*『神様のご計画』の表訂正:X 五旬節/ペンテコステ 使徒1:9 →O 使徒2:1~4
黙示録16:1ー大きな声が聖所から出て、黙15:1の「七人の御使いたち」に命じました。派遣された七人の御使いたちは、神の激しい怒りの七つの鉢を地にぶちまけます。
黙示録16:2ー第一の鉢…地にぶちまけると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々(共に不信者)に、ひどい悪性のはれものができました。独裁者である反キリストに従った者はみな、裁きを受けるのです。
これは、重度の皮膚病です。獣を神として礼拝している人々にだけ向けられたもので、黙示録14:9~11の成就です。と同時に出エジプト時の六番目の災いを彷彿とさせます。
cf 出エジプト記9:8~9ー主はモーセとアロンに仰せられた。「あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはパロの前で、それを天に向けてまき散らせ。それがエジプト全土の人と獣につき、うみの出る腫物となる。」
黙示録16:3ー第二の鉢…海にぶちまけました。
cf 黙示録8:8~9ー第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の1/3が血となった。すると、海の中にいた、いのちあるものの1/3が死に、舟の1/3も打ちこわされた。
この時の海の残り2/3がすべて血に変わり、海の中の生物は死に絶えます。
黙示録16:4ー第三の鉢…川と水の源にぶちまけました。
cf 黙示録8:10~11ー第三のラッパが吹かれた時、川々の1/3が苦よもぎのようになり、それが原因で多くの人が死にました。
第三の「鉢の裁き」では、川々の残りの2/3が血に変わり、人々はそれを飲まざるを得なくなります。これもまた、出エジプト時の第一番目の災いとリンクしてきます。
cf 出エジプト記7:17b~18ー私は手に持っている杖でナイルの水を打ちます。水は血に変わり、ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌みきらうようになります。
黙示録16:5ー水をつかさどる御使いがまず、神の厳しいさばきの正しさを讃えます。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
黙示録16:6ー聖徒たちの血を流した者たちが、その血を飲まされるのは当然である、と御使いは言っています。
cf 黙示録20:4ーまた私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神の言葉とのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
これはまた、ルカ16:19~31の金持ちとラザロ(詳細はこちらから:http://togetter.com/li/452436)の金持ちに、水一滴与えられない苦しみの場所(地獄)ともリンクします。
cf ヤコブ2:13ーあわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきの向かって勝ち誇るのです。
黙示録16:7ー次に、祭壇が神のさばきの正しさをたたえます。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」と。
黙示録16:8ー第四の鉢…太陽に向けてぶちまけました。すると、太陽は火で人々を焼くことを許されました。
cf 黙示録8:12~13ー第四のラッパが吹かれると、太陽の1/3、月の1/3、星の1/3とが打たれ、地上に届く光が1/3減りました。
黙示録16:9ー第四の鉢のさばきでは、再び太陽に異変が起き、その炎熱によって多くの人が焼かれ、苦しむようになります。
しかし、この災害で苦しめられた人々は、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言っています。
神の御名に対してけがしごとを言う…神がおられることを知りながら、なおも悔い改めようとはしていません。
*神の恵みが取り去られたら、悔い改めの心さえなくなってしまうのです。
神の恵みがあるうちに、悔い改めの心が残されているうちに、真の神に立ち返る人々が大勢起こされますように。
黙示録16:10ー第五の鉢…獣の座にぶちまけました。
cf 黙示録9:1~12ー第五のラッパが吹かれた時、墮天使の一人(一つの星)が天から地上に落ちました。その墮天使が底知れぬ穴を開くと、そこから煙が立ち上り、地上は暗黒で覆われました。三度目の暗黒。
第五の鉢のさばきでは、獣の国が暗くなります。獣の国…つまり、全世界を暗黒が襲うということ。四度目の暗黒です。
