『イスラエル=ユダヤ人』と『普遍的教会=メシアニックジューと異邦人信者の集まり』の区別が大事だということは、このブログでも再三述べてきました。
「またか…💦」と思われる方は、この先は読まずにブログを閉じてくださいね。笑
今回はこの区別をつけることにより、どのように聖書理解に役立つかを説明できたらいいな〜と思っています。
一般に創世記から申命記までは『モーセ五書』または『律法の書』として知られています。その中には、613もの戒めが記されており、俗に言う『十戒』はその最初の十の戒めのことであり、聖書は『十戒』だけを取り出して区分しているわけではありません。
エジプトでの奴隷生活から解放され、自由人とされたイスラエルの民にとって、エジプト人の主人からイスラエルを救い出した生ける神に主人が変わったことを意味します。
その新しい主人である生ける神さまからの最初の命令が『十戒』であり、自由人としての生き方の指南となっているのです。
それが出エジプト記20:2~17に記された『十戒』であり、出エジプトをした世代に与えられたものです。しかし、彼らはカデシュ・バルネアにおいて、主人である神のことばよりも約束の地に偵察に行き、ネガティブな報告をした十人の斥候の言葉を信じてしまいました。その結果、約束の地に入るまでに40年という歳月が加算され、不信仰に陥った人々はみな荒野で死に絶えました。
しかし、彼らは『救い』を失ったわけではありません。不信仰によって約束の地に入る恵みを失っただけです。なぜなら、彼らは再びエジプトの奴隷として戻されたわけではありませんから…。彼らは奴隷として死んだのではなく、神である主にあって自由人として死んだのです。
出エジプトをした時に二十歳未満だった世代と40年間の荒野での放浪生活の中で生まれた世代が、約束の地を前に「約束の地に入ったら、神の選びの民としてあなたがたはこのように生きなさい。」と指針を与えたのが、申命記5:6~21に記されている『十戒』です。
出エジプト記20章の十戒との違いは15節で、ここから申命記の十戒は第二世代に向けて語られていることがわかります。
申命記5:15ーあなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。
*あなた…イスラエルの民全体、を指す。
*安息日を守るよう、あなたに命じられた…週七日休みなく働かされる奴隷ではなく、神によって救い出され、自由人となったことを意味する命令。
現在の異邦人信者に与えられた命令ではありません。キリストの律法には「安息日を守れ」という命令はありません。
申命記とは『再び命じる』『法の繰り返し』を意味するだけでなく、全体の形式として古代の『主従間の契約』『結婚の契約』となっています。
つまり、神とイスラエル民族との結婚の契約を含むものとなっているということです。
そのスタートが
申命記5:1~3ーさて、モーセはイスラエル人をみな呼び寄せて彼らに言った。聞きなさい。イスラエルよ。きょう、私があなたがたの耳に語るおきてと定めとを。これを学び、守り行いなさい。
私たちの神、主は、ホレブで私たちと契約を結ばれた。
主が、この契約を結ばれたのは、私たちの先祖たちとではなく、きょう、ここに生きている私たちひとりひとりと、結ばれたのである。
申命記7:6ーあなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝とされた。
ここでは、神が『イスラエルの民を選んだ』ことが記されています。その理由は…
①イスラエルの民の数が多かったからではなく、(むしろ少なかった)
②主がイスラエルを愛されたから
③イスラエルの先祖たちに誓われた誓いを守られたからです。
申命記7:7~8ー主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。
神とイスラエル民族との関係は、エゼキエル書16章やイザヤ書、エレミヤ書、ホセア書にも記されています。
①エゼキエル16:1~7…幼少のイスラエルに対する神の愛
箴言で神が「わが子よ」と呼びかけているのは、イスラエルに対しての御父の教えだからです。
雅歌は神とイスラエルとの愛の手紙形式になっています。
②エゼキエル 16:8~14…イスラエルは御父の妻となる
特に8節は、神とイスラエルとの結婚初夜のことばとなっています。
