『終末論』と聞くと、多くの人が「いろんな解釈があるから…。」と避けようとしますよね。
「いろんな解釈」という人々は、具体的にどんな解釈があるかあげることができるほど、調べたのでしょうか?
その上で、聖書全体から判断して『いくつもの解釈がある』と思っているのでしょうか?
本当は、誰かから少し聞きかじったり、「いろいろな解釈があるから、終末論はあまり触れない方がいい」と言われたことを、そのまま信じているだけではないでしょうか?
『真理』は人にではなく、キリスト・イエスに、キリストのみことばである聖書にあります。
エペソ4:21ーただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。
1コリント4:6ーさて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
『千年王国/メシア的王国』は、『エデンの園の回復』と言われています。
どうしてそう言えるのでしょう?
『エデンの園』との違いは何でしょう?
⒈ 土地の回復
神様の最初のご計画では、アダムとエバをエデン園に住まわせ、園を管理させ、そこから人類を増やそうというものでした。
創世記2:8ー神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
創世記2:15ー神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
創世記1:28ー神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
神が最初の人間アダムを置かれた『エデンの園』は、ユーフラテス川の近くにありました。
創世記2:10ー一つの川が、この園を潤すために、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。
創世記2:14~15ー第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。
神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
神がアブラハムの子孫に与えると約束された地『イスラエル』の境界線には『ユーフラテス川まで』とあります。
創世記15:18ーその日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。
「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。
エジプトの川から、
あの大川、ユーフラテス川まで。
アダムが神に背いた結果、アダムの支配下にあった土地も呪われてしまいました。
重労働をしても収穫は少ないということになったのです。
さらに、霊的死、肉体の死をもたらしたのです。
創世記3:17~19aーまた、人に仰せられた。
「あなたが、妻の声に聞き従い、
食べてはならないと
わたしが命じておいた木から食べたので、
土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、
苦しんで食を得なければならない。
土地は、あなたのために、
いばらとあざみを生えさせ、
あなたは、野の草を食べなければならない。
あなたは、顔に汗を流して糧を得、
ついに、あなたは土に帰る。
イエスはこの時の呪いの象徴である『いばらの冠』をかぶり、十字架につき、アダムの罪をも背負ってくださいました。
その結果、千年王国というキリストの御国では、土地の回復が起こるのです。
マルコ15:17~18ーそしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めた。
イザヤ55:12~13ーまことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、
安らかに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、
野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
いばらの代わりにもみの木が生え、
おどろの代わりにミルトスが生える。
これは主の記念となり、
絶えることのない永遠のしるしとなる。
⒉ 人と動物との関係回復
エデンの園では、動物と人間との間に『平和』がありました。
聖書を信じない人々は現在の世界を基準に判断するので、『ノアの箱舟』の中でノアとその家族が動物の犠牲にならなかったことを信じられないと言いますが、箱舟から出るまでは、人間も動物も『菜食』だったので、襲われずにすみました。
千年王国では、動物が再び草食になるので、人間と動物、動物と動物の間に『平和』が訪れます。
イザヤ11:6~9ー狼は子羊とともに宿り、
ひょうは、子やぎとともに伏し、
子牛、若獅子、肥えた家畜は共にいて、
小さい子どもがこれを追っていく。
雌牛と熊とは共に草をはみ、
その子らは共に伏し、
獅子も牛のようにわらを食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても、
これらは害を加えず、そこなわない。
主を知ることが、
海をおおう水のように、地を満たすからである。
⒊ 神の民の回復
誰がこの『御国』に入るのでしょうか?
