【宗教改革時代の教会】
黙示録3:1ーまた、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
•宛先:サルデス…「のがれ出る者」という意味です。暗黒時代の教会から分離する者を暗示しています。
•年代:AD1,517~1,648年まで
AD1517年10月31日は、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に95か条の提題を掲げた日です。
AD1618~1648年は、最後の宗教戦争(30年戦争)がありました。
•キリストの姿:神の七つの御霊、および七つの星を持つ方。
*七つの御霊…教会の主としてのキリストを表わしています。
イザヤ11:2ーその上に、主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
はかりごとと能力の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。
*七つの星…七人の御使い 黙示録1:20参照
*生きているとされている…宗教改革によりローマ・カトリック教会の誤った教理を正し、しっかりとした信条と聖書的教理を持ったことを意味します。
*実は死んでいる…叱責
そこには霊的生命力が欠如していたため、国家と教会の結び付きを切り離すことができませんでした。
ローマ・カトリック教会から分離したにもかかわらず、プロテスタントもまた国家教会になりました。
・イギリスは聖公会と
・スコットランドは長老派教会と
・スイスの一部はカルヴァン改革派教会と、一部はツィングリ教会と結び付いた結果、個人的信仰の有無にかかわらず、受洗し、形式的な教会員を生み出しました。
その結果、霊的に死んだままの人々による教会となりました。
ヤコブ2:26ーたましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は死んでいるのです。
正しい教理信条とともに、霊的生活に返らなければ、他者を力づけることはできません。
正しい教理無き霊的生活も、霊的生活無き正しい教理も『死んでいる』と主は言われます。
黙示録3:2ー目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。
*目をさましなさい…霊的覚醒の命令
*死にかけているほかの人たちを力づけなさい…奨励
正しい教理と霊的生活の両方揃って、初めて『神の御前に全うされ』ます。
黙示録3:3ーだから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。
*目をさまさなければ…霊的覚醒していない教会、形式的な信徒は、霊的に死んだ状態にあります。
*わたしは盗人のように来る…花婿なるキリストの空中再臨
1テサロニケ4:16~17ー主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
霊的覚醒をしている教会(まことの信者)は、いつキリストの空中再臨(携挙)が起きても驚くことはありません。
なぜなら、花婿のお迎えを待ち望んでいるからです。
*決してわからない…花婿のお迎えないつなのか、霊的に死んだ教会、形式的な信徒たちはそりれを待ち望んでいないため、不信者として地上に取り残されてしまいます。
マタイ24:36~37ーただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
黙示録3:4ーしかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。
このような時代の中にあっても、真の信仰に歩んだ多くの信徒たちがいました。
*白い衣…義の衣 キリストにある救いを象徴。
真の信者には、この白い衣が約束されました。
黙示録3:5ー勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
*いのちの書…人間として誕生すると名前が記され、生きている間に主イエスを救い主として信じることなく死ぬと名前が消されます。
それとは別に、小羊のいのちの書があります。
黙示録13:8ー地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。
白い衣が約束された人々の名前は、いのちの書に記されたまま、永遠に消されることはありません。そしてキリストは、その人々を御父の御前で言い表してくださいます。
黙示録3:6ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
*耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい…命令
【大宣教時代の教会】
黙示録3:7ーまた、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。
『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。
•宛先:フィラデルフィヤ…『兄弟愛』の意味
•年代:AD1,648~1,900年頃まで
AD1648年ーウェストリア条約締結され、神聖ローマ帝国は事実上解体されました。
•キリストの姿:聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じるものがなく、彼が閉じるとだれも開く者がない方。
黙示録3:8ー「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
この教会は、開かれた門を活用しました。
1,700~1,900年の間、宣教師が行けない場所はほとんどありませんでした。
*少しばかりの力…世界中に宣教師を派遣するのを支持したのは少数派でした。
*わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった…主からの賞賛
黙示録3:9ー見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
*ユダヤ人だと自称…自称『神の民』
メシア拒否のユダヤ人たちは、神から「わたしの民ではない」と拒否されます。
ホセア1:8~9ー見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。
