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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

後の者が先になり、先の者が後になる 〜マタイ20:1~16〜

この箇所で有名な聖句が、16節の『あとのものが先になり、先の者があとになる』ですよね!? 時々、教会の中で礼拝後の交わりの時に、先輩クリスチャンから言われたりもするので、みことばとしてはよく知られていると思います。

今回は、その『意味』を考えていきたいと思います。

 

マタイ20:1ー天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。

*天の御国…この譬え話をされた時はまだ、イエスは『十字架に架かる前』ですから、時代は『旧約(律法の)時代』だということになります。旧約時代に明らかにされていた『天の御国』は『千年王国ユダヤ人たちは『メシア的王国』を用いる)』を指しています。新約の教会時代を生きる私たちには『黙示録』の預言が与えられているので『永遠の都、天のエルサレム』と勘違いしがちですから注意が必要です。

 

*ぶどう園…譬え話で用いられるときは、『旧約時代のイスラエル、またはユダヤ人』を表します。ちなみに、『いちじく』は『メシアの初臨〜教会時代のユダヤ人』を、『オリーブ』は将来の『患難時代のユダヤ人』を指して用いられます。

 

*ぶどう園の主人…神様。

 

つまり、ここでは千年王国(メシア的王国)は、イスラエルにいるユダヤ人を神様が招きに行くようなものです』という意味にとれるのです。

 

マタイ20:2ー彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。

*時刻は『早朝』です。マタイ20:1

*一日一デナリ労働者の平均的日給。特別低賃金ではない。この時雇われた人たちは、明日も食事にありつけるという安堵感を持って、その日一日を過ごすことができたことでしょう。早朝から神様に『平安』をいただいた人々でした。

 

マタイ20:3ーそれから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。

*九時ごろ…原語では『第三時』。

寝坊でもしてしまったのでしょうか…?少しゆっくり目のスタートの人々が、誰か雇い人に声をかけられるのをただボ〜ッと立って待っているイメージですね。

 

マタイ20:4ーそこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』

*相当のもの…ぶどう園の主人は『一日一デナリ』とは言わずに、仕事を与えました。

 

マタイ20:5ー彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。

*彼らは出て行った…いくらもらえるか金額を確かめることなく、『仕事にありつけた』という安堵感を持ったからこそ、彼らは出て行ったのでしょう。

 

*十二時ごろと三時ごろ…もう陽も高くなり、普通なら諦めてしまうような時間帯ですが、『ダメもとでも…』とかすかな希望を持って市場にやって来た人たちかもしれません。

 

*同じようにした…かすかな希望を持ってやって来た人たちにも、ぶどう園の主人は『相当のもの』で雇用の約束をして、彼らをぶどう園に送りました。

 

マタイ20:6ーまた、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』

*五時ごろイスラエルの日没は夕方六時ですから、働くとしても彼らの労働時間は1時間弱でした。そんな人々にもぶどう園の主人は声をかけました。

 

マタイ20:7ー彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』

*だれも雇ってくれないからです…彼らは夕方五時になっても『まだ仕事を求めていた』のです。普通ならとうに諦めていたはずですが、彼らはまだ希望を持ってそこにいました。

 

 

*「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。」…この時、ぶどう園の主人は、彼らと賃金の話はしていないことにお気づきですか?

 

マタイ20:8ーこうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』

*最後に来た者たちから…ここで大抵の人は『えっ!? なんで?』と思うのです。普通は、早朝から働いていた人たちから賃金をもらうのが『公平だ』という風に考えるからです。

 

マタイ20:9ーそこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。

*一デナリ…最後の五時ごろ雇われ、実質一時間弱しか働いていない人たちから『一日分の賃金』が支払われました。彼らは『賃金契約』は何もしていなかった人たちです。

 

マタイ20:10ー最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。

*九時ごろ雇われた人たちも、十二時ごろ雇われた人たちも、三時ごろ雇われた人たちも、みな等しく『一デナリ』ずつが支払われました。ぶどう園の主人が約束した『相当のもの』とは『一日分の労働者の日給一デナリ』だったわけです。

 

*最初の者たち…彼らは、自分たちは早朝からずっと働いていたのだから、もっと多くもらえるだろうと『(自分)勝手に』思ったのです。しかし、ぶどう園の主人は彼らを雇う時『一日一デナリ』と約束し、彼らはその条件を受け入れたのでした。

 

マタイ20:11ーそこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、

*文句をつけて…後から雇われた者たちは、自分たちより労働時間が短いのにも拘わらず、同じ賃金であることに対して。

 

マタイ20:12ー言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』

 

*一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱した…これが『賃金が不当だ』という彼らの理由でした。

 

マタイ20:13ーしかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。

*ぶどう園の主人の口調は、怒るわけでもなく、とても冷静に最初の契約を思い起こさせています。

箴言15:1ー柔らかな答えは憤りを静める。

しかし激しいことばは怒りを引き起こす。

 

マタイ20:14ー自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。

 

*自分の分を取って帰りなさい…最初の契約どおりの賃金を受け取って、帰るようにと促しています。ぶどう園の主人は、必要なことだけを伝えました。

 

*ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。

エペソ4:29ー悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。

 

『一日一デナリ』の約束をして雇われた人たちは、明日の生活の不安から解放されて、一日中神様の平安の中で働くことができました。

一方、後から雇われた人たちは、雇用されるまで生活の不安と戦いながらも希望を持って、だれか雇い人が現れるのを待っていました。

 

賃金の支払い時、不安とより長く戦っていた後から雇われた人たちから先に、賃金をもらい、『安心(平安)と喜び、感謝』を持って帰って行きました。

早朝から働いていた人たちは、賃金の順番を長く待たされていても、待つ間も(勝手に)『もっと多くもらえるかもしれない』という期待感に満たされていました。

 

マタイ20:15ー自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』

 

ここに神様の目から見た『待ち時間』の公平性があり、労働賃金に対する公平性があります。

 

天の御国での報酬は、年功序列ではありません。先に救われた者は、救われた後の『信者』としての働きの期間が長くなりますが、天の御国に入れるという平安のうちに残りの人生を過ごせるのです。

一方、後から救われた人たちも『天の御国』という同じ祝福に与れるのです。

 

信者としての働きに対する報酬は、神様に主権があるものであり、私たちが『勝手に』決めるものではありません。

 

マタイ20:16ーこのように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。

*小さな教会の中で、『ほんの数年、数ヶ月という信仰歴の差の話をしているのではない』ということにお気づきでしょうか?

 

*教会時代の今、この譬え話を『第二義的に適用する』と、旧約時代の義人たちが早朝の雇われた労働者たちになるのでしょう。

 

そして、夕方五時ごろ雇われた人たちこそが『教会時代の異邦人信者』たちと言えるでしょう。『携挙』が近い現在は、夕方六時数分前かもしれません。

最初に『復活のからだ』をいただくのは、キリストの花嫁である教会時代の信者たちですから、どんなに日没前(携挙前)ギリギリであろうとも『後から雇われた人たち』と同じように、復活のからだという栄光をいただくことができるのです。

 

旧約時代の義人たちが復活のからだをいただけるのは、次にくる『七年間の患難時代の後』『千年王国の前』ですから、文字通り『あとの者が先になり、先の者があとになる』のです。

 

そのことを覚え、感謝を持って信仰の歩みができますように。

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