マタイ12:22~28は【ベルゼブル論争】についての大事な記述。なぜなら、このときのパリサイ人たちの判断が、ユダヤ人たちにイエスをメシアとして認めさせない理由となったからです。
イエス様の時代、パリサイ人や律法学者たちは、悪霊の名前を聞き出し、その名を呼んで追い出していました。
しかし耳が聞こえず、口のきけない人についた悪霊の名前は聞き出せないので、彼らには出来ないわざでした。そこでパリサイ人たちは人々に、「それはメシアだけが行えるわざであり、メシアのしるしである。」と教えていました。
マタイ12:22ーその悪霊の追い出しのみわざをイエスがやってのけたのです。
マタイ12:23ー今まで聞かされ続けたメシアとしてのしるしを目の当たりにした群集は、「この人はダビデの子なのだろうか。(=メシアなの?)」と驚いて言い合っていました。期待しつつも確信がなかったのです。
マタイ12:24ーこの時のパリサイ人たちの判断が、重要な鍵なのです‼ 彼らは今まで教えていた通りイエスをメシアだと認め、群集に信じるように教えるべきでした。そうしたら福音はまずユダヤ人に受け入れられ、そしてユダヤ人から異邦人に伝えられるというご計画通りにいったのです。
十字架の縦軸ー神と人、横軸ーユダヤ人と異邦人という、キリストをかしらとしてひとつの神の家族となったはずです。しかし…パリサイ人たちは、イエスをメシアとして認めなかったのです。それどころか、メシアのしるしをは「悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊を追い出している。」と説明しました。
これがメシア拒否の正式理由となり、タルムードには“イエスは魔術によって人々を惑わせた”とあります。しかし彼らは、イエスのしるし(奇蹟)そのものを否定はしていません。
マタイ12:25~26ーイエスは「サタンの国ですら内輪もめしたら立ち行かない。」と言っています。
マタイ12:27ーパリサイ人たちは、自分たちは神の力によって悪霊を追い出していると公言していました。なのに自分たちよりも優れたみわざを行なったイエスは、メシアではなく、ベルゼブルによって悪霊を追い出しているという神学的矛盾を、イエスは指摘しているのです。
マタイ12:28ーここには『メシア宣言』があります。イエスの悪霊を追い出すという奇蹟は、神の御霊によるのだということ。もしそうであれば、それをあなたがたが受け入れるのであれば、神の国はもう到来しているのだと。
ユダヤ人がメシアを受け入れたなら、別な理由で十字架の贖いをし、三日目に復活し、シャカイナグローリーのない第二神殿に入られ、シャカイナグローリーを宿す御子がイスラエルの王として着座されたはずでした。
しかし民の指導者たちにより、この世代のユダヤ人から『神の国』は取り去られました。
このときのメシア拒否が、イエスの十字架の罪状(『ユダヤ人の王』)となり、この世代の人々とその子孫が負うことになりました。マタイ27:24~25。
次に提供されるのは、マタイ24~25章にあるとおり患難時代のユダヤ人たちです。
イエスの時代のユダヤ人たちは、イエスをメシアかもしれないと思っていました。救いまであと一歩だったのです。
しか〜し…指導者たちのリーダーコンプレックスによりメシア拒否を教えられ、それを鵜呑みに信じた民族的罪の結果、神の国を取り去られるという悲劇が起きたのです。
神様は罪を裁かれる方であると同時に、悔い改める者には罪を赦し、聖霊という助け主を与えて祝福してくださる愛のお方です。
七週の祭りというモーセ律法授与記念日に裁かれた『三千人』を、ペンテコステというキリストの律法を守れるように、聖霊を与え『三千人』を滅びから救ってくださいました。
レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。 出エジプト32:28
*七週の祭り(ペンテコステ)は、モーセがシナイ山で律法を授かった記念の日ですが、麓ではアロンが金の仔牛の像を作りました。偶像礼拝をした三千人が裁かれたのです。
そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。 使徒 2:41
*新約の時代になり、もう一人の助け主である聖霊が降臨されたのが、ペンテコステ(七週の祭り)の日。ペテロの説教により三千人が救われたのです。
主はいつも愛をもって罪人を導き、裁き、悔い改めた者を祝福してくださいます。その愛の証しが、御子イエスの十字架です。
どうか悔い改めが間に合ううちに、この十字架の愛と裁きを宣べ伝えていけますように。福音を受け入れる者が日々加えられますように。