聖書では『油そそぎ』を受ける職務が三つあります。
『王』『祭司』『預言者』ですが、その中でイスラエルのどの部族からでもなることができたのは『預言者』だけです。ダニエル、ゼパニヤはユダ族、エレミヤやエゼキエルはレビ族であり、預言者はまた男性だけでなく、女性がなることもありました。
聖書の中で最初の『女預言者』と記されているのが、レビ族のアロンの姉ミリヤムです。
出エジプト記15:20ーアロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。
新約の時代になると、アセル(アシェル)族の女預言者アンナールカ2:36ーや、ピリポの四人の未婚の娘ー使徒21:8~9ーらがいます。
しかし、律法により『祭司』はレビ族からのみ(大祭司はアロンの家系からのみ)と決められており、『王』はユダ族のダビデの家系からと決まっていました(創世記49:10)。
レビ系祭司たちは、50歳という年齢制限、病気や肉体の死などの理由で交代制でした。
しかし、イエスがメルキゼデクの位の大祭司になられたのは復活された後なので、『肉体の死』によって交代する必要のない天の聖所における永遠の大祭司になられたのです。
地上の祭司制度は、律法によりレビの家系に属する者だけしかなれませんでした。
ユダ族のダビデの家系から誕生されたイエスは、地上の幕屋(神殿)に仕える祭司になられたのではなく、まことの聖所である天の幕屋に仕える大祭司になられました。
この点においてもイエスは、律法を守られていることがわかります。
ヘブル7:20ーまた、そのためには、はっきりと誓いがなされています。
『新しい祭司職』についてまず最初に述べられているのは 、神の誓いがなされているということです。それが『神の誓い』ということは、その職が不変か否かということです。
ヘブル7:21――彼らの場合は、誓いなしに祭司となるのですが、主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。
「主は誓ってこう言われ、
みこころを変えられることはない。
『あなたはとこしえに祭司である。』」―
*誓いなしに祭司となる…レビ系祭司職であるアロンの家系の祭司職には、誓いはありませんでした。アロンの子孫であるという理由のために祭司となりました。
そのため、祭司としてふさわしくない者が祭司職に就くことがありました。
*主に対して次のように言われた方の誓いがあります…メルキゼデクに等しい祭司は、誓いをもって来られたということにより、主イエスの祭司職が優れているとわかります。
著者は、再び詩篇110:4を引用して、神が誓われたということを証明しています。
詩篇110:4ー主は誓い、そしてみこころを変えない。
「あなたは、メルキゼデクの例にならい、
とこしえに祭司である。」
*主は みこころを変えられることはない…将来のメルキゼデクのくらいの祭司は永遠であり、変わることがないという誓いをされたのは事実です。
ヘブル7:22ーそのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。
結果、メシアであるイエスが、神と人とのより優れた契約の保証人となりました。
*契約…この先、著者はこの書簡で17回使う『契約』という単語の最初。
『契約』という言葉は、新約聖書で33回使われている中の半分は、ヘブル書の中で使われています。これは、ヘブル書がユダヤ人の特質を強調していることを意味しています。
この大祭司が新しい契約の保証、もしくはこの契約が守られる責任を負っています。
ヘブル7:23ーまた、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。
著者は再び、受取人/読者たちにレビ系祭司たちは、肉体の死によってその職に留まり続けることはできないという、旧い祭司制度の弱点を思い出させています。
レビ系祭司制度に多くの祭司がいるのはそのためです。
ヘブル7:24ーしかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
しかし、レビ系祭司職とは対照的にイエスは永遠に残り、新しい祭司職は継続されます。なぜならイエスは肉体の死から復活後に大祭司となられたので、レビ系祭司たちのように死によって遮られることはないからです。
*変わることのない …『変えがたい』『永久の』『分割できない』の意。
ヘブル7:25ーしたがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
*キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる…著者の結論と結果。イエスは死ぬことのないお方であるがゆえに、イエスのとりなしは途切れることはありません。
永遠の保証の基礎は、キリストが永遠の祭司だからこそ永遠に救うことができるのです。
『永遠』とは、場所のことではなく『状態』のこと。
“これらすべての面を完成して、最終的な目的地に到着する” 最大の手段に対するギリシャ語。それはまた “完全に、永遠に保存される” ものです。
イエスは、信者が『最大限に』『永遠に』『すべての面で』『完全に』救われていること、また最終的な目的地に到着することを保証しています。
信者の肉体の復活という将来の側面と、信者がすでに『最大限に』救われているということは保証されています。イエスは救うことができるお方であり、イエスには救う力があります。
ヘブル書の受取人/読者たちは救われていましたから、神に近づくことができました。
救いの対象は、恵みにより信仰によって神に近づく人々です。
イエスはいつも生きていて、ご自分を信じる者たちのためにとりなしをしておられます。信者が罪を犯すとき、イエスは既に、彼らのためにとりなしをしてくださっています。
救いの保証は人間によるのではなく、十字架で贖いの死、葬られ、よみがえってくださったイエスによるため確かなものとなっています。信者を救いの中に保つのは、信者の祈りや行いによるのではなく、イエスによるのです。