【携挙】
教会によっては、牧師ですらどういう漢字で表記するのかすら知らないというこの言葉。「携挙」という言葉自体は「三位一体」と一緒で、聖書には出てきません。しかし聖書の示す神が三位一体の神であるように、携挙という現象が聖書に預言されています。問題は言葉の有無より実態です。
1テサロニケ4:16ー 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
空中再臨ー既に亡くなった教会時代の信者が復活し、キリストと共に天から下って来られること。
1テサロニケ4:17ー次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
『携挙』の意味は、字の如く『携え、挙げられる』です。
地上で生きているクリスチャン(真の信者の集まりである真の『教会』)が挙げられる…携挙
既に亡くなり、天に召されたクリスチャンが復活し、キリストと共に空中まで迎えに降りて来る…空中再臨
*携挙と空中再臨は、同時に起こります。
携挙されるクリスチャンは一瞬にして、キリストと同じ栄光のからだに変えられます。携挙に与る者は、肉体の死を経ずに天に挙げられる『幸いな者』です。
1コリント15:52ー終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
*私たちは…パウロたち初代教会時代の信者。パウロは自分が生きている間に『携挙』が起こる可能性があることを知っていたのです。
【携挙(空中再臨)のタイミング】
『携挙なんてあるわけない』『キリストの(空中)再臨?! まだまだ先のことだよ』と思っていると、ある日突然来るんですよ。残された人に待っているのは、七年間の患難時代。患難期中・後携挙だと思っている方、生き延びる自信はありますか?
黙示録6章以降『教会』という言葉は出て来ません。患難時代前に『携挙』されるからです。しかし患難時代でも新たに救われる人はいます。むしろ世界規模での大リバイバルが起こるのが患難時代です。それらの人々を『聖徒たち』と呼んでいるのであって、教会時代の信者を指しているのではありません。
もし黙示録6章以降の『聖徒たち』を教会時代の信者と理解し、携挙が患難時代中期・後期に起こるとするのなら、以下の聖句から多くの『聖徒たち』が殉教していることがわかり、神様の守りはあてにならないことになるでしょう。
聖徒たちの殉教…黙示録6:9~11,11:7,12:11,13:7,13:15,14:13,17:6,18:24
マタイ24:36~37ーただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
なんで『携挙』のタイミングを神の御子、花婿であるキリストが知らないのでしょう…?
理由はこちら⇩
携挙 (キリストの空中再臨) は、いつ起こるのかわからないと聖書は言っています。
『七年間の患難時代』の始まりは、反キリストとイスラエルの契約時…
ダニエル9:27ー一週の間…『ダニエルの七十週の預言』の中での『最後の一週』(7年間)です。この七年間は『患難時代』と呼ばれ、前半・後半の三年半ずつに分けられます。
*多くの者と堅い契約を結び…『多くの者』とは、イスラエルの多くの者のことです。契約とは、反キリストとイスラエルが結ぶ『偽りの平和的契約』です。
反キリストが、イスラエルとこの契約を結んだ瞬間が『患難時代』の幕開けになります。
*『携挙』が『患難時代』の幕開けではありません。
*始まりがわかれば、当然3年半経てば中期、七年経てば終わることも分かりますね。
『患難期中期携挙説』と『患難期後携挙説』は、携挙の時期を特定出来ることになり、マタイ24:36のみことばと矛盾します。
“その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。” ーこのみことばが成就するには【患難期前携挙説】しかあり得ないのです。
しかもルカ21:24~28で、主は患難時代の終わりの地上再臨の前には、
①異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされること、
②日と月と星には、前兆が現れること、
③人々が何が起こるのかと予想して、不安のあまり気を失うこと、
という『しるし』が伴うと預言されています。
患難期前携挙を待ち望む人は、『キリスト』を見ています。なぜなら反キリストより先に『キリスト』が来られるからです。
しかし患難期中/後期携挙を待ち望む人は、キリストではなく『反キリスト』に注目することになります。なぜなら『反キリスト』はこの世のメシアのような振る舞いで、キリストより先に来るからです。ですから惑わされ易いのです。
みことばを正しく理解し、備えられますように。
福音だっていつまで自由に語れるかわかりません。
初代教会時代、使徒たちは禁じられても、ムチ打たれても、投獄されても、福音を語ることを止めなかった。現代のキリストの弟子たちはどうでしょう…?
迫害されても、福音を語り続けることができるでしょうか?
それ程までに福音の大切さを理解しているでしょうか?
真の信者(1コリント15:3~5の福音)を信じるクリスチャンは、『携挙』の恵みにもれることはありません。
私たちが信じるキリスト・イエスは『患難時代』からも救うことがお出来になる『メシア』です。
カトリックもプロテスタントも御国に入る時には関係ないのです。
問題は、信じていることが聖書通りか否か…。
神から出たものか、人から出たものか…?
