ヨハネ20:1ーさて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
*週の初めの日…安息日明けの『日曜日』のこと
*マグダラのマリヤ…かつてイエスに七つの悪霊を追い出してもらった女性で、それ以降、イエスや弟子たちのお供をして奉仕していました。
ルカ8:1~3ーその後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次々に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。
また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、
自分の財産をもって彼らに支えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。
*七つの悪霊…『七』は完全数
『七つの御霊』に対抗する『七つの悪霊』であり、マグダラのマリヤは完
全に悪霊に支配されていた、ということ。
イザヤ11:2ーその上に、主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
はかりごとと能力の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。
かつて七つの悪霊に支配され、どん底にあった自分を救い出してくださったイエスに、マグダラのマリヤはどのような思いで従っていたでしょう?
マグダラのマリヤが墓に行ったのは、何のためだったでしょう?
*朝早くまだ暗いうち…まだ日が昇る前
この時点で、イエスが十字架で死んで墓に葬られてから約35〜36時間が経過しています。
この時間を彼女はどのような思いで過ごしていたと思いますか?
なぜ暗いうちから彼女は行動を開始しているのでしょう?
彼女がまず目にしたのは何でしょう?
ヨハネ20:2ーそれで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
マグダラのマリヤは、墓にイエスのからだが無いことを発見しました。
この時の彼女の気持ちはどんなだったでしょう?
*シモン・ペテロ…十二弟子(使徒)たちのリーダー
シモン…『シメオン』の略称
ペテロ…『小石』という意味のギリシャ語
*イエスが愛された、もうひとりの弟子…ヨハネの福音書、ヨハネの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、ヨハネの黙示録の著者ヨハネ
*「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」…マリヤのこの言葉にどんな思いが込められていると思いますか?
*私たち…イエスがアリマタヤのヨセフの新しい墓に納められる様子を見守っていた女たち。
マタイ27:55~56ーそこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
マタイ27:60~61ー岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
ヨハネ20:3ーそこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
*ペテロともうひとりの弟子…ペテロとヨハネ
ヨハネ20:4ーふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
ヨハネの方が走るのが速かったため、先に墓に着きました。
ヨハネ20:5ーそして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
先に墓の中を確認したのは、先に着いたヨハネです。
ヨハネは『からだをかがめてのぞき込み』、墓の中に置かれた亜麻布を見ました。
*亜麻布…死体を包む布として用いられました。
ほかの用途としては、祭司の服(出エジプト記28:1, 39)、幕屋の幕(出エジプト記26:1)、垂れ幕(出エジプト記26:31,36)、レビ人の歌うたいの服(Ⅱ歴代誌5:12)など。
ヨハネ19:40ーそこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
ヨハネ20:6ーシモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
少し遅れて墓に到着したシモン・ペテロは、『墓の中にはいって』確認しました。
ヨハネ20:7ーイエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
墓の中まで入ったペテロは、イエスのからだを巻いた亜麻布だけでなく、頭に巻かれていた布切れが離れた所に巻かれたままになっているのを見ました。
ヨハネ20:8ーそのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
ヨハネも後から墓の中に入って来ました。
*そして、見て、信じた…マグダラのマリヤの報告どおりだったこと、墓の中の亜麻布と離れた所に置かれた頭を巻いていた布切れとを『見て』、イエスの死体は盗まれたのではないこと(復活したこと)を『信じた』の意。
亜麻布や頭に巻かれた布切れが巻かれたまま墓に残されているというのは、イエスのからだが盗人によって盗まれたのではないことの証拠です。
ヨハネ20:9ー彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
盗まれたのではないとすると事実は一つですが、この時まで弟子たちはまだ理解していませんでした。
弟子たちが『理解していなかったこと』とは何でしょう?
ヨハネ20:10ーそれで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
*自分のところに帰って行った…家に帰った、の意
ルカ24:12ー[しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。]
ヨハネ20:11ーしかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
ペテロやヨハネとは違い、マリヤは中には入らず『墓の外』にいました。
*泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ…墓の中をのぞき込んでは泣き、泣いてはまたのぞき込むという繰り返しの動作を意味します。
なぜマグダラのマリヤは、泣き続けていたのでしょう?
ヨハネ10:12ーすると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
何度か墓の中をのぞき込んでは泣いていたマリヤが、目にしたものとは何でしょう?
ヨハネ20:13ー彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
*なぜ泣いているのですか…この前に、女性に敬意を持って呼びかけるギリシャ語『ギュナイ』があります。
御使いの問いかけに、マリヤは再びペテロとヨハネに報告したとおりに答えます。
この時点でのマリヤの頭の中はどのような思いでいっぱいだったでしょう?
