ヨハネの福音書には、イエスが行なった『七つの奇蹟』があります。
1)ヨハネ2:1~11ーカナの婚礼、水をぶどう酒に変える。
2)ヨハネ4:46~54ー王室の役人の息子の癒し。
3)ヨハネ5:1~18ーベテスダの池の病人。
4)ヨハネ6:1~14ー5,000人の給食。
5)ヨハネ6:16~21ー水の上を歩く。
6)ヨハネ9:1~38ー生まれつきの盲人の癒し。
7)ヨハネ11:1~44ーラザロのよみがえり。
『生まれつきの盲人の癒し』は、六番目の奇蹟であり、『メシア的奇蹟、メシア預言』の一つです。
cf イザヤ42:7ーこうして、盲人の目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
十字架につかれる半年前の仮庵の祭りで、『姦淫の現場で捕まえられた女』を赦した時、神殿はヘロデ大王によって大補修工事が行なわれていました。イエスとの会話で『神に対する冒瀆罪』を理由に、パリサイ人たちが石をとって投げつけようとしたその石は、補修工事に使うためのものでした。
ヨハネ8:59ーしかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。
*それは、十字架の時がまだ来ていなかったからです。サタンは常にイエスをメシアとして失脚させようとしました。つまり、『過越の祭り以外の時に』『十字架以外の方法で』殺そうとしたのです。
ヨハネ9:1ー宮から出て行かれたイエスは、道の途中で生まれつきの盲人を見られました。
見られた…“注目した”の意。
この盲人の人生の苦しみとは、どんなものでしょうか?
また、この人に『注目された』ときのイエスの眼差しはどのようだったと思いますか?
ヨハネ9:2ー弟子たちは、この盲人のことをどのように見ているでしょうか?
弟子たちは、この人の『運命』をどのように捕えていますか?
盲人を目の前に、(聞こえていることも気にせずに)このような質問をする弟子たちに対しどう思いますか?また、この盲人は、どう感じたでしょうか?
*弟子たちの質問の根本には、『罪を犯した結果、障害者になる』という考え方があります。
cf ヨブ記。
cf 出エジプト記20:5ーそれらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
ヨハネ9:3ーイエスは、弟子たちの質問に対し、どのような思いで答えられていると思いますか?
神のわざがこの人に現われるため…cf エゼキエル18:4ー見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。
ヨハネ9:4ーわたしを遣わした方…天の父なる神。
だれも働くことのできない夜…半年後の十字架の死。
ヨハネ9:5ー4〜5節のイエスのことばは、この盲人にとってどのような意味があると思いますか?
私たちが住んでいる現在の世界は、神を神としない『罪(やみ)の世』ですが、そこにイエスがおられることが『世の光』とは、どのような意味でしょうか?
盲人にとって、どのような意味があるのでしょう?
泥…最初の人間アダムは、地のちりから造られました。
cf 創世記2:7ーその後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
ヨハネ9:7ーイエスと弟子たち、盲人がいた場所から『シロアムの池』までは1kmくらいありました。盲人にとってその距離を歩いて行くのは大変なことですが、この距離はこの盲人にとってどのような意味があるのでしょう?
もし、あなただったら「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と言われたら、素直に従うと思いますか?
なぜこの盲人は素直に従えたのでしょう?
彼は道中、何を思っていたと思いますか?
イエスのことばに素直に従った結果、何が起こりましたか?
何がこの人の目を開いたと思いますか?
暗やみの中を歩んでいるひとりひとりの人を、取り扱ってくださるイエスをどう思いますか?