サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヨハネの黙示録2章

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 黙示録2〜3章に出て来る「七つの教会」の前半の学びです。果たして「七つの教会」とは何なのか…?どんな意味があるのか…?みことばの深い部分のお裾分けです。

 

黙示録1章の最後で主は「七つの燭台=七つの教会」であると教えられました。聖書では「七」は完全数です。そのことから三つのことが分かります。 

1)ヨハネが生きていた一世紀当時、実際に小アジアに存在していた地域教会を指す。ただし、地域教会は他にもありました…コロサイの教会など。

2)「教会の七つの型」を指すー教会の歴史上、どの時代にも「七つの教会の型」は存在したということです。

3)教会史上、各時代の教会の特徴を預言的に表わしたものーつまり、ある時代にはある型の教会の特徴が顕著に現われるということです。

 

黙示録2〜3章の七つの教会は…

①エペソにある教会(2:1~7)ー使徒時代の(初代)教会の型。 

②スミルナにある教会(2:8~11)ー迫害時代の教会の型。 

③ペルガモにある教会(2:12~17)ー国家教会の型。 

④テアテラにある教会の型(2:18~29)ー暗黒時代の教会の型

⑤サルデスにある教会(3:1~6)ー宗教改革時代の教会の型。 

フィラデルフィアにある教会の型(3:7~13)ー大宣教時代の教会の型。 

⑦ラオデキヤにある教会(3:14~22)ー背信の教会の型。つまり、現代の教会の型です。

 

2~3章に当てられた手紙の内容を、教会史の観点から解き明かすと、

 

【エペソの教会時代】

黙示録2:1 ーエペソにある教会に書き送れ。
『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。

 

・宛先:エペソ…好ましい、の意。
・年代:AD30〜100年頃 ペンテコステ使徒ヨハネが死ぬまでの期間
・キリストの姿:右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方。 

*星…御使い

*燭台…教会


黙示録2:2ー「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

 

*わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている…賞賛

エペソの教会の信者たちは、自称使徒たちの偽りの教えを見抜きました。
エスの名のためによく忍耐し、疲れたことがありませんでした。

使徒の働き20:29~31私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

 

パウロはエペソの教会の指導者たちに偽教師に注意するようにと警告しています。


黙示録2:3ーあなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

 

偽教師たちに注意するようにという警告に基づいて、エペソの教会は偽りの教えに勝利しました。
偽教師たちによる偽りの教えに勝利したというのが、使徒時代の教会の特徴です。 

 

*教会…エクレシア 『召された者(の集まり)』の意
つまり、キリストの福音(1コリント15:3~4)を信じる者の集まりである『普遍的教会』を指します。
地域教会でなく、この普遍的教会こそが『キリストの花嫁』となる人々です。


黙示録2:4ーしかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

 

*初めの愛から離れてしまった…叱責
エペソの教会は神のみことばから離れ、イエスに対する愛が弱まったということです。

私たちも聖書のみことばがから離れると、たちまちこの世の価値観、自己中心性へと引き戻されてしまいます。

ヨハネ14:15ーもしあなたがたが、わたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

ヨハネ14:23ーだれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

ヨハネ14:24aーわたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。

 

*わたしのことば…教会時代の信者に対するキリストの律法、命令、戒めは、使徒たちの書簡(特に異邦人への使徒となったパウロ書簡)に記されています。

 

使徒たちは復活の主に ⤵️ のように命じられました。

マタイ28:20aーまた、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

そのために書簡を残しました。

その書簡により、現代を生きる私たちもキリストの律法を知ることができるのです。


黙示録2:5ーそれで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

 

*悔い改め…教会ではよく『反省』の意味で使われますが、本来は、聖書のみことばに合わせて自分の考え方を変えることを意味します。方向転換。
神は、エペソの教会に対し、悔い改めることをしないならば、あなたの燭台(教会)をその置かれた所(エペソ)からとりはずすと警告されました。