見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
ホセア2:23ーわたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう。」
しかし、患難時代の終わりにイスラエルの民が民族的回心をすると、再び「わたしの民」とされます。
ホセア1:10ーイスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。
また、フィラデルフィアの教会の時代は、自称「神の民」である末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)、クリスチャン・サイエンスなどの異端・カルトが勃興した時代です。(統一教会は半世紀程遅れて勃興)
彼らの共通点は、自らを144,000人のユダヤ人、もしくはイスラエルの失われた十部族と称していることです。
黙示録3:10ーあなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
*わたしの〜ことばを守ったから…フィラデルフィアの教会は、イエスを愛する教会でした。
ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
その愛の行動に対して、主も患難時代から彼らを守ると約束されています。
*地上に住む者たちを試みるため…携挙の恵みに漏れ、地上に残された不信者たちの中で、誰が神を信じる者になるのかを試すため。
*全世界に来ようとしている試練の時…七年間の患難時代は、地球全体に及ぶということ。
テアテラの教会のイゼベルの教えに従う教会は患難時代を通過させられますが、フィラデルフィアの教会のようにキリストの律法に従う教会は、主の守りにより携挙よって患難時代前に救い出されます。
もし「教会も患難時代を通過する」と言うならば、イエスが『救い主』であることを否定し、みことばを否定し、自らの行ないによる義を求めるイゼベルの教えの影響を受けている可能性があります。
黙示録3:11ーわたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。
*わたしはすぐに来る…キリストの空中再臨(携挙)
1テサロニケ4:16~17ー主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
*あなたの冠…いのちの冠
黙示録2:10ーあなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
*あなたの持っているもの…キリストの福音に対する信仰
フィラデルフィヤの教会時代は、モルモン教、エホバの証人など、カルトが起き始めた時代でもありました。
ガラテヤ1:6~7ー私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
現在はさらに異端、カルトが増えていますから、何を聞いても、何を読んでも、みことばでしっかりと確認することが大事です。
使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
黙示録3:12ー勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。
*聖所の柱となる…約束
1列王記7:21ーこの柱を本堂の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。
とあるように、普遍的教会の神の聖所の中の一部となるということ、また千年王国の第四神殿で分前を持つことと考えられます。
*外に出て行くことはない…千年王国であるキリストの御国から出されることも、その先の永遠の天の御国、新しい都エルサレムの外に出されることもないということ。
*神の御名/新しいエルサレムの名/わたしの新しい名…これら三つの新しい名を得るという約束
①神の御名…アブラハム契約において、・子孫の約束に関しては『全能の神』として、
・土地の約束に関しては、契約の神を表す『【主】』として、
・祝福の約束に関しては、人として来られた神の御子『イエス』としてあらわされました。
御父の固有名詞はずっと隠されたままですが、それが明らかにされ、信者の上に書きしるされます。
②新しいエルサレムの名…『エルサレム』」とは、神の平和という意味であり、現在の地上の都の名前です。
天の都としての名前が、信者の上に書き記されるということ。
③わたしの名…受肉された神の御子の人の子としての名前が『イエス』です。
おそらく、神の御子としての名が、私たち信者の上に書き記されるのでしょう。
黙示録3:13ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
神は繰り返し黙示録の預言に耳を傾けるように命じておられます。
黙示録の預言を無視することは、不信仰のあらわれです。
【背教の時代の教会】
黙示録3:14ーまた、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
・年代:AD1,900年〜現在
・宛先:ラオデキヤ 『支配する人』の意
神が統治すべき教会を人間が支配している状態。
それは、聖霊の存在と聖霊による導きが無い、背教の教会を意味します。
*アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方…この教会に対するキリストの姿
*忠実、真実…主イエスは忠実であり、真実な証人。黙示録1:5
背教の時代の教会は、神のみことば(イエス)に対して、忠実でも、真実でもないということ。
前出の六つの教会とは異なり、この教会には賞賛が一つもありません。
次の15節から17節まで叱責が続きます。
黙示録3:15ー「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
*熱い…本当の意味でキリストの福音を信じ、救われた人。
*冷たい…不信者であることを明らかにしている人。
*なまぬるい…「イエス・キリストを信じている」とする自称クリスチャン。
信者を自称しながら、キリストの福音とは何かを理解していないため、御霊の内住のない、新生していない人。
⚠️牧師の中にも『なまぬるい人』はいるので要注意⚠️
