サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

文字通りのイスラエルと教会の区別

聖書のみことばはどこを読んでも励ましや慰め、導きを与えられると言っても過言ではないでしょう。しかし、文脈を無視した適用は、往往にして自己中心的解釈となり、神が言わんとしていることを見落としてしまいます。特に、旧約聖書のみことばは私たち教会時代のクリスチャンに直接語られたのではなく、主にその時々の人々(神の選びの民イスラエル)に向けて語られたということを、常に覚えて読み解く必要があります。

 

紛らわしいのは、旧約聖書で神の選びの民イスラエルに言われたことと同じようなことを、主が教会時代の信者に約束されている場合です。

よく知られているところでは…

 

イザヤ41:10ー恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強め、あなたを助け、

わたしの義の右の手で、あなたを守る。

 

イザヤ43:4ーわたしの目には、あなたは高価で尊い

わたしはあなたを愛している。

だからわたしは人をあなたの代わりにし、

国々をあなたのいのちの代わりにするのだ。

 

これらのみことばで励ましや慰めを受けた経験のある人は多いことでしょう。

求道中や霊的幼子の時は、みことばに全く触れないよりはいいと思います。が、霊的に成長したら、文脈から神は誰に対して言われたことばなのかをきちんと読み取る必要があるでしょう。いつまでも成長しない子どもはいないように、キリストの福音を信じて救われたのなら、霊的に成長をしていく必要があります。

 

エペソ4:13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。


イザヤ書旧約聖書の預言書ですから、イスラエル中心に読み解く必要があります。そのイスラエルとの関係において、異邦人の祝福や裁きについて語られているのであって、『あなた(がた)』が常に私たち異邦人信者に向かって言われているのではありません。


イザヤ41:9で神は『しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ』と、字義通りの神の選びの民イスラエル民族に対し語られたことばだということがわかります。

 

イザヤ43:1においても『だが、今、ヤコブよ。あなたを創り出した方、はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。』と、同じく字義通りのイスラエルの民に対して語られていることがわかります。

 

教会を『霊的イスラエル』と考える置換神学を土台にした教えを受けてきた人にとっては驚きかもしれませんが、聖書には『霊的イスラエル』という言葉はありません。

旧約聖書では『イスラエルと異邦人』としての区別があり、新約聖書では『ユダヤ人と異邦人のほかに、ユダヤ人信者と異邦人信者とからなる神の教会』という三つのグループに分けられています。

 

1コリント10:32ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。

 

イスラエルと異邦人』という区別は、千年王国でも続きます。

 

ゼパニヤ3:20ーその時、わたしはあなたがたを連れ帰り、

その時、わたしはあなたがたを集める。

わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの捕われ人を帰すとき、

地のすべての民の間で、

あなたがたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と

は仰せられる。

 

*あなたがた…ここは旧約聖書の預言書ですから、当然神の選びの民である『イスラエル民族』に対する預言です。

*地のすべての民…異邦人

 

神は患難時代に異邦人諸国で捕われていたイスラエルの民(ユダヤ人のレムナント)を約束の地に連れ帰り、異邦人たちの間で彼らに名誉と栄誉を与えるという約束の預言です。

ミカ書もまた、イスラエルのレムナントが約束の地に帰還するときの様子を次のように預言しています。

 

ミカ7:15~17ー「あなたがエジプトの国から出た日のように、

わたしは奇しいわざを彼に見せよう。」

異邦の民も見て、

自分たちのすべての力を恥じ、

手を口に当て、

彼らの耳は聞こえなくなりましょう。

彼らは、蛇のように、

地をはうもののように、ちりをなめ、

震えながら彼らのとりでから、

私たちの神、のみもとに出て来て、

わなないて、あなたを恐れましょう。

あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。

あなたは、咎を赦し、

ご自分のものである残りの者のために、

そむきの罪を見過ごされ、

怒りをいつまでも持ち続けず、

いつくしみを喜ばれるからです。

 

*エジプトから出た日のように…患難時代の終わりに民族的回心をしたイスラエルのレムナントの帰還には、四百年間のエジプトでの生活を通して、70人だったヤコブの一族が200万人を超えるほどのイスラエル民族になるまでに増やされ、エジプトの奴隷生活から救い出されたときのような数々の奇跡が伴うということ。

 

*異邦の民も見て…その帰還を患難時代を生き延びた異邦人たちが目撃するということ。

 

*ご自分の者である残りの者イスラエルのレムナント。出エジプトをする時に、神はイスラエル民族をご自分の初子(長子)と言われています。

出エジプト記4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。

主はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 

神がイスラエルの民を選んだ理由は、80もの偶像の神々を持つエジプトの地にあって、イスラエルを贖い出す神がまことの神であることを示し、まことの神を礼拝する民を作ることにありました。出エジプト記4:23a, 6:6~7, 7:16

 

出エジプト時の様々な災いを通して、異邦人であるエジプトがイスラエルの神こそ主であることを知るため』でした。

 

出エジプト記7:5ーわたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」

 

出エジプト記8:23ーわたしは、わたしの民とあなたの民との間を区別して、救いを置く。あす、このしるしが起こる。』」 


出エジプト記9:4ーしかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別する。それでイスラエル人の家畜は一頭も死なない。』」

 

出エジプト記9:14ー今度は、わたしは、あなたとあなたの家臣とあなたの民とに、わたしのすべての災害を送る。わたしのような者は地のどこにもいないことを、あなたに知らせるためである。

 

ですから、聖書を読むとき、みことばを伝えるときには、『神の民イスラエル』と『ユダヤ人信者と異邦人とからなる教会』とを区別する必要があるのです。

一つのみことばだけを切り取って用いる場合は、誤解を防ぐためにも、文脈から誰が、誰に言われたことばなのかを説明することも必要でしょう。

 

ですから、イザヤ41:10で「恐れるな。わたしがあなたとともにいる。」「あなたを助け」「あなたを守る」イスラエルに約束されたお方が、教会時代の信者である私たちに対し同じ約束をされている箇所を確認する必要があります。

 

マタイ28:19~20ーそれゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 

また、キリストの昇天後の五旬節の時には、教会時代の信者には『助け主』として御霊が与えられました。

 

ヨハネ14:16ーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。

 

日常生活における試練の時には、脱出の道を備えてくださいます。

 

1コリント10:23ーあなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 

それだけでなく、教会時代のまことの信者は七年間の患難時代から守られると約束されています。

 

ヨハネの黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

 

イザヤ43:4ーわたしの目には、あなたは高価で尊い

わたしはあなたを愛している。

だからわたしは人をあなたの代わりにし、

国々をあなたのいのちの代わりにするのだ。

 

 

これは『シナイ契約=モーセ契約』を土台としたものです。 そして、その内容であるモーセの律法は、キリストに導く養育係でした。

 

ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 

*わたしは人をあなたの代わりにし…これこそが『人の子』として来てくださったキリスト・イエスです。

 

ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

 

私たち教会時代の異邦人信者に対するみことばと、文字通りのイスラエルに対するみことばとを『区別』して伝えることができるほどに、霊的に成長した信者となり、キリストの花嫁として備えることができますように。


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