ヨハネ20:14ー彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
マリヤが後ろを振り返ったとき、そこにいたのはだれでしょう?
なぜそれが彼女がどこに行ったのかと考えていたお方自身だとわからなかったのでしょうか?
ヨハネ20:15ーイエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
*なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか…ここにもギリシャ語の『ギュナイ』が冒頭にあります。
13節は御使いのことば、ここは復活されたイエスご自身のことばです。
イエスの弟子としてガリラヤからお供してして来たマリヤが、よく知っているはずのイエスの声や姿がなぜわからなかったのでしょう?
私たちの場合は、何がイエスを認識する妨げとなるのでしょう?
マリヤはイエスの死体を見つけたら、どうするつもりだったのでしょう?
ヨハネ20:16ーイエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
マリヤがイエスだと認識するきっかけとなったのは何でしょう?
ヨハネ10:2~4ーしかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
*彼女は振り向いて…14節で『後ろを振り向いた』とありますが、イエスだと気づかずにまた、墓の中をのぞき込んでいたのでしょう。ここで再び『後ろを振り向いて』います。
生きる喜びや希望は墓の中にあるでしょうか?
私たちは、どこに向き直るべきでしょうか?
*ラボニ…ヘブル語:『先生』あるいは『私の先生』の意
ヨハネ20:17ーイエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
*わたしにすがりついてはいけません… 復活の主は、天のまことの聖所の大祭司となられるお方ですから、第七のチスリの月の十日の『贖罪の日』と関係があると考えられます。
『贖罪の日』は年に一度、大祭司が血を携えて至聖所に入り、罪を贖い、きよめを行う日です。
イエスは真の大祭司として、天の聖所をきよめるという役割を担っていましたが、まだこの時点でそれを実行していなかったのです。
つまり、このときは復活直後の出来事だということです。
なぜ、天の幕屋をきよめる必要があったのでしょう?
それは、聖なる御使いとして造ったのに、神に反逆し、サタンとなったケルブによって汚されてしまったからです。
エゼキエル書28:18ーあなたは不正な商いで不義を重ね、
あなたの聖所を汚した。
わたしはあなたのうちから火を出し、
あなたを焼き尽くした。
こうして、すべての者が見ている前で、
わたしはあなたを地上の灰とした。
天の幕屋の『型』である地上の幕屋のものは動物の血できよめられました。
ヘブル書の著者は、天にあるもの自体は動物の血よりもすぐれたいけにえで、きよめられなくてはならないと記しています。それが、神の小羊としてのイエスご自身の血でした。
ヘブル書9:23ーですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
贖罪の日に大祭司がどのように自身を『きよめる』のかは、レビ記に記されています。
レビ記16:3~4ーアロンは次のようにして聖所に入らなければならない。罪のためのいけにえとして若い雄牛、また全焼のいけにえとして雄羊を携え、
聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布のももひきをはき、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶらなければならない。これらが聖なる装束であって、彼はからだに水を浴び、それらを着ける。
様々な聖句と調和する仮説による順序としては、
①普段の大祭司の衣装を脱ぐ。
②からだに水を浴び、儀式的きよめを行う。
③亜麻布の贖罪の日用の大祭司の衣装を着る。
④贖罪の日のいけにえを捧げ、アザゼルの儀式を行う。
⑤儀式的きよめを行う。
⑥普段の大祭司の衣装に着替える。
この過程で、大祭司は汚れを受けないように、誰からも触れられてはなりません。
そのため、イエスはマグダラのマリヤに「すがりついてはなりません」と言われました。その理由が次のことです。
*わたしはまだ父のもとに上っていないからです…四十日後の『昇天』のことではありません。
天の真の大祭司としてのきよめをする前のことです。
*わたしの兄弟たちのところへ行って…ここでは、『弟子たちの所に行きなさい』の意。
イエスには、異父兄弟が四人いましたが、彼らの所へ行くようにということではありません。
イエスをメシアだと信じる者たちは、みな神の家族になります。
マタイ13:55ーこの人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
ヨハネ1:12ーしかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
マタイ12:50ー天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。
ローマ8:29ーなぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
*彼らに『わたしは、わたしの父またはあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい…弟子たちの所に行って、伝えるべきメッセージ。
ヨハネ20:18ーマグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
*私は主にお目にかかりました…復活の主に出会ったマグダラのマリヤは、『主の復活の証人』となりました。
*これらのこと…17節の主のメッセージ。
マリヤは忠実に主の命令に従いました。