サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

原罪とアダム契約

 女性にとって男性とは…?

どういう目的をもって、女性は造られたのか…?

男性とはどんな性質…?

何故、人は死ぬの…? 聖書からの答えは…? 

聖書を学び理解するのに必要不可欠な「原罪」についての学びです。その中でなされたアダム契約が、現代を生きる私たちにどのような関わりがあるのか…?

きっと目から鱗の学びになるはず…

 

創世記3章は、皆さまよくご存じの「原罪」の箇所です。

「あ〜原罪ね、知ってる知ってる。」と言わずに、もう ちょこっと掘り起こしながら、読んでみるのもおもしろいですよ〜♪

 

 

創世記3:1ー「蛇=サタン」なのではありません。ここでの「蛇」は、原語では定冠詞が用いられ、特別な蛇を表します。もともとの意味は「輝ける者」…蛇は、美しかったのです。

 

 

14節で初めて現在のような姿にされていることから、この時点では手足があったと解釈されることもあります。エバに話しかけた時、エバが恐れてないことに注目!エデンの園では、人と動物たちとの間に平和がありました。

 

 

と同時に、第二コリント11:14ーしかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。というみことばを思い出します。

 

 

マタイ4章で、主イエスは“悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた”とあることから、エデンの園に神が“一番狡猾だった特別な蛇”を置かれた理由が見えてきます。人類の代表アダムとエバの信仰のテスト(試練)のためだと。

 

 

ここでの蛇は、後に「あの古い蛇」ー黙示録20:2ーと呼ばれていることから、サタンであることが分かります。

 

 

黙示録12:9にも、サタンを表わすことばが出てきます。1)巨大な竜ーサタンの力と悪意を表わす名。2)悪魔ー糾弾する者の意。3)サタンー神に敵対する者の意。4)全世界を惑わすものー偽物を作って欺く者であるの意。5)古い蛇ー創3章の狡猾なもの

 

 

名は体を表わすのです。サタンの策略には、要注意です!

 

 

創3:1では、「狡猾」にこう問いかけています。“あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうにいわれたのですか”ー試み その1ー神のみことばに対する疑い

 

 

創3:2~3ーサタンの問いに対するエバの答えです。創世記2:16~7のエデン契約の内容と読み比べてください。

 

 

エバの答えには、三つの誤りがあります。

 

 

【エバの誤り】1)園の中央にある木の実について、神は『あなたがたはそれを食べてはならない。2)それに触れてもいけない。3)あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。

 

 

【解説】1)園の中央には「いのちの木と善悪の知識の木」がありました。食べてはいけないのは、善悪の知識の木だけでした。

 

 

【解説】2)神は「触れてはいけない」とは、言われてません。明らかにエバの過大解釈です。cf申命記4:2

 

【解説】3)神は「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われました。「死ぬといけないからだ」という言い方は、死ぬ可能性を示唆するだけで、断言ではありません。

 

 

創3:4サタンの試み その2ーみことばの否定。「あなたがたは決して死にません。」

 

 

創3:5ーサタンの試み その3ー罪の誘惑。「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

 

 

ここで「!?」と思われた方は、どのくらいいらっしゃるのかな〜?

 

 

エバは「園の中央にある木の実」と、二本とも食べてはいけないと理解していました。しかし5節サタンの誘惑は「それ」と言って、「1本の木の実」を示唆していますが、「善悪の知識の木の実」と指定はしていません。「善悪を知る」というヒントのみです。

 

 

また「食べなさい」とも言っていません。間接的な誘惑にとどめて、自らの言い逃れの道は確保しています。サタンは、誘惑の限りを尽くしますが、責任を負ってはくれないのです。

 

 

*主イエスは、人の軽はずみ行為まで、神の栄光に変えられましたールカ22:50~51

 

 

「それ(1本の木の実)」「食べるその時」「善悪を知る」「神のようになる」「そのことを神は知っているから『食べてはいけない』と意地悪を言っている!? 」…エバの心に欲望が入りました。

 

 

創3:6ーそこで、女が見ると、その木は…欲望を持った目で見たのです。「その木」…サタンのヒントから、二本ある木のうちの一本に的が絞られました。

 

 

