キリスト・イエスによって異邦人への使徒となったパウロがこの手紙を書いた背景には、最初にガラテヤの諸教会を訪れた後に、ユダヤ主義者たちが来て「異邦人が救われるためには割礼を受けなければならない」と説いて異邦人信者たちを惑わし、パウロの使徒職について攻撃したからです。
ユダヤ主義者たちの主張:
使徒15:5ーしかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
パウロの主張:
ガラテヤ2:16ーしかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ここで注意したいのは、私たちが属する地域教会の教えがパウロの主張と一致しているかどうかという点です。
現在でも『十戒』を守るように教えているならば、それは異邦人への使徒となったパウロの教えに聞き従わず、ユダヤ主義者に聞き従っているこになります。
3:1ーああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。
*だれがあなたがたを迷わせたのですか…ユダヤ教の指導者だったパリサイ派の者で信者になったユダヤ主義者たちのこと。
3:2ーただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
*御霊を受けた…旧約時代〜五旬節までの御霊の働きは、神のご計画に沿ってある期間、選ばれた預言者や王などに留まりました。その者が罪を犯したり、ご計画が達成されると、御霊は天に還られました。
使徒2章の五旬節の時にユダヤ人信者たちに、使徒8章でサマリヤ人信者たちに、使徒10章で異邦人信者たちに御霊が降り、以来個々の信者に内住されるようになりました。
*律法を行った…『律法の書/トーラー(創世記〜申命記までのモーセ五書)』には、全部で613もの律法が記されています。十戒だけを守ればいいのでもなく、道徳律法だけを守ればいいのでもありません。律法は、守るなら613全てを守る義務があります。つまり、律法はすべてを守るか、または、キリストがモーセの律法を終わらせてくださったので、守らなくてよいとするか二者択一です。
前者なら、もはやキリスト教ではなく、ユダヤ教、ユダヤ主義者となり、
後者なら、モーセの律法ではなく、キリストの律法を守るべきです。
*信仰をもって聞いた…ローマ10:17ーそのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
3:3ーあなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
*御霊で始まった…ガラテヤの信者たちが福音を聞いて信じ、救われたのは、御霊の働きでした。
御霊は、未信者には外側から働かれ、信者には内住されているので内側から働かれます。
未信者に対して
ヨハネ15:26ーわたしが父の元から遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
ヨハネ16:8ーその方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
1コリント12:3ーですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
*肉によって完成される…ユダヤ主義者に惑わされて、モーセの律法を守る行ないによって救いが完成されると言うこと。
現在でも、教会によってはこのように教える指導者たちがいるので、要注意です。
3:4ーあなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。万が一にもそんなことはないでしょうが。
*あれほどのこと…キリストの十字架の死・葬り・復活という福音を信じて救われたこと。
3:5ーとすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
*御霊を与え…御霊を与えてくださったのは、キリスト・イエス。
ヨハネ16:7ーしかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
*奇蹟を行われた方…キリスト・イエスによるメシア預言の成就。
3:6ーアブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。
*彼(アブラハム)の義…アブラハムは【主】が彼に語られたみことばを信じた時に、義と認められました。
創世記15:5~6ーそして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
*それと同じこと…つまり、信仰は神のことば(=キリスト・イエス)を信じる信仰によるということ。
ヨハネ1:1, 14ー初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
3:7ーですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
*アブラハムの子孫…ここでは、神のみことばを信じて義とされたという霊的な意味での『アブラハムの子孫』だということ。
ユダヤ主義者たちは『われわれの先祖はアブラハムだ』と自負していました。しかし、アブラハムの子孫がユダヤ人なのではなく、アブラハムーイサクーヤコブの三人を先祖に持つ者がユダヤ人です。
アブラハムにはイサクのほかに、エジプト人の女奴隷ハガルとの間にイシュマエル、後妻ケトラとの間に六人の息子たちがおり、彼らの子孫は全員異邦人です。
3:8ー聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。
創世記12:3ーあなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。
3:9ーそういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
神の長子としてユダヤ人たちは、キリストの福音を信じる信仰による個人的な救いと、神の選びの民イスラエルとしての民族的救いを得る必要があります。
現在のレムナントであるメシアニックジューたちは、個人的救いを得ていますが、イスラエル民族としての救いは、患難時代の終わりに起こります。
彼らは『アブラハム契約』の条項の一つである祝福を、千年王国で物質的祝福と霊的祝福の二つを受けます。
一方、キリスト・イエスを信じて『神の子どもとされる特権を与えられた』異邦人信者は、霊的祝福を受けるようになります。
長子は、責任も祝福もさばきも倍となるからです。
3:10ーというのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
*のろいのもとにある…律法の行ないによる人々は、その律法によってのろいのもとに置かれているということ。
日曜日を『安息日』に置き換えて守るように教えるならば、安息日を違反した場合の律法にも従わなくてはならなくなります。
出エジプト記31:15ー六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
*律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる…今でも教会で十戒を守るように教える者たちは、このみことばを見落としています。『律法の書に書いてあるすべてのこと』は、613あるすべての律法のことです。それらを『すべてのことを固く守って実行する』には、十戒だけでは602の戒めが抜けています。『だれでも』ということは、新約時代に生きる私たちにも適用されます。
3:11ーところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。
*律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいない…ここに、キリスト・イエスがユダヤ人としてお生まれになった理由があります。
3:12ーしかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。
*この律法によって生きる…行ないによる義を求め続けることになりますが、613ある律法の全てを守り通したのは神の御子イエスだけです。
3:13ー
*書いてある…パリサイ派たちが信じる『口伝律法』ではなく、モーセの律法『記述律法』のこと。
申命記21:23ーその死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。
