明日のことすらはたして予定通りいくのかどうか、分からないのが人生です。自己中心に人生の計画を立てるのか、神に在って立てるのか…?
愚か者ではなく、賢い者としていただけますように。
ヤコブ4:13ー聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。
ここには、“仮定”が四つ含まれています。
1)きょうか、あすー時間に関する仮定。
2)これこれの町に行きー場所に関する仮定。
3)そこに一年いてー永久に関する仮定。
4)商売をしてもうけようー成功に関する仮定。
ヤコブ4:14ーあなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
私たちは日々、今日も無事に過ごし、いつもと同じように帰宅し、明日を迎えることが当然のことのように過ごしています。そして一週間後、一ヶ月後、一年後の予定を立てますが、自分の命がいつ満期になるか分からないのです。
詩篇の作者はこう言っています。
詩篇144:3~4ー主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
*人の子ー人間のこと。
ルカ12:16~21には、神にではなく、金銭に頼ることで満足している「ある金持ち」の譬え話が出ています。彼の人生哲学が表れているのが、19節。
ルカ12:19ーたましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。
ルカ12:20ー『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』と。
だから主は、人々にこう教えられました。
ルカ12:21ー自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこの通りです。
私たちがこの世にいられるのは、神が許された期間だけです。
パウロはこう言っています。
ピリピ1:21ー私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
これは、クリスチャン生活の基本的考え方となります。何事も「主に在って」なすことが大切ですね。
もしも、神ではなく自分自身が全面に出る生活を送っているならば、
ヤコブ4:16ーところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。
…ということになります。
ヤコブ4:17ーなすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。
ローマ14:23ー信仰から出ていないことは、みな罪です。
“信仰から出ていないことは、みな罪です。” とは、物事を決める時に自己中心を基準にすることを意味します。
WWJD をご存知ですか?
What Would Jesus Do? …主イエスがもし、この場におられたらどうするだろう?という意味です。
御子イエスを巻き込んで物事を決めることが大切です。
そしてその判断基準は、聖書のみことばを読み、意味を理解することによって養われていきます。
このブログを読まれたお一人お一人に、聖書のみことばを深く理解するための御霊の助けがありますように。
栄光在主