第一神殿は、ソロモンが建てたので『ソロモンの神殿』とも呼ばれます。
それは、神の選びの民であるユダヤ人が、モーセの律法に従っていけにえの動物を捧げたり、祭儀を守るためのものでした。そのため『異邦人の庭』はありませんでした。
70年間のバビロン捕囚後、旧約聖書で唯一『油注がれた者』となったペルシャのクロス王の命令により、エルサレムへ帰還し、神殿を再建することになりました。
その時、総督として指揮したのがゼルバベル(ゾロバベル)であるため、第二神殿は『ゼルバベルの神殿』とも呼ばれます。
しかし、帰還した民は予想以上に少なく、資材もなく、完成した神殿はソロモンの神殿に比べると、規模も小さく、見すぼらしいものでした。
それでも70年の捕囚を経て、偶像崇拝の罪を悔い改めたユダヤ人たちは、今度こそ律法に忠実であろうと努める覚悟でいましたから、当然この神殿にも『異邦人の庭』は造られませんでした。
このゼルバベルの神殿に大改修工事を施したのが、ローマ帝国によってイスラエルの王となった『*エドム人、ヘロデ大王』です。*エドム人…アブラハムーイサクーエソウの子孫。
そのため、第二神殿は『ヘロデの神殿』とも呼ばれるようになりました。
イエスの誕生の頃は、軍事的にもローマの傘下で守られた『ローマの平和』と言われる時代でした。
建築に長けていたヘロデは、ユダヤ人の王であり続けるための手段の一つとして、BC20年頃から見すぼらしかった神殿の大改修工事を手がけます。規模も広げ、豪華に金をかぶせ、それはそれは立派なものに仕上げました。この時、ユダヤ人たちは「自分たちも自分たちの手で主の宮を建てたい。手伝いたい。」と、ヘロデの申し出ました。
ヘロデは半分馬鹿にしたように「あのような大きな石を運べるのか?」と彼らに問うと、「あのような大きな石は自分たちには運べませんが、小さな石なら運べます。」と彼らはやる気を見せました。それならばと、神殿の裏側(入口は東側)に当たる『西の城壁』建設だけユダヤ人に任せたのです。東、北、南の城壁は金箔をかぶせましたが、ユダヤ人にはそのような余裕はなく、西壁だけは現在と同じように石が積み重ねられたままでした。
こうしてハガイの預言が成就しました。
ハガイ2:9ーこの宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。私はまた、この所に平和を与える。ー万軍の主の御告げ。ー
ヘロデ大王の死後も大改修工事は続けられ、完成はAD64年頃でした。
完成とともに、18,000人以上の工事に関わっていたユダヤ人は職を失い、ローマ総督の悪政もあり、ユダヤ人の反乱が起こり、主イエスの預言どおり、神殿はAD70年アブの月の九日にローマ軍により崩壊しました。それは奇しくも、ソロモンの神殿がバビロン軍によって崩壊したのと同じ月、同じ日でした。
ローマ軍は神殿に火を放ち、豪華さを演出するためにかぶせてあった金は溶け、重ねてあった石と石の隙間に流れ込みました。冷えて固まった頃ローマ軍は戻って来て、石を崩しながら溶けた金をかき集めていったのです。
こうして、イエスが言われたとおりのことが成就しました。
マタイ24:1~2ーイエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
しかし『西壁』だけは初めから金がかぶせられていなかったので、崩されることはありませんでした。
興味深いことに、下の方の石はソロモンの神殿時代の大きな石が残り、上部は小さな石が積まれています。そしてそこは、神殿の奥に位置した『至聖所』に一番近い場所なのです。ユダヤ人の集まる『西壁=嘆きの壁』が『至聖所』に一番近い場所であり、現在もまだ残っているということに、神のご自分の『選びの民=イスラエル』に対する憐れみを感じずにはいられません。このようなところにも神の緻密なご計画を垣間見る気がします。
『異邦人の庭』は、ヘロデ大王によって設けられました。それは立派になった『第二神殿』を異邦人にも見せ、自分の力を誇示するために、もっと近くから神殿を見るようにという目的を持って、ここまでなら異邦人の入って来てもよいとする『異邦人の庭』を造ったのです。
アンティオコス・エピファネスもそうであったように、ヘロデ大王も祭司たちと結託し、神殿の境内(ヘロデは、異邦人の庭)を汚しました。
異邦人の庭には市がたち、祭司たち神殿関係者は不正な利益を得ていました。
ヨハネ2:13~17ーユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。
こうして主は、公生涯の初めに『宮きよめ』をなさったのです。一度は、きよめられた宮(異邦人の庭)ですが、十字架を前にエルサレムに上って来られた時に、再度宮きよめをしなくてはなりませんでした。
マタイ21:10~13ーこうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
群衆は、「この方はガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。
それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
3年の公生涯の間に二度も宮きよめをしなければならなかったことから、どれほど『異邦人の庭』が信仰から離れたものであったかが伺えるでしょう。
異邦人でユダヤ教に回心した者がいても、入れるのは『異邦人の庭』までとされていました。その奥には、ユダヤ人の『婦人の庭』があり、間には『隔ての中垣』があって『ここを超えて中に入ってくる異邦人はいのちをもってつぐなわなければならない』と書かれた札が掛けられていました。
その『隔ての中垣』を取り除いてくださったのが、キリストの十字架です。
エペソ2:13~16ーしかし、以前は遠く離れていた*あなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
*あなたがた…エペソの異邦人信者。
キリストこそ*私たちの平和であり、**二つのものを一つにし、***隔ての壁を打ち壊し、
*私たち、**二つのもの…パウロたちユダヤ人信者とエペソの異邦人信者。***隔ての壁…ユダヤ人の婦人の庭と異邦人の庭の間にあった隔ての中垣。
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
それだけでなく、十字架の死により、大祭司が年に一度しか入ることができなかった至聖所と祭司しか入れなかった聖所の間の幕が上から裂け、十字架により誰でも神の御前に近づくことができるようになりました。
ヘブル10:19ーこういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
神は、ヘロデの自己誇示という悪い動機をも用いられて、キリストによる十字架の贖いの意味を示してくださったのです。