黙示録3:16ーこのように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
*わたしの口から(なまぬるい)あなたを吐き出そう…花婿なるキリストのお迎えである携挙の時に、新生していない、御霊の内住のない自称クリスチャンたちは、地上に残されるということ。
七番目のラオデキヤの教会の後に、八番目の教会時代はありません。
黙示録4:1で著者ヨハネの視点は天にあり、そこに教会の代表である24人の長老たちがいることから、3章と4章の間に『キリストの空中再臨 = 携挙』があると考えられます。
黙示録3:16は、主からの警告であると言えるでしょう。
どのような福音に立っているか、今一度みことばで確認が必要です。
ガラテヤ1:8~9ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
*私たちが宣べ伝えた福音…1コリント15:2~5参照
黙示録3:18ーわたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
18~20節まで奨励、救いへの招きが続きます。
ラオデキヤは、フィラデルフィアの南東約76kmにある町で、ローマ時代には富裕なことで知られていました。
金融業、毛織物、目薬で有名な町でした。それにかけて、主イエスは「金」「白い衣」「目薬」と言っています。
*金…1ペテロ1:7ーあなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに賞賛と光栄と栄誉になることがわかります。
信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに賞賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
*裸の恥…霊的に裸の状態=不信者
ラオデキヤの教会(背教の時代)は、霊的に裸であるため、主イエスによる『白い衣 = 義の衣』を着る必要があります。
その衣は、小羊の血で洗ったが故に白くなり(黙示録7:9, 13~14)、ふさわしい者に与えられます(黙示録3:4)。
*目が見えるようになるため…霊的盲目
ラオデキヤの教会には、救われている要素は何もないため、賞賛が一つも書かれていません。
そのため、代価を払ってまで『金・義の衣・霊的目薬』を手に入れるようにといわれています。
黙示録3:19ーわたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
*愛する者をしかったり、懲らしめたりする…このような教会であっても、主は「愛する者」と呼ばれています。そして、悔い改めを勧めておられます。
神の一方的な呼びかけである「愛する者」ということばに甘んじているだけでよいのでしょうか?
神の命令「悔い改めなさい」に従って、応答していきたいものです。主の口から吐き出されることのないように…
ヨハネ14:23~24ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
黙示録3:20ー見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
これは、誤って適応されることが非常に多いみことばです。
多くの教会で殆ど語られることのない黙示録ですが、たまに語られる時に引用されるのがこの聖句だと言えるでしょう。その場合、「私たち人間の心の戸」だと思われています。その戸は、取っ手が内側にしかなく、戸の外に立っているイエス様には、開けることが出来ないのだとの私的解釈が語られます。
実際にそのような戸があったら、欠陥品ですよね!? 建築基準法にひっかかりません?
主は強盗ではないので、私たちの心をこじ開けてまで侵入して来ることはありません。ですが、文脈から「個人の心の戸」と理解できるでしょうか?
これは『ラオデキヤの教会の戸』であり、背教の教会の中にメシアはいないので、教会の外にいて戸をたたいていることを強調しています。
教会の中で神を礼拝している『つもり』が、人々が支配する教会と化しているので、肝心な主を教会から閉め出し、内側から鍵をかけている状態なのです。
背教の教会にいる全ての人たちに対し、メシアの声を聞き、戸を開けるなら、その人と個人的な交わりをするということです。
使徒17:11ーここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
黙示録3:21ー勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
*勝利を得る者…神のみことば(キリストの律法)に忠実に従う者
*わたしの座に着かせ…主とともに王として地上の王国である千年王国を治めるようになる、の意。
背教の時代の信者の責任は、
①背教者の友とならない。
背教者は単なる不信者ではなく、三位一体、処女懐胎、キリストの地上再臨等の破壊的否定を宣伝する背教の教理の教師であるため。
Ⅱヨハネ1:7~11ーなぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。
よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。
だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。
そういう人にあいさつすれば、その悪い行いをともにすることになります。
②教会員が上記の破壊的否定に同意し、主張するなら、地域教会から追放すべき。
ガラテヤ1:8~9ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
③所属する地域教会の指導者が破壊的教理を主張する場合は、その教会から離れること。
Ⅱテモテ3:5ー見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。
黙示録3:22ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」
聖書は
1)字義通りに読む。
2)文脈に沿って読む。
3)みことばに付け足したり、差し引いたりしない。申命記4:2
*異端の教えは、付け足したり差し引いたりしているので要注意です。
4)みことばを私的解釈しない。Ⅱペテロ1:20
5)みことばをみことばによって確認する。 使徒の働き17:11
映画ベンハーの一場面