エゼキエル 16:8ーわたしがあなたのそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたの年ごろは恋をする時期になっていた。わたしは衣のすそをあなたの上に広げ、あなたの裸をおおい、わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ。--神である主の御告げ--そして、あなたはわたしのものとなった。
この神とイスラエルとの関係を理解すると、イスラエルの民が他国の偶像の神々を慕い求めるということは、夫があるにもかかわらず、浮気している妻という『霊的姦淫』の罪を犯すことになるということがわかります。
③エゼキエル 16:15~34…妻イスラエルは、娼婦のように振る舞った
エレミヤもイスラエルの罪について言及しています。
エレミヤ3:20ーところが、なんと、妻が夫を裏切るように、あなたがたはわたしを裏切った。イスラエルの家よ。--主の御告げ--
エレミヤ31:32…妻イスラエルの姦淫(浮気)が理由で、神との結婚の契約は破棄される
ホセア1:2ー主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」
預言者ホセアが姦淫をするとわかっている女をめとるように命じられたのは、神とイスラエルの関係の『型』となっています。ホセア2:2~5
④イザヤ50:1…妻イスラエルの姦淫の罪により神との結婚関係は破綻し、神はイスラエルと離別された
イスラエルの民が信仰にとどまり、モーセ契約(神との結婚の契約)を守るなら、神の妻として多くの祝福を受けることとなりました。しかし、イザヤの時代、申命記28章にある祝福は取り去られ、神との別居生活が約100年間続きました。
それでも、イスラエルは夫である神のもとに戻って来ようとはしませんでした。
⑤エレミヤ3:6~10…イスラエルに対する離婚状
モーセの律法では、夫が妻と離婚する場合、離縁状を渡しました。
申命記24:1ー人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせ、
この神から妻イスラエルに対する『離婚状』が、ホセア書とエレミヤ書に記されています。
ホセア書…北イスラエル王国に対する離婚状
⑥エゼキエル 16:35~43…姦淫の罪を犯し続ける妻イスラエルを懲らしめるための方法が別居(アッシリヤ捕囚、バビロン捕囚、世界離散、患難時代)
申命記6:15ーあなたのうちにおられるあなたの神、主は、ねたむ神であるから、あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、主があなたを地の面から根絶やしにされないようにしなさい。
妻であるイスラエル民族が外国の神々を拝むことは、霊的姦淫となるため、御父は『ねたむ神』として警告していました。
この御父とイスラエルの結婚の契約が理解できないと、『ねたむ神』という意味を正しく理解することが難しくなると思います。
この懲らしめは、イスラエルが神との結婚の契約を破ったためでした。
⑦エレミヤ31:31~34, エゼキエル 16:60~63, イザヤ54:1~8, 62:4~5, ホセア2:14~23,5:15~6:3…神とイスラエルとの再婚
これは、懲らしめの期間の終わりに起こるイスラエルの民族的回心の中で再婚し、メシア的王国はその『結婚披露宴』となります。
聖書的結婚制度は『一夫一婦制』ですから、モーセ契約におけるこの神とイスラエルとの結婚に、異邦人が割り込む隙はありません。
私たち異邦人信者は、神の恵みと神の御子キリスト・イエスを信じる信仰により、教会時代のメシアニックジューたちと共に『普遍的教会』として新しいひとりの人となり、キリストの花嫁となるのです。
ですから、千年王国は、御父とイスラエルとの再婚、キリストと花嫁なる普遍的教会との結婚というふたつの意味での『結婚披露宴』となります。
教会時代の信者には、御霊(御父も御子も含む)の内住がありますから、花嫁となると決まっている婚約者が偶像や他のものをメシアより重要視するならば、やはり御霊なる神はねたまれます。
ヤコブ4:5(別訳)ー神が私たちのうちに住まわせた御霊は、ねたむほどに(私たちを)慕い求めておられる。
『御父の妻であるイスラエル』と『キリストの花嫁である(普遍的)教会』の区別がいかに大切であるか…ご理解いただけたでしょうか?
神は決してイスラエルを見捨てたり、神の方から契約を破棄されたのではなく、イスラエルが神との結婚の契約を破ったのです。確かに、現在のイスラエルは神からの懲らしめの期間にいますが、神はイスラエルが民族的回心をした時に、再び妻として迎えられます。教会がそのポジションを奪い取ることはできません。