 

*燭台…暗やみを照らすためのもの。

つまり、教会が「世の光」としての役割を果たさなくなれば、取り外されてしまいます。事実、エペソの教会はなくなってしまいました。 
我が家の近所にあった大きな教会も現在ではファミレスに変わってしまっています。

 

聖書を神のことばだと信じない指導者、聖書の一部を御伽話、神話とする者、パウロを偽使徒呼ばわりし、パウロ書簡を軽んじる者、聖書にはないセカンドチャンスを吹聴する者など、現代の教会も『悔い改め』が必要です。
エペソの教会同様、初めの愛、行ないに立ち返るべきではないでしょうか。


黙示録2:7ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』

 

*耳のある者…霊的な耳/みことばを聞く準備ができている者

 

*御霊が諸教会に言われることを聞きなさい…訓戒

 

*神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう…約束

 

*パラダイス新約聖書に3カ所だけ出てきます。

①地の下の死後の世界『陰府』にあった時
ルカ23:43ーイエスは彼に言われた。「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」

②キリストの昇天と共に第三の天に移された後
Ⅱコリント12:4ーパラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。

③完成された天の都エルサレム
黙示録2:7ー神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。

 


【スミルナの教会時代】

黙示録2:8ーまた、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。

 

・年代:AD100頃~313年まで
この年にミラノの勅令が発布され、キリスト教がローマの公認宗教となり、迫害は止みました。

 

*スミルナ…宛先 『没薬』の意
没薬は、遺体を埋葬する時に用いられました。

ヨハネ19:39~40ー前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持ってやって来た。
そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。


*初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方…この教会に対するキリストの姿
迫害時代で日々 死の恐怖と直面していた人々にとっては、『死んで、また生きた方』というイエス様の姿は、死後のいのちを保証し、大きな励ましとなっていたと思われます。

 

この教会に対する叱責の言葉は、いっさいありません。

まことのキリスト信者なら、迫害を避けて通ることはできません。
主も預言して言われました。
ヨハネ15:20ーしもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。

 

この証言をした使徒ヨハネ自身も『神のことばとイエスのあかし』の故に、パトモス島に流刑されました。
黙示録1:9ー私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

 

あなたは信仰による迫害を受けたことがありますか?
その迫害の理由は『神のみことば』を伝えたからですか?
『キリストをあかし』したからですか?


黙示録2:9ー「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。--しかしあなたは実際は富んでいる--またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

 

*あなたの苦しみ…迫害の中にあること

 

*貧しさ…物質的貧しさ

 

*富んでいる…霊的に富んでいるということ
スミルナの教会は苦難の教会でした。
ユダヤ人を自称しながら、実質はサタンの会衆に属している人たちからののしられていました。
これ以上の記述は無いので、どの歴史的事件を指しているのかは不明です。

 

現在もクリスチャンを自称しながら、ほかの福音を信じている人たちの実質はサタンの会衆と言えるでしょう。
今一度、自分がどの福音に立っているのか、みことばから吟味してみましょう。

 


黙示録2:10ーあなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

 

*十日の間、苦しみを受ける…悪魔によって十日間苦しみを受けるということですが、ここでの「十日」は象徴的な日数です。
AD96~313年の間に教会を迫害した十人のローマ皇帝が出ているので、「十日」とはその十人のローマ皇帝による迫害の期間ととることができます。

 

*死に至るまで忠実でありなさい…迫害の中にいる信者たちへの命令

 

*いのちの冠…キリストの御座の裁きで、信者が戴く報酬の一つ。

 


黙示録2:11ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』

 

*第二の死…霊的救いの機会を完全に失うこと

 

