サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ガラテヤ書 6章

6:1ー兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

 

*兄弟たちよ…信者に対する呼びかけ

 

*もしだれかがあやまちに陥ったら…『もし〜なら』という仮定法

キリストに対する信仰を持った後も、人間には原罪(自己中心)があるので罪を犯すことがあります。

 

*御霊の人…霊的に成長した人/霊的成人

 

ヨハネ2:1ー私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。

 

罪を犯さなくなるためには、キリストの律法を心(の奥の霊の部分)に蓄えることです。

しかし、救われてまだ日が浅い人、霊的幼子はまだまだ古い罪の性質の方が強く働きます。

そういう人が罪を犯した場合、霊的に成長した人がその人を正す必要があります。

 

*柔和な人…『柔和』という霊的特徴は、御霊の実によるものです。ガラテヤ5:23

新共同訳:そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。

口語訳:柔和な心をもって、その人を正しなさい。

 

ヨハネ3:9ーだれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。

 

*自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい…注意事項

たとえ霊的に成長した人であっても、罪を犯す危険性はあるからです。

 

6:2ー互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。

 

*重荷ギリシャ語:バロス

一人では負いきれない重荷。ここでは、罪悪感から来るもの。

 

*負い合いなさい…罪悪感に苦しんでいる人に寄り添い、助け合いなさい、ということ。

 

*キリストの律法…『モーセ十戒』ではなく、『山上の垂訓』でもなく、主にパウロ書簡に記された教えや使徒たちの教え。

使徒たちが「キリストの命令を後から弟子となった人々に守るように教えなさい」と命じられた人たちです。←これを理解していない人が大勢います💦

 

マタイ28:20ーまた、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 

6:3ーだれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。

 

*何かりっぱでもあるかのように思うなら…高慢の罪

自分は誘惑に負けないという思い上がりを持つなら、自分を欺いていることになります。

 

6:4ーおのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。

 

リビングバイブル:ほんとうに最善を尽くしているかどうか、もう一度、点検しなさい。そうすれば、よくやれたと自分で満足でき、他人と、とやかく比較することもなくなるでしょう。

 

自分を過剰評価して思い上がらないようにするには、他者との比較をするのではなく、『自分の行いをよく調べること』です。

 

携挙直後のキリストの御座の裁きでは、『各自の働きに応じて』であって、他者との比較で御国での報酬が決まるわけではありません。1コリント3:10~15

 

1コリント3:13ー各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

 

6:5ー人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。

 

*重荷ギリシャ語:フォルティオン

兵士が背に負う荷物のこと。他者とは分かち合えない重荷。

 

マタイ11:29~30ーわたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

6:6ーみことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。

 

 

*良いもの…みことばという霊的なものだけでなく、物質的なものも含みます。

みことばを教える人と教えられる人の間で、『良いものを分け合う』関係が求められています。

 

1コリント9:14ー同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。

 

当時のユダヤ人たちは、祭司や神殿を支えるために税金を払っていたので、このような自発的な献金の勧めは新しい教えでした。

 

 

*思い違いをしてはいけません…みことばを教える人と教わる人に対する警告

 

*種を蒔けば、その刈り取りもすることになります…どのような心でみことばを教える(種を蒔く)のか、また自発的献金をするのか、ということ。

 

6:8ー自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

 

自分の栄光のためではなく、神の御心を実行するためであるなら、キリストの御座の裁きで報いを得ることになります。

 

ヤコブ1:12ー試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

 

6:9ー善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

 

新改訳2,017版失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。

 

*飽いてはいけません/失望せずに…人間はせっかちなので、自分のタイミングで結果がすぐに出ないと、みことばの種蒔きをすることに疲れてしまいます。しかし、パウロは、あきらめたりせずに続けるようにと励ましています。

 

*時が来て刈り取る…『時』とは、携挙直後のキリストの御座の裁きのこと。

 

6:10ーですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。

 

善を行う優先順位は、①信仰の家族、②自分の家族、③全ての人たちです。

 

6:11ーご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、自分のこの手であなたがたに書いています。

 

口述筆記が一般的だった中、パウロは手紙の最後の部分だけは自筆で書いていました。

 

1コリント16:21パウロが、自分の手であいさつを書きます。

 

コロサイ4:18パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。

 

Ⅱ テサロニケ3:17パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です。

 

6:12ーあなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

 

*割礼を強制する人たち…偽教師である律法主義者たち

法主義者たちは、外見をよく見せたいだけで、神の評価より、人からの評価を気にしていました。

彼らは、キリストの十字架がユダヤ人たちにとってはつまずきであることを知っていました。

 

1コリント1:23~24ーしかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、

しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

 

アブラハム契約の印であり、モーセの律法でも命じられている割礼を受けることが救いの条件であるとするなら、ユダヤ教徒たちから迫害されずに済みます。

 

6:13ーなぜなら、割礼を受けた人たちは、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉を誇りたいためなのです。

 

*自分自身が律法を守っていません…律法はキリストに導く養育係であるにもかかわらず、律法主義者たちはガラテヤの異邦人信者たちに割礼を強制し、その人数を誇りたいと思っていました。しかも、彼らは人々の信仰心、霊的状態には興味がありませんでした。

 

ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 

6:14ーしかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

 

*しかし私には…律法主義者たちとパウロとの対比

・律法主義者たち…モーセの律法を誇り、十字架を恥としていました。

・異邦人への使徒パウロ…十字架だけを誇りとしていました。

 

*世界は私に対して十字架につけられ…信仰によってキリストに結びついた結果、この世的なことから切り離されました。

 

*私も世界に対して十字架につけられパウロ自身もこの世のことに魅力を感じなくなりました。

 

6:15ー割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。

 

*新しい創造…割礼の有無が大事なのではなく、恵みと信仰によってキリストと一体化された新しい人となることが大事だということ。

 

Ⅱ コリント5:17ーだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 

6:16ーこの基準に従って進む人々の上に、そして神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。

 

ここには二種類の人々が記されています。

*この基準に従って進む人々…異邦人信者たち

*神のイスラエル…メシアニックジュー(ユダヤ人信者)たち

 

6:17ーこれからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。

 

*私を煩わせないようにしてくださいパウロは律法主義者たちから攻撃を受けていました。それらの攻撃、妨害をこれで終わりにしてほしいということ。

 

*イエスの焼き印…『焼き印』とは、動物や奴隷に所有権を示すためのしるし。

パウロキリスト者として受けた焼き印は、

 

Ⅱ コリント11:24~25ユダヤ人から三十九度のむちを受けたことが五度、

むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

 

パウロは信仰を持つまで、パリサイ人として律法の奴隷でした。

 

ローマ6:17~18ー神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、

罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

 

つまり、パウロはイエスにあって自由人としての『義の奴隷』になったということ。

 

6:18ーどうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、兄弟たちよ、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。

 

*兄弟たちよ…ガラテヤの信徒たちへの呼びかけ

 

*私たちの主イエス・キリストの恵み…新しい契約は、このキリストの恵みによってユダヤ人だけでなく、異邦人にも救いが及ぶようになりました。