人類のスタートは『アダムとエバ』でした。この二人は、神によって造られ、アダムは『人類代表』として神とエデン契約を結びましたが 、罪を犯して『霊的死』をもたらしました。神は、霊的に死んだ人間が罪あるままで永遠に生きないようにと、『いのちの木へ至る道を守るために』エデンの園から二人を出されました。
その時に神は、『人類代表』として肉体的死を、また『男性代表』として労働に苦労をアダムに宣言され、『女性代表』としてエバに産みの苦しみや夫に従うことをなどを宣言されました。これが『アダム契約』の内容です。
創世記4章では、このエデンの園を出された後のアダムとエバが、人間の夫婦関係によって生まれた最初の兄弟『カインとアベル』について書かれています。
カインは、小説になったりもしてよく知られていますが、アベルはそれほどでもないところが、ちょっと可哀想かな…とも思います。でも、新約聖書はその『アベル』について記しているのです。cf ルカ11:50, ヘブル11:5
創世記4:1ー人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。
*妻を知った…性的営みのこと。
*「主によってひとりの男子を得た。」…なぜここに『主によって』とあるのかは、原福音(創世記3:15)の理解と関係があります。
創世記3:14ーわたしは、おまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは彼のかかとにかみつく。
エバは、このみことばの意味を理解し、サタンに勝利する『子孫』が与えられたと思い、喜んだのです。確かに子どもの誕生は、親にとって喜びであり、希望となります。
*カイン…形作る、の意。 神によって『形造られた』人間が、最初の子に『形作る』という意味の名前をつけるのは、興味深いですね。
創世記4:2ー彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
*アベル…ヘブル語:ハベル。虚しさ、儚さ、息、の意。
ヨブ記7:16ー私はいのちをいといます。
私はいつまでも生きたくありません。
私にかまわないでください。
私の日々はむなしいものです。
このような意味を持つ名前を自分の子どもに付ける親はいるのかしら…?と思ってしまいますが、この頃までにアダムとエバは、子育てを通して『親(神)』の視点から、人の罪深さを少しづつ実感していたのでしょう。アベルが誕生した時の心境が『ハベル』だったのかもしれません。
*羊を飼う者…アベルの職業ですが、この頃はまだ肉食は許可されていませんから、羊の乳、衣服、またいけにえの動物として飼っていました。それはまた、両親であるアダムとエバがエデンの園を追われた時に、神様が二人に『皮の衣』を着せてくださったことと深い関係があるのでしょう。
*土を耕す者…長男カインの職業。父であるアダるるムの仕事も『土を耕す』ことでしたから、長男として後を継いだことになるのでしょう。
創世記4:3ーある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
*ある時期になって…ヘブル語:ミッケーツ ヤーミーム
『 ある期間(時期)の終わりに』『日々が経って』の意。
リビングバイブル:収穫の時期になると、カインは作物の中から神様に供え物をささげました。
ある人々は「この時点で、定期的な捧げ物の時間が決まっており、この時まではカインはアベルから羊かやぎを買って捧げていた。ここはカインが血が伴わない捧げ物をした最初のケースである」と主張します。
しかし、聖書はそのようなことは何も記していません。
聖書に書かれていないことを『定期的な捧げ物の時間が決まっていた』と断言することはできないと思います。
ここはカインとアベルが成長し、職業を持つようになったという2節の文脈の中で理解すべきだと思います。
では『ある時期になって』とは、どういうことでしょうか?
アベルの職業である『羊を飼う者』に注目すると、羊は季節繁殖動物であり、秋頃に交配を行い、150日ほどの妊娠期間を経て、2〜3月頃にいっせいに出産します。
また、カインの職業である農業は、主に穀物(大麦や小麦)の栽培です。
大麦の収穫は春であり、小麦がそれに続きますから、『ある時期』とは羊の出産、および穀物の刈入れの時期と考えるほうがしっくりきます。
さらに、後のモーセの律法による『過越の祭り』も『初穂の祭り』も、季節は3月中旬〜4月中旬の春であることを考えると納得のいくものとなります。
つまり『ある時期になって』とは、職を得てから最初の初子が与えられたり、最初の収穫を得た時のことであり、アベルとカインは自らの意思で神の御前にささげ物を携えてきたということではないでしょうか?
もしも、彼らの主張どおり「それまでは、カインはアベルから羊かやぎを買ってささげていた」のであれば、信仰があったことになり、穀物のささげ物をした時点で信仰を失ったことになってしまいます。それは、聖書全体の教えと一致しません。
私たちは聖書に書かれていないことまで『読み込み解釈する教え』には気をつける必要があります。
真理は、聖書全体の教えと矛盾しません!!