人間には、誕生も死も2回ずつのチャンス!?があります。
①肉体の誕生
母の胎からの誕生…水(羊水)によって生まれること。

ヨハネ3:5ーイエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

この『水』をバプテスマの水と解釈すると、文脈とつじつまが合わなくなるので要注意です。母の胎内にいた時の『羊水』のことであり、肉体の誕生を意味することばです。

②霊的誕生
御霊により神の子として誕生
ヨハネ3:6ー肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 

❶肉体の死

ローマ5:12ーそういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、--それというのも全人類が罪を犯したからです。

 

詩篇90:10ー私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

この誕生〜肉体の死までの間にのみ、霊的(たましいの)救いの機会が与えられています。

 

❷霊的死
マタイ10:28bーたましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 

霊的に誕生した者は、肉体の死を迎えてもたましいの死を経験することはありません。キリストにあって永遠のいのちを得ているからです。

イザヤ55:6ー主を求めよ。
お会いできる間に。
近くにおられるうちに、呼び求めよ。

 

どうか肉体が生きている間に、神を呼び求める人々が大勢起こされますように。
そのために私たちがなすべきことをすることができますように。
救い主、主の御名によって祈ります。
アーメン

 

【ペルガモの教会時代】

黙示録2:12ーまた、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。
『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。

 

・年代:AD313~600年 

AD313年のミラノの勅令により、キリスト教がローマの公認宗教となって以来、国家と結婚したような状態になりました。

信仰は強制されるべきものではなく、個人の自由意志によるべきです。

 

宛先:ペルガモ…『国教(コンスタンティヌス)』時代の教会

 

*鋭い、両刃の剣を持つ方…この教会に対するキリストの姿は、裁き主です。

ヘブル4:12ー神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。


黙示録2:13「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

 

*サタンの王座…ペルガモの町は、偶像崇拝の中心でした。そこには蛇を祀ったエスクラピアスの神殿がありました。
蛇は悪魔の別な名称にもなっています。
『サタンの王座』とは、その神殿を指すものと考えられます。

黙示録12:9ーこうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

 

*忠実な証人アンテパス…この人物に関する記述はここ以外にはありません。

 

・賞賛…主イエスは、アンテパスというキリスト者が殉教した時でも、ペルガモの教会が信仰を捨てなかったことを褒めています。

 


黙示録2:14ーしかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

 

*バラム…バラムは、メソポタミアの占い師であり、預言者でした。モアブの王バラクに、イスラエルを呪う預言を宣告するようにと雇われました。その計画に失敗したため、荒野を旅するイスラエル人に呪いをもたらそうとし、モアブ人(創世記19:30~38)とミデヤン人(創世記25:2、出エジプト2:16~21)の女を使って、性的に誘惑し、最終的に偶像礼拝へと誘い込みました。この計画は成功し、イスラエル人の多くが神の裁きによって滅ぼされました。しかし結果として、バラム自身とミデヤンの破滅を招きました民数記25:1~16, 31:1~20, 申命記23:3~6)

 

*バラムの教え…異邦人との姦淫と偶像礼拝による堕落の奨励

国家と結婚した『国教時代』の教会は、霊的姦淫と偶像礼拝をもたらしました。
キリスト教は国家教会となり、洗礼によって形式的信者を増やし、遺教的習慣を持ち込みました。
これが後に、ローマ・カトリック教会の非聖書的な偽りの教えに発展する芽となっていきました。

 

現在でも、クリスチャンホームに生まれ育つと、キリストの福音が何かを理解しないまま、ただ教会に幼い頃から通っているという何となく雰囲気で自分もクリスチャンだと思い込む形式的信仰に陥っている人がいます。
形式的信仰から目覚め、聖書のみことばにしっかりと立つ信仰の歩みをすることが大事です。

 


黙示録2:15ーそれと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

 

*ニコライ派…聖職者と一般信徒とを区別する教えです。
私たちが気をつけなければいけないのは、『その教え』が神から来たものなのか、人間から来たものかを判別することです。

 

