聖書を読んでいると、分かるようで分からないことってありますよね?!
1コリント15:45ー聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
その一つに『第一のアダム』は、「第六日目に土地のちりから神に造られ、エデンの園に置かれた最初の人間アダムだということはわかるけど、『最後のアダム』って何なの…?」って訊かれたら答えられます?
1コリント15:47ー第一の人は地から出て、土地で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
…そう、『第二(最後)のアダム』とは、天から来られたイエス・キリストのことなのです。cf ヨハネ3:13、6:51。
【第一のアダム】
創世記2:7ーその後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
第一のアダムが『生きもの』として神に認められたのは、その鼻から『いのちの息』=神の御霊を入れられたときでした。
*いのちの『息』は、詩篇104:30ー『御霊』と同義語。
つまり、肉体だけでなく、霊的にも神と交流できる『生きた状態』が必要だということです。
ところが「食べてはならない。」と言われていた『善悪の知識の木の実』を食べてしまったため、せっかく入れて頂いた『いのちの息=御霊』が出て行き、『霊的に死んだ状態』となってしまいました。
それは、神を神とせず、自分の判断での事の『善悪』を決めるという自己中心、自分自身を『神』とするものです。聖書は、これを『原罪』と呼んでいます。
霊的に死に、神を基準にした善悪ではなく、自己中心に善悪を決めるようになってしまった人間が永遠に生きないようにと、神はアダムとエバをエデンの園の外に出し、『いのちの木へ至る道』を守られたのです。こうして人間には『霊的死』だけでなく、『肉体の死』も入ってきたのです。
ローマ5:12ーそういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様にーそれというのも全人類が罪を犯したからです。
最初の人間アダムとエバが神を神としなくなり、自己中心的存在になった後(エデンの園の外)、人間の性の営みにより誕生したのが私たちの祖先のため、人間は生まれながらにして霊的には死んだ状態です。
肉体が生きている間、どこかの時点で霊的にも誕生しなくてはならない存在となったのです。それを教えているのが、ヨハネ3:1~15の『ニコデモ』の話です。
では、なぜ『最後のアダム』がイエスなのでしょう…?
【最後のアダム】
イザヤ7:14ーそれゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
とイザヤが預言したとおり、マリヤは『聖霊によって身重になった。』とあります。cf マタイ1:18b。
イエスは母マリヤから人間の肉体を持って生まれましたが、父は『聖霊なる神』だったことが分かります。つまり、エデンの園で最初に造られたアダムと同じように、生まれながらにして『いのちの御霊』を宿す神の子だったのです。
地のちりから造られたアダムは、エデンの園で蛇の誘惑を受け、罪を犯しましたが、天から来られた神の御子イエスはサタンの誘惑を受けても罪を犯すことなく、誘惑に勝利しました。申し分のない『神の御子、救い主』であることを証明しました。
1コリント15:45bー最後のアダムは、生かす御霊となりました。
ヨハネ6:51ーわたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。
イエスは生まれながらにして『神の霊』を持った人間でした。ですから、イエスは常に神のことを『父』と呼ばれたのです。
そしてイエスを『生ける神の御子、キリストです。』と信じ、告白する者に『永遠のいのち』を与え、保証として『御霊』を下さいました。
エペソ4:30ー神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
イエスが霊的に死んだのは、十字架の上で12時〜午後3時迄全地が暗くなった時です。(これがゲッセマネの祈りでの『苦杯』)そのとき、イエスは神を『父よ』と呼ぶことができず、神を信じない人間と同じように「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と大声で叫ばれたのです。マタイ27:46。
しかし肉体の死を迎える直前、再び「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言われました。ルカ23:46。
つまりこの時点で『霊的に復活した』ということです。これと同じことが、私たちにも起こります。
霊的に死んだ状態で生まれてくる人間であっても、イエスを『救い主』だと信じる信仰により(cf 1コリント15:3~5)、肉体が生きている間に『霊的に復活』するのです。その後はたとえ肉体が死んでも、霊は生きることになります。そして、携挙の時に肉体も栄光のからだに復活させられ、永遠に主とともにいることになります。
ヨハネ11:25~26ーイエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
今もイエスは私たちに訊かれます。
「生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはありません。このことを信じますか。」と…。あなたは何て答えますか?