サマリヤ地方は、アッシリヤ捕囚時に異邦人によって占領されました。
Ⅱ 列王記17:24ーアッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らはサマリヤを占領して、その町々に住んだ。
そのため、純粋な『ユダヤ人』ではなく『異邦人との混血』になり、宗教的にも異邦人の教えの影響を多く受けました。
一方、ガリラヤ地方は、イエス様の時代にはヘロデ王の統治下にあり、ユダヤ人が住んでいました。
純潔を重んじるユダヤ人と混血となったサマリヤ人とは宗教的人種的対立関係にありました。
イエス様の時代、ガリラヤ地方からエルサレムに巡礼に行く時はサマリヤの町々を通りましたが、帰りはヨルダン川をサマリヤ地方を通らずにヨルダン川を迂回して行ったほどでした。
ルカ17:11ーこのような背景がある中で、サマリヤとガリラヤの境を主は通られました。
ルカ17:12ーある村にはいられると、ユダヤ人とサマリヤ人が一緒にそこにいました。
彼らはどのような問題、人生の苦しみを抱えていましたか?
ルカ17:13ーなぜ彼らは遠く離れた所からイエスに声をかけたのでしょう?
cf レビ記13:45~46ー患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。
その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。
「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った彼らの言葉や態度から、何をイエスに求めていると思いますか?
彼らはイエスをどのような方だと思っていたのでしょう?
ルカ17:14ーイエスはどのように対応されていますか?
自分を祭司に見せなさい…cf レビ記14章ー癒しの方法ではなく、治ったことの宣言の儀式です。神殿の祭司に見せ、祭司に確認してもらい、八日間にわたっていけにえを捧げ、八日目に「きよい」と宣言してもらいます。そこではじめて隔離から解放されて、普通の生活に戻ることができました。
彼らは何をしたのでしょう?彼らが癒されたのは、いつですか?
癒しの力はどこから来たと思いますか?
彼らは癒されてから、祭司の所に見せに行ったのでしょうか?
もし、彼らが他の所に向かったらどうなっていたでしょうか?
このことから、彼らがイエスに対してどのような信仰を持っていたことがわかりますか?
ルカ17:15ー十人中ひとりがイエスのところに戻って来たのは、なぜでしょう?
彼はどのようにイエスも元へ引き返して来ましたか?
*十人中ひとり…イエスの癒しの恵みは、十人のツァラアトの人たち全員に及びました。しかし、その恵みに感謝するために戻って来たのは、たったひとりでした。
もし、あなたがイエス様の立場だったらどう思いますか?
誰を喜びますか?誰を救おうと思いますか?
cf エペソ2:8~9ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
cf マタイ7:13~14ー狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
ルカ17:16ー十人のツァラアトの人々は、ユダヤ人とサマリヤ人たちでしたが、引き返して来たのはサマリヤ人でした。
他の九人は、どこに行ったと思いますか?なぜ戻って来なかったのでしょう?
戻って来たサマリヤ人との違いは何だと思いますか?
ルカ17:17ー戻って来なかった九人の信仰とは、どのような信仰でしょう?
日本人の信仰と似ている点があるでしょうか?あるとしたら、どのような点でしょう?
ルカ17:18ーこのサマリヤ人は、何によって癒されたと理解していますか?
栄光を誰に帰していますか?そのような生き方を、イエス様はどのように見られていますか?
イザヤ43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを作った。
イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
あなたはクリスチャンとして、いつ神様の栄光をあらわしましたか?