サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

行ないによる「義」と信仰による「義」〜モーセ、ヨシュア、エリヤ〜

聖書66巻の中で神様が人間と結ばれた契約は全部で八つ。

エデン契約(条件付き契約)、アダム契約、ノア契約、アブラハム契約、モーセ契約(条件付き契約)、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約です。

 

エデン〜ノア契約までの三つが人類全般と、アブラハム〜新しい契約までの五つがイスラエルと結ばれ、異邦人と結ばれた契約は一つもありません。

 

神様がイスラエルと結んだ最後の契約は、エレミヤ書31:31ーその日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。

それが新約で、イエス・キリストによって成就しました。これは「モーセ契約」つまり613ある律法に対する「新しい契約」です。

 

律法は罪を知らなかったイスラエルの民に、罪を明らかにしました。罪を犯した民が神様との関係回復のために、祭儀と祭司制度が与えられました。しかし、それは罪を覆って神様との関係回復をはかるだけであって、律法を守るという行ないだけでは、救いに至ることはないのです

 

【主】が顔と顔を合わせて選び出されたモーセは、アブラハム契約で示され、土地の契約で再確認された「約束の地」に入ることは出来ませんでした。

それは何故でしょう?神の命令に背いて、モーセが杖で岩を二度打って水を出したからでしょうか?だとしたらちょっと裁きとしては重いと思いませんか?

 

民数記20:11ーモーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。

  

1コリント10:4ーみな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

 

モーセが杖で打った「岩」とは、キリストのことだったのです。「一度打つ」というのは、十字架を意味します。一度十字架の贖いを信じたら、後は願うだけで良かったのです。それを「二度打つ」というのは、キリストの十字架の贖いを認めずに繰り返し動物のいけにえを捧げる不信仰のゆえの行動なのです。

 

 

モーセの後を継いだのは、ヨシュアでした。彼は元々は「ホセア」という名でしたが、モーセがカナンの地へ偵察隊を遣わした時に「ヨシュア」と名づけています。cf 民数記13:16。

ホセアー「救い」の意。

ヨシュア「主は救い」の意で、へブル語。「イエス」はヨシュアのギリシャ語読みです。

 

民数記13章には、12部族から族長が代表としてカナンの地へ偵察に遣わされました。12人中10人までもが尻込みをし、積極的な態度を撮ったのは、エフライム代表のこのヌンの子ヨシュアユダ族代表のカレブの二人だけでした。

 

イエス(ヘブル語読み:ヨシュア)は、ユダ族がら誕生します。

 

分かります?

律法の代表とも言える「モーセ」は、約束の地=カナンの地をピスガの頂から見せられただけでした。

約束の地の全領土は、将来のメシア的王国(千年王国)でイスラエル人のものとなり、アブラハム契約の土地に関する条項(土地の契約)が成就します。

 

そこに入って地を受け継ぎ、住むことが出来るのは、神の啓示を信じて義とされた者とメシアを信じる信仰を持ったイスラエル人だけです。

メシアを信じる異邦人は、約束の地イスラエルではなく、異邦人の受け継ぐ地に住むことになります(イスラエルに仕える一部の異邦人は除く)

 

つまり、律法によっては「義」と認められる人は一人もおらず、律法は人々を救いに導くことは出来ないのです。

その律法の代表として、レビ人のモーセは約束のカナンの地に入ることは出来なかったのです。

 

代わりにユダ族(南ユダ)のカレブとエフライム族(北イスラエル)のヨシュア(イエス)が、この時に既に成人していた人たちの中で唯一カナの地に入って行きました。

メシア的王国において、約束の地を受け継ぐ信仰による義の「型」を現わさせたのです。

 

マタイ17:1~3ーそれから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。

そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

しかもモーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。  

 

マタイ17:1ーそれから…ペテロの信仰告白と、イエスの十字架と自力復活を話された日のこと。cf マタイ16:13~28。

ペテロ、ヤコブ、ヨハネ…イエスの一番弟子たち。

マタイ17:2人として来られた神の子のシャカイナ・グローリーが現われた、イエスの変貌。

 

マタイ17:3モーセ…律法の時代の代表者。律法による「行ないによる義」では、約束の地に入ることはできなかった。肉体の死を経て、御国に入る者の代表。

エリヤ…旧約時代に肉体の死を通らずに天に挙げられた。(死を見ずに天に挙げられたのは、創5:24ーエノクと二人だけ)「携挙」の型。

 

その二人がシャカイナ・グローリーを放たれる神の子、メシアと共に現われるというのは、肉体が滅んでもたましいは永遠に生き続けるということを示唆しています。

この時、二人はまだ栄光のからだである復活のからだは与えられていませんでした。それでもモーセとエリヤだと分かったのです。

 

律法が命じる行ないによって救われた人は、人類史上一人もいません。すべての人は、主よ、あなたの恵みにより信仰によって救われるという道を与えてくださり感謝します。どうかあなたに造られた者が皆、この「道」であるイエスさまを信じることができますように。アーメン。