目に慕わしく…誘惑は目からきます。賢くする…悪賢さも含む。好ましかった…自分の欲望に合う。それで女はその実を取って…目の次は、手。食べ…次は、口。夫にも与えたので、夫も食べた…共犯者獲得〜。

 

 

さあ〜女性諸君!身に覚えはないですか?夕ご飯の買い物に出たはずが、たまたま通りかかったお店で見かけた品(洋服だったり、バッグだったり)。(あら、素敵♡)と手を伸ばし、鏡の前で合わせてみる。次の瞬間、店員に一言「これ、ください」と口から出たことば…

 

夕ご飯のおかずが別な物に変わり、後ろめたさから(夫にも何か…)と適当に選び、共犯者にしてしまう…。(><)   男性諸君、騙されることなかれ!と祈りますw。

 

 

ヤコブ1:13~14ーだれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

 

 

創3:7「善悪の知識の木の実を取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われた神さまと、「食べても死なない。食べるその時、目が開け、あなたがたが神のように善悪を知るようになる」と言ったサタンと、どちらのことばを信じるか?二者択一でした。

 

 

アダムとエバは、神のことばを退け、サタンのことばを信じたのです。なぜでしょう?心の中に(善悪の知識の木の実を食べてみたい。神のように善悪を知るようになりたい)という「欲」が既に存在したからです。

 

「神のようになりたい」というのは、位の高い天使として造られたルシファー(英訳聖書:KJV)が抱いた思いでしたイザヤ14:12~15。ここには墮落前の天使ルシファーの野望が、記されています。英文の聖書では、すべて “ I  will ” で表記されています。

 

 

サタンは自分が抱いた思いを、エバに入れたのです。その「欲」の上に「死なない」という神のみことばの完全否定が加わり、誘惑されてしまいました。善悪の知識の木の実を食べた後、二人はどうなったでしょう?

 

ふたりの目は開かれ…賢くなるはずが、最初に知ったのは「自分たちが裸である」ことでした。いちじくの葉をつづり合わせて…人類最初のお裁縫かな!? 腰のおおいを作った…あれ?裸であることが恥ずかしいなら、腰だけでなく全身隠すべきですよね?

 

 

所詮人間の賢さなんてそんなもんさ、なんて言う声も聞こえてきそうですね。三浦綾子さんの「道ありき」だったかな!? 『腰を隠すというのは、人間の性に関係があるからだろう』とあったのを思い出します。

 

 

いちじくの葉…耐久日数は、どれくらいでしょう?せいぜい3〜5日といったとこでしょうか?明らかに一時的な間に合わせです。

 

 

創3:8ー神さまは、ご自身に似せて造られた人と愛の関係、信頼関係、コニュニケーションを求めて園を散歩されました。*神は霊ですから(ヨハネ4:24)、人間のように足で歩き回るわけではありません。

 

 

主の声…原語では「音」。神の足音というような擬人的表現。神の声を聞いた(気配を感じた、という方がピンと来るかな?)ふたりは、主の御顔を避けて園の木の間に身を隠しました。

 

 

サタン(蛇)に「賢くする」と言われた善悪の知識の木の実を食べたら、7節で“お互い隠し合い”、8節で“神から隠れ”ました。

 

 

創3:9ー神から隠れた人に対し、神は呼びかけておられます。「あなたは、どこにいるのか」と。今でも神から隠れたままでいる人々一人一人に呼びかけておられます。「あなたは、どこにいるのか」と。神から探して、呼びかけてくださるのです。

 

 

神さまは、最初の六日間で世界のすべてのものを造られました。しかし七日目は「夕があり、朝があった。第七日。」という一日の終わりを宣言することばはありませんーcf創世記2:3つまり、第七日目はまだ続いていて、その安息に人々を招き入れるべく、神を信じる人を集めるというわざをして働いておられるのですーヨハネ5:17、6:29、6:44。どこぞの神様のように、昼寝をしていたり、遊び歩いている神ではないのです。PTL!

