ここはとても短い箇所ですが、幾つかの解釈がされる箇所でもあります。
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲヨハネの手紙を書いたのは、ヨハネの福音書や黙示録を書いた『十二使徒のひとり、ヨハネ』です。これらの書物の中でヨハネが記していることを考慮しながら、私が個人的に一番ストンと落ちた解釈をご紹介します。
どうか聖書全体の中での調和を考えながら、ご自身で『みことばから確認する』ことを怠らないようにしてくださいね。
1ヨハネ5:6ーこのイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血によって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
*あかし…何をあかしするのか?
それは『イエスが十字架の贖いをするために、人として来られた神の子である』ということです。
ヨハネ20:31ーしかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
1ヨハネ5:7ーあかしするものが三つあります。
*三つ…ここでは『イエスが人として来られた神の子である』ことを証明するために、三つあげられています。
なぜなら、『あかし』『証言』が有効とみなされるには、ふたりか三人以上必要だと聖書は定めているからです。
申命記17:6ーふたりの証人または三人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。
申命記19:15ーどんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。
マタイ18:16ーもし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。
1ヨハネ5:8ー御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
*この三つが一つとなる…ここからこの箇所は『三位一体のことである』と解釈してしまうと、『御霊=聖霊、◎』『水=御父、X』『血=イエス、◯』となってしまいます。
どう考えても『水=御父』とするのは、無理があるように思えます。(他のみことばから証明できません。)
*御霊…イエスの公生涯のスタートとなった、バプテスマのヨハネからヨルダン川でバプテスマを受けられた時、聖霊が目に見える形で下りて来られました。
バプテスマのヨハネが目撃者であることを、ヨハネは福音書の中で証言しています。(この時、著者ヨハネは、アンデレとともにバプテスマのヨハネの弟子であったと言われています。)
ヨハネ1:32~34ーまたヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。
マタイも福音書に記しています。
マタイ3:16ーこうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
マルコも記しています。
マルコ1:10ーそして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて、御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
ルカも記しています。
ルカ3:21~22ーさて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、
聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
もうお気づきですか!? イエス様のバプテスマの時、『三位一体の神』の表記があることに!!
*天からの声…御父。
*バプテスマを受けた方…御子。
*鳩…御霊。
*水…イエスがヨルダン川でバプテスマを受けられた時の水、と解釈。
マタイ3:13~15ーさて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。
しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
マルコ1:9ーそのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
*血…イエスが十字架の上で流された『血』。
ヨハネ19:34ーしかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。
聖書は『神は霊』だと記しています。
ヨハネ4:24ー神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
その神の御子が『人』として来られたのです。
ピリピ2:6~8ーキリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
神の御子イエスは、人間の罪を贖い、永遠の苦しみ『火の池』から救い出してくださるために、人して来てくださったのです。そして『神の小羊』としてのご自身の血を一滴残らず、十字架の上で注ぎ出してくださいました。
*血と水が出た…人間は死ぬと、すぐに体内の血液が分離します。兵士がイエスのわき腹を槍で突き刺した時『血と水が出た』とあるのは、イエスが完全に死なれたことを意味します。
これらのことから『御霊と水と血』があかししているのは、
①イエスが『神の子』であること。
②イエスが『十字架の上で死なれた』こと。
③イエスが『贖い主・救い主である』ことです。