後に、アブラハムたちも動物のいけにえを捧げていることを加味すれば、失楽園の時に神様が二人に着せてくださった『皮の衣』から、罪には血の犠牲が伴うことを教えられたと考えられます。
神が罪を犯したアダムとエバに着せてくださった『皮の衣』は、ヘブル語では『袖付きの長服』という意味です。それは、長子に与えられるものでもありました。
ルカの福音書3章のマリヤの系図では、『アダムは神の子』と記されています。
アダムとエバは、いちじくの葉を綴り合わせた腰の覆いという『一時的な間に合わせ』『不完全な覆い』を身にまといましたが、神がふたりにお与えになったのは、袖付きの長服という『完全な覆い』ー完全に罪を覆うものーであり、皮の提供者はいのちを落としました。
ここに、後にモーセの律法で規定される罪のための血のいけにえの型があると言えるでしょう。
律法による動物のいけにえは『罪を覆う』ものとして、繰り返しささげられましたが、後に神の小羊として来られたキリストの十字架の贖いは、一度限りで、信じるすべての人々に有効です。
アダムは『神の子』ールカ3:38ーとして、神のみことば(命令)を妻子に伝える責任がありました。だから『神の子ども』ーヨハネ1:12ーとなったクリスチャンも、同じように神のみことばを宣べ伝えるのです。
*ささげ物…ヘブル語:ミンハ。血が伴わない一般的なささげ物、の意。
『初穂』とか『最上の物』とかいう説明はありません。『捧げる』という外面的な行為のみだということがわかります。
創世記4:4ーアベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
*羊の初子…一方のアベルは、『初子』の中から最上のものを、自分で選んで持って来ました。この時までに、アベルには両親から聞いている神に対する信仰が確立していたことがわかります。
*持って来た…神にささげ物を捧げる『場所』があったということ。可能性として一番考えられるのは、エデンの園の『入口』です。
創世記3:24ーこうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
『輪を描いて回る炎の剣』は、シャカイナグローリーのこと。
*聖書では、特定の言葉が別な象徴的な言葉を意味します。たとえば…
・石…メシア。
・山…王、王国、権威。
・雲、炎…神の栄光。シャカイナグローリー。
・星…御使い。堕天使(文脈による)。
・洪水…敵の軍事的侵略。
創世記4:5ーが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
*目を留められなかった…よく『二人のささげ物のする態度の違い』が説明として使われますが、本当の理由は『血の犠牲』か否かです。
カインもアベルも両親からエデンの園をなぜ追われたのか、その時、神が何をしてくださったのか、話を聞いていたことでしょう。
それを信仰によって受け止めたのが、弟のアベルであり、神が示された礼拝の方法に従って血のささげものをささげました。
ヘブル11:4ー信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいえけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
どころが、兄のカインは信仰によって受け止めることをせず、『自分が良いと思う礼拝の方法』で、神の御前にささげものをささげました。それが受け入れられなかったため、カインはひどく怒ったのです。
*ひどく怒り…『怒る』という感情も神が与えてくださったものです。しかし、怒りの感情に支配されてはいけないのです。それは『罪を犯さないため』です。
エペソ4:26ー怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
*顔を伏せた…神様の御前で『顔を伏せる』というのは、アダムと同じく『神の御前から隠れる』ことを意味します。
そんなカインに、神の方から話しかけられました。罪人に近づいて来てくださるのは、常に神様の方からです。cf 創世記3:9
創世記4:6ーそこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
この二つの質問は、カインの答えを期待しない質問です。
創世記4:7ーあなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
*正しく行なったのであれば…それまでのように『血』が伴うささげ物を捧げたのであれば、の意。
*受け入れられる…顔を上げられるはずではないか、の意。
*罪…聖書の中で初めて出てくる箇所。
*恋い慕っている…ヘブル語:タシュカー。支配する、の意。
カインは、怒りを治め、さらに罪を犯さないようにすべきでした。
創世記4:8ーしかし、カインは弟アベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
*野…人気のない所。罪を犯すとき、人は他者の目が届かないときと場所を選ぶ。
*殺した…カインは、人類史上初の『殺人者』となってしまいました。
アベルの死は、人類史上初の『義人』の死となりました。
ヘブル11:4ー信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、いまもなお語っています。
創世記4:9ー主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
*「あなたの弟アベルは、どこのいるのか」…三つめの神の質問は、カインに『罪の告白』を促すためのものでした。
*知りません…人類史上初の『嘘』。アダムとエバは「ごめんなさい。」はしませんでしたが、嘘はついていませんでした。
