出エジプトをしたイスラエルの民が、前は紅海、後ろからはエジプト軍という絶体絶命の状況下で、モーセが持っている杖を海に差しのばすと、強い東風が吹き、海が分かれて乾いた地を渡るという出来事は、とても有名な聖書のシーンです。
しかし、その詳細を説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか?
それが新約聖書のキリスト・イエスとどのような繋がりがあるのでしょうか?
*【主】…新改訳聖書では、旧約聖書の中で御父の御名が記されている箇所は、太文字の『主』を用いて明らかにしています。
英語の聖書では、主を『Lord』、主を『LORD』と区別して表記しています。
出エジプト記14:2ー「イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。
*引き返すように…文脈的には『道を逸れるように』の意。
出エジプトの目的は、『イスラエルの神、主にいけにえをささげる』ことでした。
出エジプト記3:18ー彼らはあなたの声に聞き従おう。あなたはイスラエルの長老たちといっしょにエジプトの王のところに行き、彼に『ヘブル人の神、主が私たちとお会いになりました。どうか今、私たちの神、主にいけにえをささげさせてください』と言え。
ですから、この時点で彼らにとっての選択肢は
①主にいけにえをささげて、エジプトに戻ること。←アブラハム契約に基づくと、あり得ない選択です。なぜなら、子孫を増やした後は約束の地に彼らを導き入れるという約束がありますから。
②そのまま東へと進み続け、約束の地カナンへと向かう。←追いかけて来ているエジプト軍の戦車では、進み難い地に入ること。
イスラエルの民は、荒野の端にあるエタムに宿営していました。
出エジプト記13:20ーこうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。
しかし、神は①でも②でもない命令を出されました。
*バアル・ツェフォン…海と山に挟まれた地
エタムからは南に向かうことになり、カナンの地からは遠ざかることになります。
そこの海辺に宿営するように、というのが神の命令でした。
出エジプト記14:3ーパロはイスラエル人について、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった』と言うであろう。
*あの地で迷っている…方向転換をしたイスラエルの民を見たパロには、そのように見えるということ。しかし、それは人間側の視点です。
出エジプト記14:4ーわたしはパロの心をかたくなにし、彼が彼らのあとを追えば、パロとその全軍勢を通してわたしは栄光を現し、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。」そこでイスラエル人はそのとおりにした。
*わたし…新改訳聖書では、『わたし』とひらがな表記の場合は神を表し、『私』と漢字の場合は人間を表しています。
神のご計画は
①パロの心をかたくなにする
②エジプト軍はイスラエルの民を追ってくる
③パロとその全軍勢を通して神の栄光を現す
④エジプトはわたしが主であることを知るようになる
出エジプト記14:5ー民の逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考えを変えて言った。「われわれはいったい何ということをしたのだ。イスラエルを去らせてしまい、われわれに仕えさせないとは。」
*考えを変えて… パロと家臣たちは、イスラエルの民を去らせたことを後悔しました。
十の災いを体験しても、彼らは真の悔い改めには至っていませんでした。
*われわれに仕えさせないとは…奴隷としての労働力を失ったことを後悔しました。
出エジプト記14:6ーそこでパロは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、
*戦車を整え…戦車、馬三頭立ての二人乗り。
当時、エジプト軍は世界最強でした。 その軍勢をパロが率いていました。
出エジプト記14:7ーえり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。
戦車六百、その後ろに多数の戦車が続きました。
出エジプト記14:8ー主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、パロはイスラエル人を追跡した。しかしイスラエル人は臆することなく出て行った。
*パロの心をかたくなにされた…エジプトを出発したパロの心はかたくなでした。
*イスラエル人は臆することなく出て行った…一方、イスラエルの民の心は、パロとは対照的でした。
新共同訳:主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、
エジプトを出る時、主はエジプト人が彼らに好意的になるようにされ、金銀、着物などを得ました。
出エジプト記12:35~36ーイスラエル人はモーセのことばどおりに行い、エジプトから銀の飾り、金の飾り、それに着物を求めた。
主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプトは彼らの願いを聞き入れた。こうして、彼らはエジプトからはぎ取った。
出エジプト記14:9ーそれでエジプトは彼らを追跡した。パロの戦車の馬も、騎兵も、軍勢も、ことごとく、バアル・ツェフォンの手前、ピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。
いったんはイスラエルの民に対して好意的になったエジプトでしたが、考えを変え、イスラエルを追跡し、遂に神がイスラエルの民に宿営するようにと命じたバアル・ツェフォンの手前のピ・ハヒロテで宿営しているイスラエルの民に追いつきました。
出エジプト記14:10ーパロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。
*イスラエル人は非常に恐れて… 彼らは神の命令で海辺に宿営していたため、逃げ場がありませんでした。人間側の視点では、絶体絶命の状況でした。
恐れや不安は、パニックを引き起こします。
希望は、平安を与えます。私たちに必要なのは、主にある平安です。
ヨハネ14:27ーわたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