これもまた、出エジプト時の九番目の災いを彷彿させます。
cf 出エジプト記10:21~23ー三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。
そればかりでなく、太陽の炎熱で人々は火傷で苦しんでいるというのに、全世界は暗国で覆われているという状態です。これはまさに「燃える火と硫黄との池」のこの世バージョンです。
肉体を持った状態で「おまえたちが行く所は、このような所だ!」と、体験予告のようです。
出エジプト記を見ると、暗やみのため「だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。」とあります。
そのため人々は、苦しみのあまり舌をかんでいます。苦しみのあまり死を求めますが、「舌をかんで」自殺を図るしかすべがないのです。
不信者となった者が最終的に送られる「燃える火と硫黄との池」は、熱いけれども光はなく、大勢いるけれども互いに見ることのできない暗黒の世界です。熱くて水を求めても、冷やすことも飲むこともできない場所です。
キリスト教はカルトではないので、恐怖心から信仰を迫ったりすることはありませんが、神の愛とか赦しばかりを強調しているだけではアンバランスです。罪やさばきに対しても正しく説く必要があります。
1コリント2:14ー生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
神は「義であり、聖なる方」であるため、神を認めず自分勝手に自己中心の罪の中に生きている人間を愛してはいるけれども、聖なる御国(天国)の中に入れて、親しい関係を持つことは出来ないのです。御国に入れなければ、「燃える火と硫黄の池」しかもう行き先は残されてはいません。
そのため、神は御子をなだめの供え物の「神の小羊」として、十字架で罪の贖いをなされたのです。
生まれながらの人間は神の御霊に属することを受け入れられないため、生まれながらにして「霊的死刑」が宣告されている状態なのです。しかし肉体が生きている間に、神が備えてくださった小羊なるイエスの身代わりの死を受け入れた者を赦し、罪は贖われたとして御国へ入れてくださるのです。
つまり「信じないから地獄に落とす。」というのではなく、初めから地獄に落とされても仕方のない人間を、救い出してくださる「愛なるお方」が神様なのです。
ヨハネ3:16~17ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
黙示録16:11ー彼らはその苦しみとはれもののゆえに、天の神を呪い始め、悔い改めようとはしていません。
黙示録16:12ー第六の鉢と第七の鉢は、ハルマゲドンの戦いと深くかかわっています。
第六の鉢…ユーフラテス川にぶちまけると、川は枯れてしまいました。
①これは日の出る方(東の方)から来る王たちのための道を備えるためです。
日の出るほう…メソポタミアのこと。アッシリヤ、バビロンなどの帝国があった場所を指す。
川が枯れ…東の王たちが西進できる状態になったということ。つまり、ハルマゲドンの戦いの準備が整ったということです。
黙示録16:13ー②バビロンから反キリストの軍隊を招集するのは、偽の三位一体です。
竜…御父に敵対するサタン。
獣…御子キリストに対応する偽(反)キリスト。
偽預言者…御霊に対応。
黙示録16:14ー③それらの口から、汚れた霊どもが三つ出て来ました。彼らは全世界の王たちのところに出て行きます。
その目的は、ハルマゲドンの戦いに参加するのを躊躇する王たちがいたなら、その王たちを無理にでも招集するためです。
黙示録16:15ーわたしは盗人のように来る。
cf 黙示録3:3bーもし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには。わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。
これは世の終わりに対し、備えをせよ、という命令です。
身に着物をつけ…信仰による義の衣。
*主は、主を信じる者たちを、ご自身の花嫁として迎えに来られます。「義の衣」を来て、備えている者は幸いです。
黙示録16:16ーハルマゲドン…「メギドの山(丘)」という意味。現在「テル・メギド」という名で知られている小高い遺跡。 メギドはイズレエルの平原にある町で、パレスチナの内陸からフェニキヤへ行く道と、エジプトからシリヤを経て、メソポタミヤへ行く道との交差地点にありました。
古代から交通と防衛の要塞の地です。テル・メギドに立てば、眼下にイズレエルの平野が広がっているのが見えます。
反キリストの軍隊が集結する場所は、実際にはこのイズレエルの平野です。ここで落ち合って合流し、ボツラに非難しているイスラエル人を全滅させるべく、南下して行くのです。
