読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

Ⅱ テサロニケ人への手紙  〜1:1~12〜

Ⅱテサロニケ1:1ーパウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。

*パウロ…異邦人の使徒。

ガラテヤ2:8ーペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人の使徒としてくださったのです。

 

*シルワノ…『シラス』のラテン名。アンテオケに派遣された指導者。パウロの同労者。

使徒15:22ーそこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは、兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。

使徒15:40パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

 

*テモテ…父、ギリシャ人。母、ユダヤ人。パウロがルステラに行った時に出会った。

使徒16:1~2ーそれからパウロはデルべに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父としていたが、

ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。

 

*差出人…1テサロニケ人への手紙同様、パウロ、シルワノ(シラス)、テモテの連名になっています。

 

*受取人…テサロニケの教会。マケドニアの州都。

 

 

Ⅱテサロニケ1:2ー父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

挨拶の言葉。恵みと平安は、神様から与えられるもの。

 

 

Ⅱテサロニケ1:3ー兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。

*感謝の理由…①テサロニケの教会の人々の信仰が、目に見えて成長しているから。

②教会の信者たちの間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているから。

 

 

Ⅱテサロニケ1:4ーそれゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。

③すべての迫害と患難に耐えながら、その従順と信仰を保っているから。

願わくは、私たちも主イエスにこのように褒めていただけますように…†

 

パウロは、テサロニケの人々のこのような信仰を『誇り』としています。このことはまた、パウロの祈りの結果でもありました。

1テサロニケ3:12ーまた、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。

 

迫害や患難は、それだけを見れば辛いものですが、神様の恵みと守りに依り頼む機会ともなります。主にあっては無駄なことはなく、すべてが益となります。

ローマ8:28ー神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 

 

Ⅱテサロニケ1:5ーこのことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。

*苦しみを受ける理由…神の国のため、だとパウロは説明しています。

パウロがこの手紙を書いた時はまだ、ヨハネの黙示録は記されていませんから、ここでいう『神の国』は御国の時代である『千年王国』を指します。それは、キリストの地上再臨の後で成就する『神の国』です。

最初、キリストの初臨の時にユダヤ人たちに差し出されました。しかし、彼らはイエスのメシアとしてのしるしを『ベルゼブル(サタン)のわざ』として、『神の国』を自ら退かせてしまったのです。次に『神の国』がユダヤ人たちに差し出されるのは、患難時代であり、その時に生き残っているイスラエルのレムナントたちがそこに入ることになります。

 

私たちが現在生きている『教会時代』は、キリストの初臨と再臨の間の、恵みと信仰によって異邦人に提供された『神の国』への招待期間なのです。

 

 

Ⅱテサロニケ1:6ーつまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、

このことは、最終的な裁きである『白い大いなる御座の裁き』で、神様ご自身が裁かれます。

ローマ12:19ー愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。

復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

 

 

Ⅱテサロニケ1:7ー苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。

*安息…からだが復活するまでは、『パラダイス(アブラハムのふところ)』で、霊的安息を、からだの復活後は『千年王国』で、またその先は『永遠の秩序』の中で霊もからだも神様のご臨在の前で永遠の安息を得ることになります。

『アブラハムのふところ』〜『第三の天』〜『永遠の都』パラダイス - サザエのお裾分け

 

*主イエスが炎の中に〜現れるときに起こります。…キリストの地上再臨。

マタイ25:31ー人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

 

黙示録20:7~9ーしかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、

地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴクとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを招集する。彼らの数は海べの砂のようである。

彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

 

 

Ⅱテサロニケ1:8ーそのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。

Ⅱペテロ3:7ーしかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

 

 

Ⅱテサロニケ1:9ーそのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

*主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて…『永遠の刑罰』の意。

イザヤ2:10ー岩の間にはいり、

ちりの中に身を隠せ。

主の恐るべき御顔を避け、

そのご威光の輝きを避けて。

 

 

Ⅱテサロニケ1:10ーその日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の―そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです―感嘆の的となられます。

 *感嘆の的となられる…再臨のキリストは、彼を信じるすべての人々によってあがめられるようになります。

イザヤ2:17ーその日には、高ぶるものはかがめられ、

高慢な者は低くされ、

おひとりだけが高められる。

 

 

Ⅱテサロニケ1:11ーそのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。

*私たち…パウロ、シルワノ、テモテ。

 

*祈りの内容…①神が、テサロニケの教会の人々をお召しにふさわしい者にしてくださるように。

②御力によって、善を慕うあらゆる願いを全うしてくださるように。

③テサロニケの教会の人々の信仰の働きを全うしてくださるように。

 

 

Ⅱテサロニケ1:12ーそれは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。

*祈りの目的…主イエスの恵みによって、キリストの御名がテサロニケの教会の人々の間であがめられ、彼らも主にあって栄光を受けるため。

1コリント6:20ーあなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

 

*恵み…値なしにいただくもの。信仰も神の恵みです。

エペソ2:8~9ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

 

神から離れた状態で生まれ育った私たちは、神抜きに自分勝手に生きてきました。

そのままでは、いつの日か神の怒りに触れ、永遠の滅びへと向かうしかない、生まれながらに『罪人』でした。しかし、そんな私たちのために神の御子イエスは十字架に架かり、ご自身の血による代価を払い、永遠の滅びから買い戻してくださり、死から復活して勝利してくださったのです。

それは私たちが、何か良い行ないをしたからでもなく、立派だったからでもありません。

これこそが『神の恵み』です。私たちはただ、主イエスと先に救われた人々の伝道の働きと祈りの結果、その神様の大きな恵みを知り、信仰によって応答したに過ぎません。

伝道されずに、祈られずに信仰を持つ人は恐らくいないでしょう。

だからこそ、救われた今、まだ主を知らない人々にみことばを語り、愛を示し、祈り、御国の働きに参加すべきなのです。それが『キリスト者』としての歩みです。