*主に向かって叫んだ…次の11節の叫びの内容を見ると、信仰的に神に助けを求めたのではなく、神が立てたモーセに対して文句を言っているのがわかります。
出エジプト記14:11ーそしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。
*エジプトには墓がない…エジプトはピラミッドの国であり、墓に強いこだわりを持っていました。出エジプトしたイスラエルの民は、成人男性だけでも約六十万人もいましたから、エジプトには十分な数の墓がないと考えての不平です。
出エジプト記12:37ーイスラエルはラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。
*この荒野で、死なせるのですか…荒野で死ねば、お墓は必要ないから、の意。
出エジプト記14:12ー私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」
彼らは、背後にイスラエルの神がいることを忘れ、荒野で死ぬよりは、エジプトで奴隷でいた方がよかったと思っていました。
出エジプト記14:13ーそれでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
*恐れてはいけない…イスラエルの民が恐れていたのは、エジプトのパロとその軍勢です。彼らが本当に恐れるべきは、イスラエルを救われる真の神でした。
*しっかり立って…主が導かれた場所にしっかりと立ちなさい、の意。
*きょう…救いは、明日でも明後日でもなく、『きょう』速やかにあるということ。
*【主】の救いを見なさい…モーセは、エジプトでの十の災いを通して、教訓を学んでいました。どのようにという方法はわかりませんでしたが、神が必ず自分たちを救ってくださるという確信を持っていました。
出エジプト記14:14ー主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
*黙っていなければならない…追ってくるエジプト軍と戦うのは、イスラエルの民ではなく、イスラエルの神、主です。人間 対 神の戦いなのだから、自分たちで戦いのための『ときの声』をあげたり、エジプト軍を恐れて叫び出したり しないように、の意。
出エジプト記14:15ー主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。
*【主】はモーセに仰せられた… 「なぜあなたはわたしにむかって叫ぶのか」から、モーセが主に向かって祈っていたことがわかります。民から不平をぶつけられたモーセの祈りは、主に叫ぶような祈りだったのでしょう。
*イスラエル人に前進するように言え…新共同訳:イスラエルの人々に命じて出発させなさい。
背後からエジプト軍が迫って来ているので、後退することはできません。
海に向かって前進するしかない状況でした。
ここに『信仰』と『確認』の違いがあります。
信仰…海が分かれていない状態で前進すること
ヘブル11:1ー信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
確認…海が分かれてから前進すること
Ⅱコリント4:18ー私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
Ⅱコリント5:7ー確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
出エジプト記14:16ーあなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ。
*あなたの杖…モーセは40~80歳までの四十年間、ミデヤンの地で羊飼いをしていました。その時から使っている『羊飼いの杖』です。
モーセの杖は、エジプトに災いを下す時にも用いられました。
同じように、主イエスもご自分のことを『良い牧者』だと言われています。
ヨハネ10:11ーわたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
*あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし…これが、海を分けるためにモーセがすべきことでした。
*海の真ん中の乾いた地を進み行く…海の水で行く手がふさがれ、後ろからはエジプト軍が迫って来ている絶体絶命の状況下で、海の底を歩いて渡るようになるということ。
出エジプト記14:17ー見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとから入って来ると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現そう。
*わたしの栄光を現そう… 栄光:ヘブル語『ガボット』ー重みがある、現実そのもの、の意。
神は、イスラエルの敵であり、当時最強のエジプトのパロと全軍勢、戦車と騎兵を通して、ご自身の栄光を現されると言われました。
神様の目的は、ご自身の栄光を現すことです。
多くの人は神の目的は人類救済だと主張しますが、人類救済は神のご計画の一つです。
イザヤ書43:7ーわたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
イザヤ書43:21ーわたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
出エジプト記14:18ーパロとその戦車とその騎兵を通して、わたしが栄光を現すとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」
*わたしは【主】…神がご自身の栄光を現されるとき、エジプトはイスラエルの神が、生きて働かれる神であることを知るようになります。
しかし、『知る』だけでは救われません。
救いを得るためには、その神を自分の【主】として信じ、受け入れる必要があります。
出エジプト記14:19ーついでイスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移って、彼らのあとを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移って、彼らのうしろに立ち、
*主の使い…受肉前のメシア
*雲の柱…雲、煙、火が象徴的に使われている場合は、シャカイナグローリー(神の栄光/神のご臨在)を意味します。