〜ハルマゲドンの戦い〜
第六の鉢がぶちまけられると、ユーフラテス川が枯れ、東の王たちがヘブル後でハルマゲドンと呼ばれる場所に集結します。
実際に反キリストの軍隊が集結する場所は、ハルマゲドンではなく、イズレエルの平野です。
そこに集結した反キリストの軍隊は、患難時代を生き延びているユダヤ人たちを抹殺するために、戦いを挑みます。一般的には、この戦いを「ハルマゲドンの戦い」と言います。
しかし、実際に戦いが行なわれるのは、エルサレムとボツラです。ボツラ…現在のヨルダン国のベトラに当たる場所。
そこに(地上)再臨の王であるキリストが現われ、反キリストの軍隊を滅ぼします。反キリストの軍隊と戦って勝利を得るのは、再臨の主イエス・キリストただお一人です。
cf イザヤ34:6ー主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊ややぎの血と、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主がボツラでいけにえをほふり、エドムの地で大虐殺をされるからだ。
cf イザヤ63:1ー「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」
「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」
深紅の衣…敵を踏み付け、その血で真っ赤に染まった衣。
これらの箇所から分かることは、終末時代の最後の戦いを「ハルマゲドンの戦い」と呼ぶのは、軍隊の招集する場所と実際の戦いの場所が違うので、必ずしも正確ではないということです。
cf ゼカリヤ14:4ーその日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブの山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
(地上)再臨のキリストが、オリーブ山の上に立つという預言です。これはキリストが、ボツラでの戦いに勝利した後に起こる出来事です。その時、オリーブ山は真中で二つに裂け、東西に延びる大きな谷ができるということです。
黙示録16:17ー(地上)再臨のキリストがオリーブ山に立つと、七年間続いた患難時代は終わりを告げます。その際、数々の天変地異が起こります。それが、第七の鉢の内容です。
第七の鉢…御座を出た大きな声が、聖所の中から出て「事は成就した。」と宣言します。患難時代の終わりを告げるものです。
黙示録16:18ーいなずまと声と雷鳴と、人類史上最大の地震が起こります。
黙示録16:19ーおの大きな都…バビロン。バビロンの町は三つに裂かれ、諸国の町々は倒れます。
黙示録16:20ー地形の激変が起こります。
黙示録16:21ー1タラント…35kgほどの大きな雹が降ります。生き残っている人々は、この雹の災害のためにも神に汚し事を言いました。それほどその災害が激しかったからです。
これもまた、出エジプト時と同じです。cf 出エジプト記9:18ーさあ、今度は、あすの今ごろ、エジプトにおいて建国の日以来、今までになかったきわめて激しい雹をわたしは降らせる。
キリストの再臨が起こるための前提条件は、ユダヤ人たちが悔い改めて、イエスこそメシアである受け入れることです。
キリストが再臨されれば、サタンは滅ぼされ(燃える火と硫黄との池に投げ込まれ)ます。地上からユダヤ人がいなくなれば、サタンは現在のまま「空中の権威を持つ支配者としてーcf エペソ2:2」君臨できるので、ユダヤ人迫害の背後にはサタンの働きと目的があるのです。
神の国の到来のためにも、私たちはイスラエルのためにとりなしの祈りをする必要があるのです。
cf 創世記27:29bーおまえ(イスラエル)をのろう者はのろわれ、おまえ(イスラエル)を祝福するものは祝福される。
cf ローマ11:26ーこうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
ローマ11:27ーこれこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
このことが、患難時代の終わりに生き残っているすべてのイスラエル人に成就します。
cf ゼカリヤ12:10ーわたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
そのとき、キリストは彼らの祈りに答え、速やかに地上に来てくださいます。そして彼らを、反キリストの軍隊から救い出されるのです。
その結果、神の約束(契約)は永遠に真実であることが、証明されるのです。アーメン†