 

 

ここでの「あなたは」は、一人称です。人類の代表として、アダムに訊いているので、一人称になっているのかもしれませんし、エバはアダムの妻であるので、二人は一体として言われているのかもしれません。

 

 

創3:10ーアダムは、ここで墓穴を掘ってしまいます。「私は裸なので、恐れて、隠れました。」

 

 

創3:11ー「裸?誰が、裸であることをあなたに教えたのか?まさか…禁止したはずのあの木から取って食べたのか!?」神さまのショック加減が分かるようです。この時、アダムが一言「ごめんなさい」と言っていたら、歴史は変わっていたかもしれません。

 

 

創3:12ー「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」さあ、このアダムの返答をどうとりますか?

 

 

「責任を嫁に転がす」と書いて「責任転嫁」です!

 

 

そして「あなたが私のそばに置かれたこの女が」と、責任をさらに神に転嫁しています

 

 

しか〜し、おもしろいのは、ここからなのだ!

 

 

創世記2:17ー神さまがエデン契約を結ばれた時、だれと結ばれたのでしょう?

 

 

その時、エバはどこにいたでしょう?

 

 

答えは、創2:18ー人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」 そうです!エデン契約の命令を受けたのは、アダムひとりで、エバはまだ造られていませんでした。

 

 

エバは、創2:17の命令をアダムから聞いたのです。自分が経験したことなら、自信を持って答えられますよね。でも人づてに聞いた事ならどうでしょう?「本当?」と言われたら、確信はどうなりますか?「…そうだったと思う」と少しトーンが下がりませんか?

 

 

蛇(サタン)は、そこをついたのです。だから、エバの答えには三つも誤りがあったのです。だからこそ、蛇は「あなたがたは決して死にません」と確信に満ちたかのように言い放ったのです。

 

 

ん?「あなたがた…?」蛇は確かにエバに話しかけていますが、そこにエバ一人しかいなければ、わざわざ「あなたがたは」なんて言うでしょうか?

 

 

創3:5でも「あなたがた」と言い、6節では「女は、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた」とあります。“家で待ってた夫に持ち帰った”とも“向こうにいた夫に”とも記されてません。「いっしょにいた夫」と、その場にいたことがわかります。

 

 

ふたりは、夫婦だったんですよね!? エバは、アダムにとって「私の骨からの骨。私の肉からの肉」だったんですよね!? ー創2:23。愛し合ってたんじゃないんですか?夫だったら、妻が間違った時に正しいことを教えませんか?訂正しません?

 

 

罪を犯しそうなら、止めません? 何故、アダムはずっと黙って、成り行きを見ていたのでしょう?

 

 

そう。アダムもエバと同じように「欲」が芽生えていたのです。ただ、エデン契約の命令を直接神さまから聞いていたので、自分からは取って食べる勇気がなかったのかもしれません。

 

 

蛇とエバのやり取りを聞きながら、神と蛇どちらのことばが正しいのか考えていたのかもしれません。

 

 

もし神さまが言われたとおり、善悪の木の実を食べた時、エバが死んだら、アダムはこう言うことができました。「あなたが私のそばにおかれたあの女は、あなたの仰せに従わず、食べてはならない木の実を取って食べたので死にましたが、私は食べてません」と。

 

 

エバは、アダムの目の前で食べましたが、死にませんでした!だから、アダムにも取ってあげたのです。アダムが食べたときは、「食べても死なない!」という確信のもとででした。

 

 

エバが死んでも言い逃れの道はある。エバは食べたけど、死ななかった!なぁ〜んだ、食べても大丈夫なんじゃん!蛇が言ったとおりじゃん!神さまは、嘘つきで意地悪じゃん!と思ったことでしょう。

 

 

エバは蛇に惑わされ、罪を犯しました。アダムは、いわば確信犯でした。そして、罪の責任をエバと神に転嫁し、悔い改めどころか反省のことばすらありません。

 

 

創3:13ー神である主は今度はエバに訊きます。「あなたは、いったいなんということをしたのか」と。

 

 

「蛇が惑わしたのです。それで私は食べたのです」(私は被害者です。悪いのは蛇です。)というエバの心の声が聞こえてくるようです。これがエバの返答でした。さすが!アダムのあばら骨から造られたエバ!アダムと同じように「責任転嫁(蛇)」しています

 

 

創3:14~19ーこの箇所が、二番目に神が結ばれた「アダム契約」です。その内容は、すべて「宣言」となっていて、「もし、あなたが、◯◯したら…」という条件は何もついていないことに注目です!