信仰が、キリストなのか?組織または人なのか…?
*無駄な信仰にならないように、みことばで確認することが重要なのです。
信仰もメンテナンスを‼
救いの確信のない方は、もう一度エペソ2:8~10をよく吟味してみましょう。
…といっても、人や組織信仰の人は、みことばを軽んじて『聖書を調べる』こともしないんですよね💦
聞いたこと、副読本に書かれていることを鵜呑みにする…これは、非常に危険です!
バイスタで聖書を使わない学びは、要注意なのです…そろそろ気付きましょ‼
今のうちに軌道修正しないと間に合わないですよ。花婿が迎えに来ちゃいますから。
【空中再臨と地上再臨の違い】
マタイ24章にはキリストの再臨について、主自らが語られています。そこには二種類の『再臨』が語られているので、きちんと区別しないと混同してしまいます。
マタイ24:29~31ー患難時代後半〜『地上再臨』
マタイ24:36~51ー患難時代前の『空中再臨』
空中再臨…①人の目には見えない。マタイ24:40~41
②いつ起こるか分からない。マタイ24:36、24:42
③信者が挙げられる。1テサロニケ4:16~17
地上再臨…❶人の目に見える。マタイ24:30ーしるしが天に現われる。地上の人々は、イエス様が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
再臨のキリストは、人の目に見えるかたちで天から下って来られます。(反キリストは、地上で異邦人の中から出て来ます。)
❷七年間の患難時代の終わりに、ボツラでイスラエルの残りの者たちが全員民族的に悔い改め、イエスこそメシアであると信じた時に起こる。ホセア5:15~6:3、マタイ23:39、24:30
❸不信者が取り除かれる。マタイ25:31~46ー羊と山羊のさばきでの『山羊組』が取り除かれる。
【空中再臨と地上再臨の間の出来事】
七年間の患難時代が間にあり、その目的は三つあります。
①邪悪な行為とそれを行なう者たちを一掃するため。
イザヤ13:9ー見よ。主の日が来る。残酷な日だ。
憤りと燃える怒りをもって、
地を荒れすたらせ、
罪人たちをそこから根絶やしにする。
②世界規模のリバイバルを来らせるため。
マタイ24:14ーこの御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
③聖なる民であるイスラエルの民の頑なさを壊すため。
ダニエル12:7bー「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
*患難時代の裁きは、四つ。明らかにされているのは三つだけ。
*4…『完全な破壊』を意味する数。ヨエル1:4, エレミヤ15:3, エゼキエル14:21
①七つの封印
②七つのラッパ
(七つの雷…隠されている。)
③七つの鉢。
①と②は、七年間の患難時代の前半に起こる。第七の封印の中身が七つのラッパの裁きとなる。各裁きの終わりになると、天において異変が起こり、地上に影響を与える。
『七つの封印の裁き』…患難時代の前半の中の前半。
①反キリストによる世界征服。
②世界大戦。やっぱり起こるのね⁈
核保有を志向する日本 小出 裕章氏
③世界規模の飢饉。患難時代に入ったら食糧の備蓄を‼
④世界人口の1/4の滅亡。
⑤聖徒たちの迫害。
⑥天変地異。
『七つのラッパの裁き』…患難時代前半の中の後半
第七番目の封印を開くと『七つのラッパの裁き』が出て来ます。
*ラッパを吹くのは御使いであり、『神』ではありません。
*1コリント15:52の『終わりのラッパ』は、ラッパの祭りの最後に吹かれる長音のラッパの音で、『教会時代の終わり』という意味であり、1テサロニケ4:16の『神のラッパ』と同じです。
①第一のラッパ…血の混じった雹と火が地上に投げられ、その結果、地上の1/3が焼け落ちます。
出エジプト記9:18ーさあ、今度はあすの今ごろ、エジプトにおいて建国の日以来、今までになかったきわめて激しい雹をわたしは降らせる。
②第二のラッパ…大きな山のようなものを燃やして、海の中に投げ込まれます。その結果、海の1/3が血に変わり、海の生物の1/3が死に絶え、舟の1/3も打ち壊されます。
出エジプト7:19ー主はまたモーセに仰せられた。「あなたはアロンに言え。あなたの杖を取り、手をエジプトの水の上、その川、流れ、池、その他すべて水の集まっている所の上に差し伸ばしなさい。そうすれば、それは血となる。また、エジプト全土にわたって…中略…、血があるようになる。」
③第三のラッパ…『苦よもぎ』という名の墮天使により、1/3の真水(川、湖、泉など)の水源が汚されます。その結果、水が苦くなり、多くの人が死に至ります。
出エジプト7:19