だから、イエスさまが十字架で亡くなられた後、アリマタヤのヨセフとニコデモは大急ぎで埋葬したのです。
3:14ーこのことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
*アブラハムの祝福…ガラテヤ3:8~9の繰り返し。
*約束の御霊を受ける…エペソ1:13~14ーまたあなたがたもキリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
3:15ー兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
人間関係における口先での約束も守る責任がありますが、破ってしまった場合は謝罪で済みます。
しかし、契約は書面を通して双方の証印が押され、違反した場合罰則が伴い、責任が重いものとなります。
3:16ーところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。
*約束…ここでは、『アブラハム契約』の条項を指します。
創世記12:7ーそのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰られた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
3:17ー私の言おうとすることはこうです。先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無効とされたりすることがないということです。
*先に神によって結ばれた契約…創世記から黙示録までを貫く骨子となる『アブラハム契約』は、変無契約、無条件契約のため、現在でも有効です。
*その後四百三十年たってできた律法…『モーセ契約』のこと。律法の全てを守ることが条件の契約。
申命記28:1~2ーもし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地の全ての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
申命記28:15ーもし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。
3:18ーなぜなら、相続がもし律法によるのなら、もはや約束によるのではないからです。ところが、神は約束を通してアブラハムに相続の恵みを下さったのです。
律法が与えられる前の時代のアブラハムに仲介者を通さずに、神は直接約束され、その約束を信じる信仰による義を得ていました。
3:19ーでは、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
*御使いたちを通して…旧約聖書には、律法が『御使いたちを通して与えられた』ことを裏付ける聖句はありません。これは、新約聖書に書かれた情報(奥義)であり、ステパノの発言を記したルカ、ガラテヤ書の著者パウロ、ヘブル人への手紙の著者によって明らかにされています。
使徒7:53ーあなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。
ヘブル2:2ーもし御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
*仲介者…モーセは、旧い契約、律法の仲介者。
3:20ー仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜る神は唯一者です。
キリスト・イエスは、新しい契約の仲介者です。
ヘブル12:24ーさらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
*一方だけに族するものではありません/約束を賜る神は唯一…1テモテ2:5ー神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
3:21ーとすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
*律法が命を与えることができるものであったなら…律法違反に対する規定も律法の中に記されています。しかし、律法による罪の贖いとしての動物の身代わりの規定のないものがあり、神への冒涜罪、安息日違反罪、偶像崇拝罪、両親への不敬罪、姦淫罪、誘拐罪、霊媒や魔術を行なう罪、殺人罪、偽預言罪などは、罪を犯した本人が自らのいのちをもって償う必要がありました。
そのため、律法ではすべての罪を償っていのちを与えることはできませんでした。
3:22ーしかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
*すべての人を罪の下に閉じ込め…もしすべて守り行なえるなら、律法による救いは可能となりますが、613ある律法を、すべて守り通せる人はひとりもいません。
キリスト・イエスが律法をすべて守り全うしてくださり、もうひとりの助け主としての御霊を私たちのうちに住まわせてくださったがゆえに、私たちの中に律法の要求を全うしてくださいました。
ローマ8:3~4ー肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
3:23ー信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
*私たち…ここでは、律法が与えられたイスラエル民族、ユダヤ人たちのこと。
メシア到来までの間、ユダヤ人たちは律法の監視下に置かれていました。
3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
*律法はキリストへ導くための私たちの養育係…ここの『私たち』もユダヤ人たちのこと。
律法により彼らは、自分たちが『罪人』であることを知り、幕屋を通して三位一体の神を知り、イスラエルの例祭を通してメシアのみわざを知り、そのメシアを信じる信仰により義とされるようになるため。
3:25ーしかし、信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
*養育係…613ある律法
ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
3:26ーあなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
*あなたがた…ガラテヤの諸教会の信者たち
*神の子ども…ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
3:27ーバプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。
*バプテスマ…浸礼により、キリストの死・葬り・復活と一体化することを意味します。
*キリストをその身に着た…キリストが与える『義』の衣を着た、の意。
エペソ4:24ー真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
3:28ーユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
*キリスト・イエスにあって、一つだからです…当時、ユダヤ人たちは「私は異邦人でもなく、奴隷でもなく、女でもないことを感謝します。」という祈りを捧げていました。パウロはユダヤ人としてそのことを意識して、キリストにある一致を教えました。
霊的には国籍による区別も、身分による区別も、男女の区別もなく、キリストを信じる信者の集まりは、普遍的教会として『一つのからだ』であり、キリストの花嫁となります。
ピリピ3:20ーけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
*救い主としておいでになる…キリストの空中再臨/携挙
地上再臨の時は、裁き主、王の王として来られます。
ローマ12:5ー大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
3:29ーもしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
*アブラハムの子孫…霊的な意味で。
パウロの論理は、信仰によりキリスト者はアブラハムの子孫となった。
→『アブラハムの子孫』とは、キリスト・イエスのこと。(ガラテヤ3:16, 19)
→信者は『キリストを着る』ことにより、キリストと一体化した。
→結果として、信者は『霊的に』アブラハムの子孫となった。
→だから、神がアブラハムに約束されたことの『相続人』となった、ということ。