総督ポンテオ・ピラトのもとに、強盗、暴動、殺人の罪で捕まっていたバラバの代わりに、十字架刑が確定したイエス。
時を移さずして、刑場へと引いて行かれました。
当時のやり方は、罪状書きを掲げた兵士を先頭に、十字架の横木を負わせた犯罪者を取り囲むように兵士たちが四方を固め、市中引き回した上で刑場に向かいました。それが有名な『ヴィア・ドロローサ』と呼ばれる、総督ピラトの官邸から刑場への道のりです。また、その道は『ヴィア・クルシス(via crucis/十字架の道)』とも呼ばれています。
ヨハネ19:17ーイエスはご自分で十字架を負って…何の罪も認められなかったイエスが、十字架の横木を負って行かれることに対し、どう思われますか?
この時イエスは『誰の罪』の身代わりだったのでしょう?バラバだけの身代わりだったのでしょうか?それとも…。
イザヤ53:6ー私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。
ヨハネ19:18ーイエスを十字架につけた…麻酔もなく、太く長い釘を両手、両足に打たれるイエスの痛み、苦しみを想像したことはありますか?
なぜイエスは、このような痛み、苦しみを担われたのでしょうか?
イザヤ53:5ーしかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イエスの両脇には誰が十字架にかけられましたか?
イザヤ53:9ー彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
かれは暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
ヨハネ19:19ー罪状書きには何と書かれてありましたか?
ナザレ人…ユダヤの人々は、混血人が住むガリラヤ地方の人々を『異邦人の地ガリラヤ』と見下していました。
Ⅱ列王記17:24ーアッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。
イザヤ書9:1ーしかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
また、ガリラヤ地方の人々は、小さな村ナザレを見下していました。
ヨハネ1:46ーナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
ヨハネ19:20ーこの罪状書きには、へブル語、ラテン語、ギリシャ語の三か国語で書かれてありました。それは何を意味するのでしょう?
*へブル語…ユダヤ人の言語。
ヨハネ19:21ーユダヤ人の祭司長…ユダヤ教の祭司長、の意。異邦人が『祭司』や『祭司長』になることはありません。
ユダヤ人の王…文字通りのユダヤ人、の意。『ユダヤ教の王』ではありません。
なぜ、祭司長たちは『ユダヤ人の王』と書かれることに抵抗したのでしょう?
そこには彼らのどんな心があらわれていますか?
イエスは『ユダヤ人の王と自称した』のでしょうか?それとも本当に『ユダヤ人の王』だと思いますか?または『私の王』『王の王』なる方だと思いますか?
ヨハネ19:22ー「私の書いたことは私が書いたのです。」…不本意にも、イエスを十字架にかける結果を招いてしまったピラトは、最後に総督としての決意(意地…?!)をはっきりと言っています。
イエスの十字架は何のためだったと思いますか?
1ペテロ2:22~24ーキリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。
Ⅱコリント5:21ー神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。