④第四のラッパ…太陽、月、星の光の1/3が地上に届かなくなり、その結果 地上に住む人間は、昼も夜も1/3の光を失います。
*何らかの理由で地は暗くなる。出エジプトでの原因はいなご。
出エジプト10:15ーいなごの大軍が『全地の面をおおったので、地は暗くなった。』
⑤〜⑦のラッパの裁きは、『三つの災いの裁き』と言われていて、第七のラッパが吹かれると『七つの鉢の裁き』となる。
⑤第五のラッパ…墮天使に『底知れぬ穴』(アビス:悪霊たちを一時的に閉じ込めておく所)を開く鍵が与えられる。穴を開くと煙が立ち上り、地上は3度目の暗黒となります。
〜暗黒〜
患難期前…ヨエル2:31(新共同訳:ヨエル3:5)
患難時代…黙示録6:12, 8:12, 9:2, 16:10
第五のラッパで訪れる暗黒の煙の中から、さそりのような尾を持ついなごの大軍が出て来ます。いなごには、額に神の印を押されていない未信者だけを5ヶ月間苦しめることが許されます。
出エジプト10:14ーいなごの大群はエジプト全土を襲い、エジプト全域にとどまった。実におびただしく、こんないなごの大群は、前にもなかったし、このあとにもないであろう。
⑥第六のラッパ…『第二の災いの裁き』にあたります。
第二の封印の裁きで起きた世界大戦により1/4の人々が死にましたが、ここではユーフラテス川のほとりから解き放たれた墮天使たちの侵略群により、残された人類の1/3が、彼らの口から出る火煙と硫黄とのために殺されます。
ここで殺される1/3の人々は、その前の第五のラッパの裁きで、さそりのような尾を持ついなごによって5ヶ月間苦しめられた人々です。その時は、死を望んでも死ねないという苦しみでした。その苦しみから解放されたかと思ったら、火と煙と硫黄によって殺されるのです。
『生き地獄』のプチ体験をしてから殺され、今度はたましいが本当の『地獄』に落とされるのです。(最終的に行くのは “火の池”)
このようなことが、患難時代になると起こるということを、神は聖書を通して私たちに警鐘を鳴らしています。だから「今、救い主を信じなさい!」と。
しかしここで生き残った人々は、神の御前に悔い改めることをせず、偶像崇拝を続けます。罪に罪を重ねる人々は、なんと頑ななのでしょう。
黙示録10:3~4には『七つの雷』が言ったことをヨハネが書き留めようとしていますが、阻止されています。ヨハネにのみ知ることをが許された内容です。
⑦第七のラッパが吹かれると『七つの鉢の裁き』出てきます。
黙示録10:1~2,8~11の『小さな巻き物』の内容が、患難時代後半の『七つの鉢の裁き』で起こることの内容となっています。
この内容を学んでいる時は『知識欲』を刺激して、とても『甘く』感じられます。
しかし理解が進むと、まだ救われていない人々が実際にこのような苦しみの時代に入れられるということに、非常な苦しみを覚えるようになり、まだ神を知らない人々に福音を伝えたいと強く思うようになります。
みことばを学んでも滅び行く人々に重荷を感じなければ、正しく学んでいることにはなりません。
終末論は、時に信仰を二分します。
今まで同じ聖書理解をしていると思っていた人たちが、終末論の裁きについて語ったとたん、背を向けて去って行くのです。神は決して『愛と恵み』だけを語っているわけではないのに…。罪に対しては、一点のシミも許容することのできない聖いお方だということを知らないのでしょうか?
ご自分に似せて造られた人間を『滅び』に行かせないようにと、救い主なるご自身の御子を十字架でほふられたその愛を、偏って理解するのは危険…信じない者は、その滅びが口を開けて待っているということを、真摯に受け止めなければ、伝道どころか自分自身も救いすら危険になります。なぜなら『罪』を正しく理解してないから。
〜中間期〜になると、反キリストは『獣の像』を第三神殿に設置して、自分こそ神だとして偶像崇拝を強制します。そして獣の像を拝む者に『666』の刻印を押します。
この出来事の前には、普段は伝道をしない『御使い』をも遣わして、神は滅び行く人々を救おうをされるのです。『666』の刻印を受け入れる人々は、その神の愛の招きをも頑なに拒み、肉体が生きながらにして『未信者→不信者』になる人々です。その『不信者たち』に下る裁きが『七つの鉢の裁き』です。
『七つの鉢の裁き』…患難時代後半
①第一の鉢…地に対する裁き。獣の印を受け、獣の像を拝む人々に悪性の腫れ物ができる。黙示録14:9~11の成就。
出エジプト9:6ーそれがエジプト全土にわたって、細かいほこりとなると、エジプト全土の人と獣につき、うみの出る腫物となる。
②第二の鉢…海に対する裁き。ラッパの裁きでは海の1/3が血になったが、ここでは残りの2/3がすべて血に変わり、海の中の生物はすべて死に絶える。
出エジプト7:19, 黙示録8:8