出エジプト記14:20ーエジプトの陣営とイスラエルの陣営との間に入った。それは真っ暗な雲であったので、夜を迷い込ませ、一晩中、一方が他方に近づくことはなかった。
イスラエルの前に立ち導いておられた主が、しんがりにまわり、イスラエルとエジプト軍との間に入られたということ。
エジプトの軍勢は夜のような暗やみに包まれ、イスラエルの民に近づくことができませんでした。
しかし、雲の前を進んでいたイスラエルの陣営には光がありました。
1テサロニケ5:5ーあなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
出エジプト記14:21ーそのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。
神さまは、自然現象を用いて奇跡を行われます。
モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風を吹かせて、海の底を出されました。
出エジプト記14:22ーそこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。
海の水は左右に分かれて壁となり、イスラエルの民は海底のかわいた地が『道』として現れました。
出エジプト記14:23ーエジプト人は追いかけて来て、パロの馬も戦車も騎兵も、みな彼らのあとから海の中に入って行った。
海が分かれ、道ができたことで、パロの軍勢もイスラエルの民を追って海の中に入って行きました。
出エジプト記14:24ー朝の見張りのころ、主は火と雲の柱のうちからエジプトの陣営を見おろし、エジプトの陣営をかき乱された。
*朝の見張りのころ…午前3時〜6時ころと思われます。
口語訳:暁の更に
*火と雲の柱…シャカイナグローリー(神の栄光/神のご臨在)
*【主】 …19節では『主の使い』として、第二位格の受肉前のメシアでしたが、ここでは御父のお名前が記されています。
ヨハネ10:30ーわたしと父とは一つです。
その【主】が、エジプト軍をかき乱されました。
出エジプト記14:25ーその戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされた。それでエジプト人は言った。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」
彼らは
①戦車の車輪をはずし、進めなくなりました。
②イスラエル人の前から逃げようとしても、逃げれなくなりました。
③ようやく【主】がイスラエルのために戦っておられることに気づきました。
出エジプト記14:26ーこのとき主はモーセに仰せられた。「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」
イスラエルの民が渡り終えると、神はモーセに再び手を海の上に差し伸ばすように命じられました。
今度は左右に分かれた水を元に戻し、エジプト軍を呑み込ませるためでした。
出エジプト記14:27ーモーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海がもとの状態に戻った。エジプト人は水が迫って来るので逃げたが、主はエジプト人を海の真ん中に投げ込まれた。
エジプト人たちは逃げようとしましたが、水に呑まれてしまいました。
彼らは、エジプトでイスラエルの民に生まれた男児をナイル川で溺死させるように命じました。【主】がその報いをされたのです。
出エジプト記1:22ーまた、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」
申命記32:35ー復讐と報いとは、わたしのもの、
それは、彼らの足がよろめくときのため。
彼らのわざわいの日は近く、
来るべきことが、すみやかに来るからだ。」
ローマ12:19ー愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
出エジプト記14:28ー水はもとに戻り、あとを追って海に入ったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残された者はひとりもいなかった。
*残された者はひとりもいなかった… 13節の『あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない』の成就。
出エジプト記14:29ーイスラエル人は海の真ん中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
神はイスラエルの民のために『道』を開かれ、エジプト軍からの滅びから救われ、安全な対岸へと導かれました。
そして、二千年前に全人類のために永遠の滅びから救い、天の御国への『道』を開いてくださったのが、私たちの主イエス・キリストです。
ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ10:9ーわたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
出エジプト記14:30ーこうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われた。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見た。
*イスラエルをエジプトの手から救われた…エジプトでの奴隷からの完全解放
創世記12:3ーあなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。」
イスラエルの男児をナイル川で溺死させたエジプトは、紅海で溺死させられました。
出エジプト記14:31ーイスラエルは主がエジプトに行われたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。
イスラエルの民は
①【主】がエジプトに行われた大いなる御力を見ました。
②【主】を恐れました。
③主とそのしもべモーセを信じました。
Ⅱコリント4:8~9ー私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
人生の中の試練で八方塞がりに思えても、上が常に開いています。
そこには、主の救いの御手が伸ばされています。救いは、人にではなく、主に求めましょう。