 

 

条件付きではないため、蛇もアダムもエバも、神のこの宣言からは逃れようがないのです。そして、アダムは全人類の代表(と同時に、男性の代表。エバは女性の代表)であるため、その子孫である現代を生きる私たちにも有効な宣言なのです。

 

 

創3:14~15ー蛇に与えられた宣言。14節ー1)神が愛の対象として造られた人間を惑わし、罪を犯させたので、呪われる。2)ちりを食べる。

 

 

創世記3章15節ー原初福音。Proto Evangelium. 聖書の中で、初めてメシヤを預言した箇所です。

 

 

その内容は、1)蛇と女の間に敵意を置く…女性は、蛇が苦手ですよね。2)蛇の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く…「蛇の子孫」とは、サタンの子孫のことです。つまり、

 

 

ヨハネ8:44ーあなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

 

 

とあるように、サタンを父とする者たちのことです。将来的には、黙示録で語られている7年間の患難時代に出て来る「反キリスト」も、サタンを父として女を通して登場(誕生)します。

 

 

墮天使だったサタンは、神に敵対する者として、敵が「三位一体の神」であることを知っています。対抗するには、同じように「悪の三位一体」体制を備えているのです。

 

 

1)御父 vs 悪魔(サタン)。2)御子イエス・キリスト vs 反キリスト。3)御霊 vs 悪霊(黙示録では、偽預言者)。

 

 

この件の詳細は、黙示録のまとめまでのお楽しみに♪

 

 

創3:15bー3)彼…女の子孫として誕生する御子イエス。おまえの頭を踏み砕き…致命傷。おまえ…サタンの子孫。彼のかかとにかみつく…メシヤの十字架の死。

 

 

「かかとにかみつく」のと「頭を踏み砕く」のと、どちらが致命傷か分かりますよね!? イエスは確かに十字架で死にましたが、復活し、死に勝利しました。一方、サタン側は最終的には「火の池」に投げ込まれる運命にあります。ー黙示録20:10

 

 

創3:16ーエバ(女)に対する宣言。1)みごもりの苦しみを大いに増す…月経の痛み。悪阻の苦しみ。 出産日当日まで9ヶ月間悪阻が続いた長男の妊娠中、何度(う〜!エバめ〜!)と思ったことか!! ほんとに辛かったです〜!(;_;)

 

 

苦しんで子を生まなければならない…出産時の陣痛。夫を恋い慕う…ヘブル語:タシュカー。このことばは、旧約聖書の3回のみ使われているーcf創3:16,4:17(ともに“支配する、統治する”の意),雅歌7:10

 

 

支配する…女が男を罪へと誘ったので、園結果として、男に支配されるようになりました。「ふさわしい助け手」として造られたのに、「罪を助長する者」となってしまいました。後のサラやイザベルにも共通してますね。

 

 

創3:17~19ーアダムに対する宣言。アダム…cf第一コリント15:45~47。妻の声に聞き従い…cf箴言18:22。土地が呪われた…いばらとあざみは呪いの象徴。一生苦しんで食を得…エデンの園での労働は軽く、収穫は祝福されていました。

 

 

創3:19あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない…伝道者の書3:20~21みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを

 

 

アダムとエバは、善悪の知識の木の実を食べたのにも関わらず、生きていました。「食べるその時、必ず死ぬ」と言われた神のことばはどうなったのでしょう?

 

 

創2:7ーからだは土地のちりで造られ、その鼻にいのちの息である神の御霊を入れられて「生きもの」となりました。創3:8ー禁止されてた木の実を食べた後のふたりは、神から身を隠しています。

 

 

そうです。まず、最初に死んだのは霊的な部分です。(聖書的には「死」とは、肉体とたましいの分離です。

 

 

この時から、人は自己中心という罪の中に生きることになりました。そのため、聖であられる神の目からは「霊的に死んだ者」と見えているのです。それを意識してなのか…

 

 

創3:20ーアダムは妻の名を「エバ」と呼びました。エバ…生命、生きることという意味です。

 

 

創3:21ー裸であることが恥ずかしくなったというふたりに、いちじくの葉の代わりとなる「皮の衣」を作り、着せてくださいました。ここにある神さまの愛とめぐみに気付かれましたか?