③第三の鉢…川と水の源に対する裁き。第三のラッパの裁きでは、川々の1/3が汚染され、多くの人々が死にました。ここでは残りの2/3が血に変わり、人々はそれを飲まざるを得なくなる。
出エジプト7:24, 黙示録8:10~11
④第四の鉢…太陽に対する裁き。第四のラッパでは、太陽をはじめ天体に異変が起こり、地上に届く光が1/3減りました。ここで再び異変が起こり、熱さを増し、太陽が発する炎熱によって人々が焼かれるが、なお悔い改めないとあるので彼らは死んでないのです。
⑤第五の鉢…獣の座の裁き。第五のラッパの裁きでは、三度目の暗黒になりました。ここでは『獣の国』が暗くなります。つまり全世界を暗黒が襲い、四度目の暗黒となるのです。
出エジプト10:21~23, 黙示録9:1~2
*第六の鉢と第七の鉢は、『ハルマゲドン』と深く関わっています。
⑥第六の鉢…ユーフラテス川の枯渇。それによりハルマゲドン(イズレエルの平野)に集結する『道』が整うことになります。
⑦第七の鉢…空中にぶちまけられると「事は成就した。」と、患難時代の集結を宣言されます。人類史上最大の地震が起こり、千年王国で再建されるために、エルサレムが三つに裂かれます。にせのキリストの花嫁である『大淫婦バビロン』が滅ぼされます。
イスラエルの残りの者、レムナントは悔い改め、キリストが地上再臨される。
【キリストの地上再臨後】
エルサレムのオリーブ山に地上再臨されてから『千年王国』が始まるまでには、『75日間の準備期間』があります。
ダニエル12:11ー荒らす忌むべきもの…反キリストの偶像のこと。
反キリストは、患難時代の中間(3年半)に神殿でささげられる祭儀を中止させ、そこに自らの像(偶像)を立てます。
その時から数えて1,290日が定められています。
*預言では『1年=360日』なので、3年半は1,260日になります。
1,290日は、3年半の1,260日+『30日』になります。つまり、メシアが地上再臨してから、反キリストの偶像を神殿から取り除くまでに、更に『30日』あるということです。
ダニエル12:12ー1,335日…1,290日よりさらに『45日』後のことです。つまり、それは…
*メシアが地上再臨されてから、千年王国が設立されるまでに『75日』あるということです。
その『75日間』に行なわれることはいろいろありますが、特に重要なのは…
・患難時代を生き延びた異邦人の裁き…マタイ25:31~46ー羊と山羊の裁き
・旧約時代の義人たちの復活。
・患難時代の聖徒たちの復活。
【復活の順序】
①初穂であるキリスト…1コリント15:23
②教会時代のキリストにある死者…1テサロニケ4:16
③空中再臨の時に生き残っているキリスト者…1テサロニケ4:17
④患難時代の二人の証人…黙示録11:11~12
⑥旧約時代の義人たち…ダニエル12:1~2, イザヤ26:19, 1コリント15:52
⑦患難時代の殉教者たち…黙示録20:4
〜ここまでが『第一の復活』で、神様から栄誉と祝福を受けるためのものです。〜
千年王国前の『第一の復活』に与る者は、地上におけるキリストの御国で千年間生活します。 千年王国には、復活のからだで生きる者と七年間の患難時代を生き延びたイスラエルのレムナントとその子孫(全員 キリストを信じる者となる)、及び異邦人で羊組に振り分けられた患難時代の聖徒たちとその子孫(中には、原罪のゆえにキリストを信じない者たちがいる。百歳までに信じない者は、千年王国であっても死ぬ)の朽ちるからだで住む者たちがいます。
〜『第二の復活』は、神様から裁きを受けるためのものです。〜
⑤反キリストの復活…黙示録13:3 これは患難時代の中間に起こります。
⑧神とキリストを信じなかった者たち…黙示録20:5, 20:13~14
千年間の間を経て、千年王国の後に起こります。
*どちらの復活に与るかは、キリストの十字架の贖いと復活をを受け入れるかどうかにかかっています。
箴言8:35~36ーなぜなら、わたしを見いだす者は、
いのちを見いだし、
主から恵みをいただくからだ。
わたしを見失う者は自分自身をそこない、
わたしを憎む者はみな、死を愛する。
旧約聖書・新約聖書を通して、神はこれだけの情報を私たち人間に提供し、永遠の滅び(火と硫黄との池での苦しみ)から救い出そうと、御子イエス・キリストを与えて『罪』の身代わりとしてくださいました。
その愛と恵みを『人間が作ったおとぎ話』『物語』としていては、救いには至りません。
どうか聖書66巻のみことばを『神のことば』として受け止め、キリスト・イエスを信じる信仰へと導かれますように。
イエスも言われます。
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」ーヨハネ20:27b