『パラダイス』と聞くと、南国のリゾート地でのんびりホリデーを思い浮かべる方も多いほどよく知られていますが、新約聖書に3回しか出て来ない言葉なのです。
一度目は、
ルカ23:43ーイエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
*この時イエスは、十字架の右隣の犯罪人に向かって、ルカ16:22でラザロが行った『アブラハムのふところ』を指して『パラダイス』と言われました。
イエスの復活、昇天までは、慰めの場所である『アブラハムのふところ』は、死後の世界として地の下にありました。
だから死後、イエスの肉体は墓に、霊は『捕らわれの霊たち』の所に行って、聖書の預言どおりみ救いを成し遂げられたことを宣言されたのです。
*1ペテロ3:19ーその霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。
この箇所の新改訳は、誤訳です。本文に『みことばを』という言葉はありません。2,017年版では、『その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。』と訳出されています。
二番目は、
Ⅱ コリント12:4ーパラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。
*パウロが使徒になったのは、イエスの昇天後であり、彼はこの時『第三の天』に引き上げられたと言っています。
Ⅱ コリント12:2ー私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前にー肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。ー第三の天にまで引き上げられました。
*『第一の天』…鳥が飛ぶ高さ。
*『第ニの天』…天体の高さ。
*『第三の天』…神の御座のあるところ。
『アブラハムのふところ』は、イエスの十字架の死の直前に初めて『パラダイス』と呼ばれ、イエスの昇天時に地の下にあった死後の世界から第三の天に上げられました。
エペソ4:8ーそこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」
*教会時代の今、私たちが呼ぶ『天国』とは、第三の天に引っ越した『アブラハムのふところ』のことです。ここに入れるのは、旧約の義人たちと教会時代の信者たち、患難時代の殉教者たちです。
携挙の時、教会時代の信者たちだけがまず復活のからだになり、主と共に空中まで降りて来ます。先に肉体の死を迎えた教会時代の信者たちも『キリストの花嫁』ですから、天での結婚式のために一足早く復活に与るのです。
『後の者が先になり、先の者が後になる』…とは、まさしくこのことなのかもしれませんね。
三番目のパラダイスは、
黙示録2:7ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
*そこには『いのちの木』があることから、完成された天の都『新しいエルサレム』であることがわかります。つまり、今 第三の天にある『パラダイス』は、永遠の天の都『新しいエルサレム』への待合室なのです。
*現在のパラダイスはやがて、『いのちの木』がある新しいエルサレムに引っ越し、そこで永遠の秩序の中で神と共に暮らすことになります。
聖書中にたった三回しか登場しない『パラダイス』が、時系列にどのように天の都『エルサレム』へと移り変わっていくのかが、みごとに描写されています。
このようなことを知る度に、神様の知恵とご計画の素晴らしさ、そして『やっぱり聖書は、神の霊感によって書かれた書物だ』ということを再確認し、栄光を主に帰すのです。
Ⅱテモテ3:16ー聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。