 

 

ここには御子イエス・キリストによる罪のあがないの暗示があります。そうです。皮の衣には素材の提供者がいるのです!それがどの動物なのか、聖書は明記していません。でも私はイエスが神の小羊としてほふられたことから、この時の衣は羊皮ではないかな〜と思うわけです。(幕屋や神殿でほふられた中に羊はいましたし…ね)

 

 

ヘブル9:22ーそれで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、といってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

 

 

創3:22ー人はわれわれのひとりのようになり…ここでも三位一体の神が暗示されています。「われわれに似るように人を造ろう」という目的達成!? 善悪を知るようになった…善悪の基準が「神中心」から「自己中心」に変わったのです。

 

霊的に死んでしまった人間の善悪の判断基準に、神が入り込む余地はもはやありません。自分に取って都合の良いこと、自分が得することは善、自分が気分がいい時だけ、また自分が好きな人にだけ親切にします。

 

 

人からの評価を気にして良い行ないをし、綺麗だから、ハンサムだから、スタイルが良いから、大企業勤務だから、高給取りだから、高学歴だからetcの理由で結婚相手を選びます。生きることすべてにおける判断基準が自己中心な存在になってしまいました。

 

 

「神を信じると、自由がなくなる!」という未信者は、結局のところこの自己中心を「自由」と信じ込み、判断基準を神に譲りたくない!と思っているのです。これもまた、自己中心です。

 

 

しかし「本当の自由」とは、他人の評価や自分の好み、損得、自分の感情、条件には関係なく「そのこと自体」が神の目から見て正しければやる、間違っていればやらないと決定することです。神を交えての判断基準を持つことです。

 

 

そして、神の判断基準を知るためには、聖書を読むということが必要となってくるのです。

 

 

エデンの園の中央にあったいのちの木は、食べてもよかったはずです。先に食べていれば、彼らは「聖である」ことが確定され、永遠のエデンの園で生きることができたはずでした。でもいのちの木の実を食べる前に、罪を犯してしまいました。

 

 

先日も96歳の夫が、91歳の寝たきりの妻を殺害するという悲しい事件がありました。事件が起こるまでは、ご長寿の一般市民だったはずです。神を神としないまま肉体だけが長生きをしても、それだけ罪を犯す機会が増えることにもなるのです。

 

 

ですから神は、22節ー「彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように」と人をエデンの園から追い出されたのですー23節

 

 

失楽園は、「罪の罰」だと思いますか?神のめぐみだと思いますか?

 

 

ヤコブ1:15ー欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。  このみことばの深みが理解できますよね。

 

 

失楽園は、罪の罰ではありません。創世記3:24にその答えがあります。「いのちの木への道を守るために」だと。

 

 

エデンの園の東…幕やの出入り口も一カ所、東側だけです。ジェームス・ディーンの映画で有名な「エデンの東」とは、「神の祝福(エデンの園)の外」という意味です。

 

 

ケルビム…天使。炎の剣…シャカイナ・グローリー。ケルビムと炎の剣によって守られているエデンの園の入り口から、いのちの木への道に至ることはできなくなりました。

 

 

アダムとエバの罪のためには、それぞれ動物の犠牲があり、皮の衣が与えられました。今、私たちには、神の小羊イエスが罪のあがないをなし、「義の衣」が与えられています。ここに神の愛とめぐみがあります!PTL!!

 

 

そして、神は私たちのためにいのちの木を備えてくださっていますーcf黙示録22:2ー都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

 

 

これは完成された天の御国、御父がおられる国です。そこに行く道も備えられました。ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」

 

 

いのちの木へ至る道は、イエスのみです。他にはありません。アーメン!

 

 

エデンの園を追い出された後、アダムとエバの人間の性の営みの結果、生まれたのが人類史上最初の殺人者カインと最初の被害者アベル。そして、アダムに似た、彼のかたちどおりの子セツですー

 

 

 

サタンは、女の子孫として生まれると言われた救い主の誕生を阻止しようとして、あの手この手で妨害してきたことが、この先の創世記に記されています。聖書を理解するには、原罪を理解することが必要不可欠です。皆様の学びが祝されますようにー祈ー。

 

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