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

「◯◯牧師が言ったから…」「△△神父が言ったから…」というだけでは不十分です。なぜなら彼らも私たちと同じ人間だからです。

 

ローマ3:10ー義人はいない。ひとりもいない。 

 

ですから、必ずみことばで確認することが重要です。

 

 

黙示録2:16ーだから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。

 

*悔い改めなさい…『反省』ではなく、自分の考え方を聖書のみことばに合わせて変えていくこと。

 

ペルガモの教会の信者たちは、偶像崇拝、霊的不品行に繋がるニコライ派の『間違った教え』に対して盲従するのではなく、みことばで確認し、考え方を聖書に合わせて変えなさいという主の命令を受けました。

 

私たちはどうでしょうか?
指導者たちでさえ、教えられた教会の伝統的解釈をみことばで吟味することなく、愛や恵みというオブラートに包んで横流ししているように思えます。その教えを聞く会衆側もしかりではないでしょうか?
そのまま『悔い改める』ことなく、信仰生活を続けますか?

 

*もしそうしないなら…もし悔い改めないなら、の意。

 

*わたしの口の剣…キリスト・イエスの口から出るみことば


エペソ6:17ー救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 

主イエスは、ご自身のみことばを持って「彼ら(みことばに合わせて考え方を変えずに、間違った教えに奉じ続ける人々)と戦おう」と宣言されています。
その時まで不従順のまま、信仰生活を続けたいですか?

 

Ⅱコリント6:2ー神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 

主よ。
多くの人が神のみことばに立ち返ることができますように。
御霊の導きがありますように。
御名によって祈ります。
アーメン

 


黙示録2:17ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』

 

*マナ…神が与えられるパン

詩篇78:25ーそれで人々は御使いのパンを食べた。
神は飽きるほど食物を送られた。

 

ヨハネ6:48~51ーわたしはいのちのパンです。
あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。

 

エスご自身がいのちのパンです。このパンを食べるなら、復活の栄光のからだで永遠に生きられます。 
つまり、悔い改めて神に立ち返る (私たちの罪の贖いのための十字架の死、罪の無い者としての葬り、復活というキリストの福音を信じる)なら、イエスといういのちのパンが与えられ、永遠に生きるという約束です。

 

*白い石…神に受け入れられたことを示すしるし
ローマ時代の裁判では、無罪になった者には『白い石』が与えられました。 

 

罪の悔い改めと主イエスへの信仰がなくては、マナも白い石もいただくことはできません。
バプテスマを受けたから、毎週教会に通っているからクリスチャンなのではありません。立っている福音が使徒たちが宣べ伝えた福音と一致しているかが、御霊の内住の鍵です。


御霊は、御国を受け継ぐことの保証であり、携挙に与る証印です。

エペソ1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

エペソ4:30ー神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

 

自分自身の信仰が形式的になっていないか、聖書的福音に立っているか確認しましょう。
御霊の内住がなければ、携挙に与ることはできません。

 


【テアテラの教会時代】

黙示録2:18ーまた、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。

 

・年代:AD600~1,517年 

AD1,517年は、マルチン・ルターによる95ヶ条の提示により宗教改革が始まった年です。

 

*テアテラ…宛先 『継続した犠牲』の意
キリストの十字架の意味を誤解し、モーセの律法に基づく動物のいけにえのように継続して犠牲を捧げている状態を暗示しています。

 

*燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような神の子…テアテラの教会に対するキリストの姿
裁き主としてのイエスを表わしています。

 

この時代の教会は、ローマ・カトリックの教理を体現する『暗黒時代』と言われています。

ローマ・カトリック神学では、聖餐式においてパンと杯は本当にキリストのからだと血となるとされ(化体説)、すなわち、キリストは再び犠牲となることになります。

一般信徒にはパンだけが与えられ、杯は与えられません。

キリストの血をこぼされると困ると信じているためです。

このように、ペルガモの教会時代のニコライ派から始まった聖職者と一般信徒との差別が実現されたのが、テアテラの教会の時代です。

 

