのです。

cf Ⅱコリント4:4ーそのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

 

1コリント2:14ー生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるもだからです。

 

この世の神…サタン。

 

エペソ4:19ーこの世の人たちは、道徳的に無感覚になり、不品行を行なっているとパウロは言っています。

 

cf ガラテヤ5:19~21aー肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。

 

ローマ1:26~31ーこういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、

同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

 

エペソ4:20ーパウロは、キリストのことを『無知、かたくなな心、道徳的無感覚、好色、あらゆる不潔な行ないをむさぼる者』だとは伝えていません。

 

エペソ4:21ーキリストに聞き…神のことばである聖書のみことばに聞くこと。

キリストにあって教えられ…聖書のみことばをみことばで確認すること。

キリストこそ『真理』です。cf ヨハネ14:6ーわたしは道であり、真理であり、いのちなのです。

 

エペソ4:22ー古い人…キリストを知る前の『自己中心(原罪)』の性質。

パウロはその『古い人』を脱ぎ捨てるようにと勧めています。

 

cf ローマ6:6ー私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

 

エペソ4:23ー心の霊…私たちの内に住まわれる聖霊

 

エペソ4:24ー新しい人…キリストの性質。パウロは、この『新しい人』を着るようにと勧めています。

 

 cf 1コリント15:45~47ー聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。

第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第ニの人は天から出た者です。

 

*私たちは良い行ないによってではなく、『恵みによって、信仰によって』救われました。ですから救いの完成(栄化)も『恵みにより、信仰によって』与えられるのです。

 

*信仰者でも罪を犯します。しかし、内住の御霊によって、罪が明らかにされ、悔い改めへと導かれるのです。それが『新しい人』の性質です。

 

エペソ4:25ーその性質は、キリストをかしらとする教会に結びつくのです。

 

エペソ4:26ー信仰者であっても感情はありますから、怒ることもあります。しかし『怒り』の感情に支配されると、罪を犯すことになります。パウロは、怒りの感情を翌日まで持ち越さないようにと注意を与えています。

 

エペソ4:27ー怒りに支配されることは、悪魔に機会を自ら与えることになるのです。

 

cf ヤコブ1:20ー人の怒りは、神の義を実現するものではありません。 

 箴言19:11ー人に思慮があれば、怒りをおそくする。

その人の光栄は、そむきを赦すことである。

 

エペソ4:28ーパウロは困っている人に施しができるように、自分の手で働きなさいと勧めています。聖書は、怠惰な生活をすることを戒めています。

 

cf 箴言6:9~10ーなまけ者よ。いつまで寝ているのか。

いつ目をさまして起きるのか。

しばらく眠り、しばらくまどろみ、

しばらく手をこまねいて、また休む。

 

Ⅱテサロニケ3:10~12ー私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。

ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。

こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

 

エペソ4:29ー『自己中心』という古い人を脱ぎ捨て、御霊に満たされたキリストにある『新しい人』を着たクリスチャンは、外側の行ないにも変化が見られるようになります。その変化の一つが、言葉です。

 

①悪い言葉ではなく、②必要な時に、人の徳を養うのに役立つことばを話し、③聞く人に恵みを与えるようになります。

また、心に神のことばである聖書のみことばを蓄えて、必要な時に必要とする人を慰め、励ますようになります。

 

エペソ4:30聖霊は『神の力』ではなく、ご人格を持たれた第三位格の神様です。私たちが罪の性質に負けて、神に対して不従順になると悲しまれるのです。

 

私たちはキリストを信じた時に、聖霊を受け、将来の救いの完成のための『証印』を押されました。

 

エペソ4:31ークリスチャンが捨てるべきもの…無慈悲、憤り、怒り、そしりなどのいっさいの悪意。キリストと調和しないもの。

 

エペソ4:32ー育てるべきもの…お互い親切にすること、心の優しい人となること、互いに赦し合うこと。『赦しの心』は、クリスチャンの特徴です。

cf コロサイ3:13ー互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。