サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヨハネの黙示録22章

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*『神様のご計画』の表訂正:X 五旬節/ペンテコステ 使徒1:9 →O 使徒2:1~4

 

いよいよ黙示録のまとめも最後の1章となりました。聖なる都エルサレムの特徴、残りの四つです。

きっと私たちの創造をはるかに越えた素晴らしい都なんでしょうね。

そこに永遠に住める恵みを感謝しつつ…

 

黙示録22:1【8】いのちの川。

この川は、神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れている、水晶のように光るいのちの水の川です。

 

黙示録22:2【9】いのちの木。

いのちの水の川の両岸には、いのちの木が植わっています。

この木はもともと、エデンの園にありました。cf 創世記2:9、3:22。

それが戻って来たのです。

毎月…太陽と月がなくなるので、今の私たちが認識している方法とは別に、暦が定められます。

 

その新しい暦に基づき、毎月12種の実を実らせます。

諸国の民…異邦人のこと。聖なる永遠の都においても、イスラエル人と異邦人の区別は存在します。

いやし…その都に存在する病のいやしのことではなく、健康を与えるということです。

いのちの木の葉…ゆえに、病気は存在しません。

 

黙示録22:3~4【10】都の住民。

黙示録22:3ーすべての呪いは取り除かれ、理想的な環境が実現しています。

父なる神と小羊とが、御座に着いておられます。

キリストによって贖われたあらゆる時代の聖徒たちが、その都の住民です。

 

黙示録22:4ー住民は神に仕え、神の御顔を仰ぎ見ています。そして彼らの額には、神の名が印され名実ともに神の民、神が所有される宝の民となります。

 

黙示録22:5【11】夜がない。

夜がない…罪から来た呪いであるやみが取り去られたということです。

太陽や月がなくても、都の光源は「神の栄光」です。

 

神の発する栄光の光は、シャカイナ・グローリーです。贖われた者たちは、この神の光に照らされて祝された生活を送るのです。

cf ヨハネ8:12ーわたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。

 

黙示録22:6ーこれらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。…神による証認

預言者たちに啓示を与えてこられた御霊なる神ご自身が、ヨハネにこれらの啓示を与えられました。

御使いがその啓示の仲介役をしました。

 

cf 黙示録1:1イエス・キリストの黙示。これはすぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。

 

黙示録22:7ーこの書の預言の堅く守る者は、幸いである。

堅く守る…みことばを心に留め、見張っている状態。

cf 黙示録1:3ーこの預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

 

黙示録22:8ヨハネはこれらの啓示の仲介役となった御使いの足元に、ひれ伏して拝もうとしましたが、御遣いはそれを制止しました。

御使いは創造主ではなく、被造物なので、御使いを拝む対象にするということは、偶像崇拝になるからです。

 

聖なる天使はこのことをわきまえていますが、神のようになりたい墮天使は、この世の富や栄華をチラつかせて、喜んで拝ませるように仕向けます。

 

cf マタイ4:8~9ー今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」

 

黙示録22:9ー御使いのこのことばは、ヨハネが記録した内容を、真実なものとして認証したことを意味します。

神を拝みなさい…拝むべき対象は、創造主なる神様だけです。アーメン。

 

黙示録22:10【第一の宣言】

封じてはならない…御使いが神からの宣言のことばを伝えました。

 

cf ダニエル12:4ーダニエルよ。

あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ

多くの者は、知識を増そうと探り回ろう。

 

ダニエル書は長期にわたる出来事を預言していますが、彼自身自分が書いている内容を十分理解していませんでした。そのため神は、終わりの時が来るまで、そのことばに封印するように命じられました。その預言が黙示録に至って奥義として明らかになったため、ヨハネは封じてはいけないと命じられました。

 

黙示録22:11【第二の宣言】

このことばは、聖徒と汚れた罪人に向けられました。

聖徒たちは黙示録の内容を受け入れ、ますます聖なる歩みをしようとしますが、神を信じない罪人たちは、黙示録の警告を無視し、ますます自分が汚れたものであることを証明することになるのです。

 