この時代が暗黒時代と言われる理由は、新約聖書が記す教会とは異なる宗教体系となり、10の非聖書的教理が導入されたからです。
①行ないによる義認
②洗礼による再生
③聖人偶像
④聖職者の結婚禁止
⑤聖職者に懺悔し、聖職者は罪の赦免を宣言。
⑥煉獄(死により聖化は全うされないとし、天国に行く前に整えられる場所)
⑦化体説
⑧免罪符(献金により煉獄の時間を減らす)
⑨赦しの秘蹟(煉獄での時間を減らすための肉体的苦痛の行)
⑩聖母崇拝

 


黙示録2:19ー「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

 

*愛と信仰と奉仕と忍耐…テアテラの教会に対する賞賛
彼らの善い行ないは、初期の頃よりまさっていると、賞賛されています。

 


黙示録2:20ーしかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

 

*イゼベル旧約聖書に登場するアハブ王の妻で、聖書史上『悪妻』として知られています。1列王記16:31, Ⅱ列王記9章


イゼベルは偶像礼拝と不品行だけでなく、新しい教えを教会に持ち込みました。
聖書的とは言えない『わざによる救い』『洗礼による生まれ変わり』『煉獄の教え』、また聖餐式のパンとぶどう酒の教えを聖職者と一般信徒を区別するなどが導入されたのもこの時代です。

 

使徒17:11に従い、みことばからの確認がいかに重要か分かりますね。
自分が正しいと思っていたことが、みことばに照会した時に違っていることがわかったら、みことばに合わせて自分の考え方を変えていくことが、聖書的『悔い改め』です。

 

テアテラの教会は、自称女預言者のイゼベルをなすがままにさせていると、ここから23節まで叱責が続きます。

 

 

黙示録2:21ーわたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

 

*この女…イゼベル

聖書の中で女性が象徴的に用いられる場合、宗教的存在を意味します。
肯定的には、YHWHの妻としてのイスラエルやメシアの花嫁となる普遍的教会。
否定的には、マタイ13:33のパン種を仕込む女や黙示録17章の大淫婦とここのバアル礼拝を導入したイゼベルです。

 

1列王記16:29~33ーオムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。
オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行った。
彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。
さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行った。

 

バアル礼拝は性的不品行を伴いました。

 

*悔い改めの機会を与えた…神の慈愛と忍耐により、霊的姦淫(偶像礼拝)、性的不品行を悔い改め、みことばに立ち返る機会を与えられても、悔い改めることをせず、罪に留まったテアテラの教会(ローマ・カトリックの型)に対して、次の22~23節でイゼベルに対する裁きが記されています。

 

 

黙示録2:22ー見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

 

*病の床…呪い
ここでは、七年間の大患難時代を指します。

 

*この女…テアテラの教会時代に、イゼベルによって導入された偽りの教理を受け継ぐローマ・カトリック教会を指します。

 

キリストの福音を信じる普遍的教会がキリストの花嫁であるように、ローマ・カトリック教会が率いる世界統一宗教としての偽りのキリスト教は、反キリストの花嫁となります。

 

ダニエル9:26その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

ここからから、反キリストはローマから出ることがわかります。

 

*この女と姦淫を行う者たちローマ・カトリック教会の信者たち

 

*この女の行い…偶像礼拝と霊的姦淫

 

*離れて悔い改めなければ…神からの警告⚠️

みことばに立ち返り、キリストの福音を受け入れることをしなければ、の意。

 

*大きな患難…七年間の大患難時代

花婿のお迎えである携挙に与れず、地上に取り残され、患難時代を通過させられるということ。


たとえ患難時代を生き延びたとしても、彼らに残された救いの機会は、患難時代中期までです。

患難時代中期に反キリストの偶像を拝み、右手か額に反キリストの名を意味する666の刻印を押された者は、肉体が生きていても救いの機会を失います。彼らは患難時代後半の裁きを受ける人々です。その裁きとは、肉体のまま地獄の予告版(暗黒、太陽の火によって焼かれるが死を求めても死ねない、神を汚すことを言い続ける)を体験することになります。黙示録16章

