サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

リビングバイブルの訳出に要注意!

ヘブル9:12【リビングバイブル】
しかも、ただ一度、血を携えて奥の至聖所に入り、それを「めぐみの座」にふりかけました。それも、やぎや子牛の血ではなく、自分の血をです。この方は自らそうすることによって、私たちの永遠の救いを保証してくださいました。

 

ヘブル9:12【新改訳聖書

また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

『奥の至聖所』と『まことの聖所』との大きな訳出の違いに気づきましたか?

今回は、リビングバイブルと新改訳聖書のどちらが、聖書全体と整合性が取れているのかを確認したいと思います。

 

モーセの律法により、幕屋には『聖所』と『至聖所』を分けるように命じられました。

 

出エジプト記26:33ーその垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。

『奥の至聖所』には、レビ族のアロンの家系からなる大祭司が年に一度、第七のチスリの月の十日の『贖罪の日』に入る場所でした。

 

レビ記23:27ー「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。

 

レビ記16:11ーアロンは自分の罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふる。


レビ記16:15ーアロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持って入り、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを『贖いのふた』の上と『贖いのふた』の前に振りかける。

 

大祭司は年に一度のこの贖罪の日に、『雄牛の血』を携えて一度、そして『やぎの血』を携えてもう一度、少なくとも二度至聖所に入りました。

 

大祭司がこの務めをする時は『立って』行ないました。更に言えば、それは『毎年繰り返し』行われました。

 

これがモーセの律法により定められた地上の大祭司の務めです。

 

初臨時、モーセのような預言者(申命記18:15, 18)として来られたイエス様はどうでしょうか?

 

過越の祭りで『神の小羊』として屠られたイエス様は、種なしパンの祭りで『罪の無い(パン種の無い)者』として埋葬されました。

これはイザヤの預言の成就です。

イザヤ53:9ー彼の墓は悪者どもとともに設けられ、

彼は富む者とともに葬られた。

彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

 

聖書に従って十字架の死から三日目の『初穂の祭り』の日の早朝、復活の初穂としてよみがえられました。

1コリント15:20ーしかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 

それから40日後に、弟子たちが見ている前で天に上られました。

使徒1:9ーこう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

 

昇天から地上再臨まで、キリストは第三の天で『メルキゼデクの位の大祭司』として働いておられます。

ヘブル5:8~10ーキリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

 

モーセの律法に基づく地上の大祭司は動物の血を携えて幕屋の入口の幕と、聖所と至聖所を仕切っている幕の二つの幕を通って、至聖所に入りました。

 

一方、昇天されたキリストは『もろもろの天=第一の天と第二の天』を通って、第三の天に入られました。

ヘブル4:14ーさて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

 

では、新改訳聖書が記すように第三の天の『まことの聖所』に入られたのか、それともリビングバイブルが記すように『奥の至聖所』に入られたのかを検証してみたいと思います。

 

十二使徒たちの中で唯一、天寿を全うしたヨハネは晩年、御霊に感じて黙示録を記しました。

ヨハネが見たものは、第三の天にある神殿でした。

黙示録11:19ーそれから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。

 

天の神殿の入口は開かれ、『奥の至聖所』にあるはずの『契約の箱』が見えたとあります。

つまり、天の神殿は『聖所』と『至聖所』に区切られているのではなく、一つの『聖所』だけであることがわかります。

これが天にあるオリジナル神殿であり、レプリカであった地上の神殿も、キリストが十字架で屠られた時、聖所と至聖所を区切っていた人の掌ほとの厚みのある幕が上から(神によって)裂かれて、一つの部屋となり、天のまことの神殿と同じようになりました。

マルコ15:38ー神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

 

これがヘブル9:12が語っていることですから、新改訳聖書のように『まことの聖所』と訳出すべきです。

新共同訳聖書では

ヘブライ9:12ー雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

口語訳聖書では

ヘブル9:12ーかつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

 

…といずれも『聖所』と訳出しています。

リビングバイブルの訳出は、福音書や黙示録の情報を無視した私的解釈だと言わざるを得ません。

 

ヘブル9:12で『ただ一度』と強調されているのは、モーセの律法に基づく動物の血との比較のためです。

神の小羊の血は一度限りで、キリストの福音を信じる全ての人の贖いとして完成されたため、繰り返しささげられる必要がありません。

復活後、マグダラのマリヤが弟子たちに知らせに行っている間に、神の小羊としてのご自分の血を携えて天の聖所をきよめられました。

 

ヘブル9:23~24ーですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現れてくださるのです。

 

*これよりさらにすぐれたいけにえ…神の小羊の血

 

*きよめられなければなりません…イザヤ14:12~15, エゼキエル28:12~15のケルブ(後のサタン)の堕落で第三の天が汚されたため、神の小羊の血によるきよめが必要でした。

 

その大祭司としての務めを終えられたので、キリストは父なる神の右に座すことができるのです。

マルコ16:19ー主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

 

日々の通読や聖書の学びにリビングバイブルを使っている方は、新改訳聖書か新共同訳聖書に切り替えることをお勧めします。