聖書理解のために重要なことの一つに、文脈から意味をつかむというのがあります。
文脈を無視してみことばの一部だけを切り取って、現在の教会時代に当てはめようとすると、信仰生活が非常に苦しく辛いものになってしまいます。
また、文脈だけでなく、神のどの契約が有効の時代の人に対して言われているのかということも重要です。
【主】を『契約の神』だとしながら、神がどのような契約を結ばれているのかを無視した解釈も、聖書理解に大きな誤解をもたらします。
マタイ12章は、初臨の主イエスが語られた当時、どの契約が有効だったのか、誰に対して語られているのかに注意すべき聖書箇所です。
多くのクリスチャンは、マタイの福音書1章から『新約時代』だと思っています。
けれども『新約時代』というのは、神の旧いモーセ契約(律法)が終わり、新しい契約が有効になっている時代のことです。
モーセの律法に従って動物のいけにえが捧げられる旧約時代は、キリストが十字架で『神の小羊』として一度限りの永遠のいけにえとしての血を流された時に終わり、新しい契約が有効になりました。
ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
ヘブル9:13~15ーもし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とするでしょう。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
マタイ12:1~14では、『安息日』に麦の穂を摘んで食べたことが問題扱いをされています。『安息日』の命令は新しい契約にはなく、旧いモーセ契約のしるしであり、イスラエルの民(ユダヤ人)に与えられた命令です。
出エジプト記31:15~17ー六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
イスラエル人はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息をまもらなければならない。
これは、永遠に、わたしとイスラエルとの間のしるしである。それは主が六日間に天と地を造り、七日目に休み、いこわれたからである。」
※もし、「現在のクリスチャン(異邦人信者)も七日目の『安息日』を守るべきだ」と教えられているのなら、
①いつ『安息日』が土曜日から日曜日に変更されたのか?
そのことを命じている聖書箇所はどこなのか?
②安息日を違反した場合の罰則:『安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない』が実行されていないのは何故か?
を是非質問して、みことばから確認されることをお勧めします。
マタイ12:15~は、麦畑を去って行かれ、付いてきた人々をみな癒されたときに、鍵となる22節の『悪霊につかれて、目も見えす、口もきけない人』の癒しの一件から、『ベルゼブル論争』へと発展していきました。
その時の律法学者やパリサイ人とのやり取りの中で『汚れた霊』のことが語られました。
つまり、時代はまだモーセ契約(律法)が有効な旧約時代であり、神の御子イエス・キリストの初臨の時のイスラエルの民(ユダヤ人)に対して語られていますから、教会時代を生きる私たちに適用する内容ではありません。
神の選びの民であるユダヤ人たちが、どのようにメシアを拒否し、不信仰だったかを学び取るべき聖書箇所です。
マタイ12:43ー汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
*汚れた霊…悪霊/堕天使
ケルブだった最高位の御使いが堕落し『サタン』となった時に、神を離れサタンの手下になることを選んだ堕天使たちで大勢います。
マルコ5:8~9ーそれは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。
それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。
ヘブル1:14ー御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。
イエスの初臨時、世界中の悪霊たちがイエスのメシアとしての働きを妨害するために、イスラエルに集結していました。福音書の時代が一番悪霊たちが暗躍した時代です。
旧約聖書には数回しか悪霊は登場しません。創世記6:1~4, 申命記32:17, 士師記9:23, 1サムエル16:14 &23, 詩篇106:37
イエスの昇天後、初代教会時代の最初の30年間を記した使徒の働きにも2回しか出てきません。使徒19:12, 19:13~6
*人から出て行って…バプテスマのヨハネが、当時の人々にメシアを受け入れる準備をさせるために『悔い改めのバプテスマ』を施していました。ヨハネから『悔い改めのバプテスマ』を受け、きよめられた人を指す。
マタイ3:5~12ーさて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、
しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
私は、あなたがたに悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。
マルコ1:4~5ー バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
バプテスマのヨハネから罪の悔い改めのバプテスマを受けた人々は、空いた心にメシアを受け入れる部屋が整った状態でした。
追い出された悪霊は次の住処を探し回りますが、見つかりませんでした。
マタイ12:44ーそこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
*出て来た自分の家に帰ろう… ユダヤ全国とエルサレムの全住民が、バプテスマのヨハネから悔い改めのバプテスマを受けていたため、悪霊は入るべき人が見つからなかったのです。そのため、元々住み着いていた家(人)のところに帰ってみたところ、その家は綺麗に掃除されかたづいていましが、新しい住人はおらず空き家でした。(メシアを受け入れていない状態)
マタイ12:45ーそこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
*その人…キリストへの養育係であるモーセの律法を曲解した口伝律法を説いていたパリサイ人や御使いや復活の預言を信じないサドカイ人、彼らの教えに惑わされて、イエスのメシア性を拒否して、イエスのみわざを悪霊どものかしらベルゼブルの力によるものだと信じた当時の人々を指す。
*その後の状態は、初めよりもさらに悪くなります…その人々の最後は、『ベルゼブル論争』による初めの拒否によってメシア的王国が遠のいただけでなく、その後40年間の悔い改めの期間があったにもかかわらず、ユダヤ教の口伝律法の教えを頑なに守り続け、遂にA.D.70年にローマ軍によって神殿が崩壊、エルサレム陥落、世界離散となりました。
1,948年にイスラエル国家は再建され、世界中からイスラエル人が帰還していますが、彼らはまだイエスをメシアとして拒否したままです。
不信仰な状態のまま約束の地に帰還しているため、やがて神の裁きである『患難時代』を通過することになります。