 

世間一般的には、ローマ・カトリック教会も『キリスト教』だと思われていますが、その教えは聖書から大きくかけ離れています。
別な宗教として捉え、聖書的キリスト教と明確に区別すべきです。

 

 

黙示録2:23ーまた、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

 

*女の子どもたち…非聖書的教えに留まるローマ・カトリック教会の信者たち

 

*死病によって殺す…彼らは患難時代を通過させられ、神の裁きによって肉体の死を迎えることになります。

黙示録6:8ー私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。

 

その目的は、『全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる』ためです。

 

*行いに応じてひとりひとりに報いよう…患難時代を生き延びた異邦人は、患難時代の終わりに地上再臨されるキリストによってヨシャパテの谷(ケデロンの谷)に集められ、『羊とやぎの裁き』に立ちます。

ヨエル3:2ーわたしはすべての国民を集め、
彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、
彼らがわたしの民、
わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで
彼らをさばく。
彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、
わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。

『行ないに応じて』というのは、患難時代を生きるイスラエルの民に対して、どのような態度をとったのか?ということが、羊組になるか、やぎ組になるかが決まります。

 

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今はまだ携挙前なので、悔い改めてイゼベルから離れば、携挙の恵みに間に合います。

 

 

黙示録2:24ーしかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。

 

24~25節は、テアテラの教会の中の『イゼベルの非聖書的教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていない人々』に対する奨励です。

 

*ほかの重荷を負わせない…キリストの律法は、負いやすい愛と恵みの律法です。

マタイ11:29~30ーわたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 

エスの学校に入り、イエスから学び、実行すれば、たましいに安らぎが来ます。
キリストの律法以外の重荷を負わされないように気をつけて、信仰生活をしましょう。

 

 

黙示録2:25ーただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。

 

*持っているもの…反キリストの花嫁を育てているローマ・カトリック教会の教えに染まらず、みことばに立った純粋な信仰を持つ信者に対する奨励。
新約聖書の真理をしっかりと持ち続けること。

 

 

黙示録2:26ー勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。

 

イゼベルの教えを受け入れたローマ・カトリック教会の虚偽の権威とは対照的に、『勝利を得る者』は栄光のからだで千年王国に入れられ、諸国に対する権威が与えられます。

 

 

黙示録2:27ー彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。

 

*鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める千年王国で誕生する異邦人の羊組の子孫は、100歳までにイエスが御国の王の王であることを受け入れる必要があります。👿の誘惑はありませんが、原罪があるが故に王の王に反抗する者たちが出ます。

 

100歳になってもまだ反抗する者たちは、『鉄の杖で打ち砕かれ』て、肉体の死を迎えることになります。
千年王国にはまだいのちの木は無いので、100歳での肉体の死があります。

イザヤ65:20ーわずか数日で死ぬみどりごと、
おのが命の日を満たさない老人とは、
もはやその中にいない。
百歳で死ぬ者も、
なお若い者とせられ、
百歳で死ぬ者は、
のろわれた罪びととされる。【口語訳】

 

 

黙示録2:28ーまた、彼に明けの明星を与えよう。

 

*明けの明星イエス・キリスト

黙示録22:16ー「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である」

 

 

黙示録2:29ー耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』

 

*耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい…命令

 

聖書の啓示している真理以外の教えを、真理として教える者は、自らが患難時代に投げ込まれるだけでなく、その偽りの教えを聞き、信じる者までも巻き添えにしてしまいます。

キリストの命令は、パウロ書簡に記されています。

Ⅱテモテ2:15ーあなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。