黙示録22:12【第三の宣言】

見よ。わたしはすぐに来る。…キリストの空中再臨。携挙。

聖徒たちは携挙され、祝福のためのさばき(信仰生活の決算報告)を通過します。

一方、キリストを信じない者は、地上に残され、患難時代を通過させられます。

 

黙示録22:13【第四の宣言】

キリストは永遠の昔から、永遠の未来に至るまで存在されるお方であるというものです。

 

黙示録22:14【第五の宣言】

聖なる都の住民に関するもので、神の小羊の血潮によって贖われた者だけが、この聖なる都に入ることができるのです。

自分の着物を洗って…キリストの血潮によって、罪から清められる決心をした信者のこと。

 

黙示録22:15【第六の宣言】

贖われていない者たちの悲惨な状態に関するもの。

外に出される…聖なる都に入ることができない。外の世界は、「燃える火と硫黄との池」=永遠の苦しみの場所です。

 

黙示録22:16【キリストの宣言】

六つの宣言に続き、第七の宣言はキリストの自己宣言がなされます。

 

「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

 

ここでイエスは、ヨハネに啓示を与えられたのは、ご自身であると宣言されました。

ダビデの根、また子孫…イエスは人として、ダビデの子孫として誕生されたということです。

輝く明けの明星…イエスの神性を表わします。明けの明星が輝くように、イエスはシャカイナ・グローリーを輝かせる方です。

 

*神の御子イエスが与えられた啓示であるがゆえ、ヨハネの黙示録に書かれている事は信頼できるのです。

 

黙示録22:17ー来てください…*この訳は要注意です。

主イエスに向けられて「来てください」と訳されていますが、文脈上はむしろ「来なさい」と訳すべきです。

つまり、「罪人へ差し出された救いへの招き」と取るべきであり、その方が、文脈上つじつまが合うのです。

 

御霊と教会とが協力して「来なさい。」と罪人を招いています。

招きのことばを伝えるのは、自らが救われた経験を持つ教会の役割です

その招きのことばを聞いた人を悔い改めに導くのは、御霊の役割です。

 

cf 1コリント12:4b聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です。」と言うことはできません。

 

渇く者…罪人のこと。

聖なる都エルサレムにある「いのちの水」を飲めるのは、キリストを信じた者だけだからです。人は、恵みにより信仰によって救われ、ただでいのちの水を飲めるようになるのです。

 

神様は聖書66巻の最後の最後に至るまで、罪人を招いておられるのです。

神は愛なり。アーメン

 

黙示録22:18~19【二つの警告】

黙示録22:18(1)黙示録の預言に何も付け加えてはならない。

付け加える者は、自らの不信仰を証明することになります。そのような人は、この諸に書かれている災害を受けることになります。cf 申命記4:2。

 

黙示録22:19(2)黙示録の預言から何かを取り除いてはならない。

取り除く者もまた、みずからの不信仰を証明することになり、いのちの木の祝福に与ることはできません。

 

*この二つの警告は、第一義的には黙示録の預言に手を加えてはならないというものですが、黙示録は聖書全体の預言のまとめとなっていることから、聖書66巻全体に手を加えることを禁止したものであると考えられますので、皆様、要注意です。

 

キリスト教の異端と言われるものの特徴は、聖書以外に独自の聖典を所有していたり、聖書研究という名目で独自の出版物を使用していることです。あるいは聖書のみことばを、自分たちの教理に合うように手を加え、改ざんしていることもありますので、要注意です。

 

黙示録22:20ー「しかり。わたしはすぐに来る。」…このイエスの約束のことばが語られてから、約二千年が経過していますね。

主がキリストの花嫁である私たちを迎えに来るのは、もうすぐかもしれません。

あなたは「キリストの花嫁」としての支度が整っていますか?

 

「アーメン。主イエスよ、来てください」と今、応答できる状態にありますか?

 

きょう、もし御声を聞くならば、

あなたがたの心をかたくなにしてはならない。ーヘブル4:7b。

 

黙示録22:21ー主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

黙示録、聖書66巻はすべての人への祝祷をもって終わっています。

 

すべての人が創造主であり、贖い主であるキリストに立ち返ることができますように。アーメン。