*弟の番人なのでしょうか…カインは開き直っています。
創世記4:10ーそこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
*「あなたは、いったいなんということをしたのか。」…罪を犯した母エバに言ったのとの同じことば。cf 創世記3:13
*弟の血…聖書の中で初めて『血』という言葉が出てくる箇所。アベルが流した『血』が神様に訴えています。
創世記4:11ー今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
*土地にのろわれている…父アダムのときは『土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。』ー創世記3:17ーとあります。しかし今回は、カインが『その土地にのろわれて』います。
*そのその土地は口を開いて…民数記16:33~34ー彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。
このとき、彼らの回りにいたイスラエル人はみな、彼らの叫び声を聞いて逃げた。「地が私たちをも、のみこんでしまうかもしれない。」と思ったからである。
申命記11:6ーまた、ルベンの子エリアブの子であるダタンとアビラムに対してなさったことである。イスラエルのすべての人々のただ中で、地はその口をあけ、彼らとその家族、その天幕、また彼らにつくすべての生き物をのみこんだ。
詩篇106:17ー地は開き、ダタンをのみこみ、
アビラムの仲間を包んでしまった。
創世記4:12ーそれで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
*土地は〜力を生じない…アダムの時と同じく、土地はカインのために生産力を発揮しなくなってしまいました。
*さすらい人…土地を耕す食についたカインであったが、失業して浮浪者のようになるという宣言。
殺人者となったカインですが、この時点ではまだ『死刑制度』はありませんでした。
創世記4:13ーカインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
罪を犯したアダムとエバに神が裁きの宣言をした時、彼らは何も言い返しませんでした。黙って聞き従いました。しかし、カインはここで神に反論しています。
*咎…カインは自分が犯した罪の認識がありますが、自分では「にないきれない」と訴えています。
創世記4:14ーああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
*さすらい人…遊牧民となること。
*私に出会う人…全員アダムとエバの子孫。
創世記5:4ーアダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。
*私を殺すでしょう…神様の裁きは、①土地に呪われ、②さすらい人となる(農業から遊牧民へ転職!?)というもでした。しかし、カインは『殺人を犯した自分は誰かに殺される』と勝手に思い込み、恐怖心に捕らわれています。神の恵みに触れた後でさえ、カインは『神のことば』を信じることがなかったことがわかります。
創世記4:15ー主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
*七倍の復習…聖書で『七』は完全数です。神のことばを信じようとしないカインに対し、神様は『完全な守り』を約束されました。
*一つのしるし…どのような『しるし』かは書かれていないのでわかりませんが、不信仰なカインに対し、目に見える『しるし』をくださいました。これも『神様の恵み』です。
創世記4:16ーそれで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
*主の前から去って…神様は『偏在』の方ですから、人は完全に主の御前から去ることはできません。おそらく、シャカイナグローリーのある『エデンの園の入り口』付近でしょう。
*ノデの地…さすらいの地、の意。
*住みついた…神様は「さまよい人(遊牧民)となる」と言われたのに、ここでもカインは神のことばを無視して『住みつい』ています。不信者は、どこまでも神の命令に背くのです。
創世記4:17ーカインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。
*妻…妻もアダムとエバの子。cf 創世記5:4
*エノク…ささげられた、の意。子どもにこのような意味の名前を付けるほど、カインの心には『こだわり』があったのかもしれませんね。
*町を建てていた…『さすらい人』でいることをすっかりやめています。結婚し、親になってもなお、神の命令には背き続けるカインの姿がここにはあります。
人類の祖、アダムとエバの二人の子は、神を信じる者(アベル)と神を信じない者(カイン)とに分かれてしまいました。
この箇所を学び、私は次のみことばを思い出しました。
Ⅱコリント6:15ーキリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。
信者と不信者とに何のかかわりがあるでしょう。
捧げ物を捧げる神の御前から去っていくのは、自分は神とは関係ないとする不信者です。
しかし、神はその不信者に近づき、話しかけ、恵みを示し、ご自分の立ち返るようにと招いてくださいます。和解のいけにえとしてご自身のひとり子イエスを『神の小羊』としてほふり、「血のいけにえは既に捧げられたのだから、あなたはそのままで帰ってきなさい 。」という招きを持って…。
まだ神を信じていない私たちの親族、友人、知人が『カインの子孫』から『アベルの子孫』へと方向転換できますように。