実は、『千年王国』の住人には二種類の人々がいます。
復活して『栄光のからだ』で入る人々と、『肉体』を持って入る人々です。
また、それぞれに『神の契約の民イスラエル』と『異邦人』の二つのグループがあります。
聖書は一貫して『イスラエル』と『異邦人』を分けているということを理解する必要があります。クリスチャンが『霊的イスラエル』となるのではありません。
『栄光のからだ』で入る人々は、『幸いな者』『聖なる者』と聖書は言っています。
黙示録20:5~6ーそのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
【復活の順序】
⑴ 初穂としてのキリスト…『初穂の祭り』の時。
⑵ 御霊の内住のあるペンテコステ〜携挙までの間に肉体の死を迎えた、教会時代の信者…携挙の時。『ラッパの祭り』が型。
1テサロニケ4:15~16ー私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
*携挙の時に地上で生きている教会時代の信者は、一瞬で『朽ちないからだ(栄光のからだ/不死のからだ)』に変えられます。
1テサロニケ4:17ー次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
1コリント15:52ー終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
⑶ 患難時代のエルサレムの『二人の証人』
黙示録11:7, 11~12ーそして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上がって来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らに入り、彼らが足で立ち上がったので 、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。
そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ』と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
⑷ 旧約時代の義人たちと患難時代前半、後半の殉教者たち…御霊は内住ではなく、信者の上に留まるだけの時代。
彼らは、キリストの地上再臨〜千年王国が始まるまでの75日間の移行期に復活。
イザヤ26:19ーあなたの死人は生き返り、
私のなきがらはよみがえります。
さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。
あなたの露は光の露。
地は死者の霊を生き返らせます。
ダニエル12:1~2ーその時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
ちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
黙示録20:4ーまた私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
*イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましい…患難時代前半の殉教者
*獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たち…患難時代後半の殉教者
⑴〜⑷までが、千年王国前の『幸いな者、聖なる者』の復活です。
この復活に与る者たちは、不死の『栄光のからだ』を持って千年王国に入ります。
特に、⑵の御霊の内住のある『教会時代の信者たち』は、携挙直後に『キリストの御座のさばき』において、キリストの弟子としての地上での働きに対する評価を受け、それに基づいて千年王国で『祭司』としての働きをするようになります。
この他に、千年王国には、原罪を持った『肉体 』で入って来る患難時代を生き延びた人々がいます。
しかし、患難時代を生き延びる人々の中には、中間期に『666』の獣(反キリスト)の刻印を受けた者もいますから、だれが御国に入り、だれが入れないかを振り分ける必要があります。その作業も『75日間の移行期』に行われます。
それが、マタイ25章の『十人の娘たち』『羊と山羊の裁き』です。
クリスチャンの中には、自分は『愚かな娘』ではないかと心配する人がいますが、これは教会時代の信者ではなく、患難時代に信仰を持ち、生き残った異邦人たちのことです。
『羊』組になった人々は、患難時代後半に反キリストの獣の像を拝まず、迫害に耐えて、生き延びた人々です。彼らが全員異邦人信者である理由は、患難時代を生き延びたイスラエルの『レムナント』がメシアを信じた時に、キリストの地上再臨が起こるからです。
イザヤ10:21ー残りの者、ヤコブの残りの者は、
力ある神に立ち返る。
イザヤ9:6ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
一方、『山羊』組になった者は、患難時代後半に反キリストについて、ユダヤ人たち迫害していた者=不信者たちです。
彼らは『ヨシャパテの谷』で、肉体の死を迎えることになり、そのたましいは千年王国の間『ハデス』で苦しむことになります。
⑸ すべての時代の不信者たち…千年王国後、『白い大いなる御座の裁き』を受けるために『不死のからだ』で復活し、『火の池』に入れられ、そこで永遠を過ごすことになる。
これですべての時代の信者も不信者も復活することになります。
ローマ2:11ー神にはえこひいきなどはないからです。
千年王国には、これら『栄光のからだ』で入る人々と、患難時代を生き延びた『肉体』を持ったまま入る人々の二つのグループがいるということを知っておく必要があります。
『栄光のからだ』で入る人々は、もう嫁いだり、めとったりはしません。
患難時代で人口は激減しましたが、キリストを信じて『肉体』を持って入ってくる人々は、結婚もし、子どもを生み、育てます。こうしてアダムによって人口が増えていくはずだった『神の民』の回復が行われることになります。
ルカ20:34ーイエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、
次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。
しかし、千年王国に入って来る初代の『肉体』を持つ異邦人たちは信者ですが、その子孫は肉体を持つがゆえに『原罪』をも有しています。 彼らの中には、キリストが『王の王』であることに反抗する者たちが出て来ます。
サタンは千年間『アビス』に閉じ込められているので、誘惑されることはありませんが、原罪があるがゆえに『自分が神となりたい』という内側からの欲望があります。
キリストの御座の裁きで『祭司』として任命を受けた者たちは、肉体で生まれて来る人々をキリストへと導き、とりなす働きをすることになります。現在の信仰生活は、そのための訓練に過ぎないのです。
中には、1ペテロ2:9から現在の信者を『万民祭司』と言う人がいますが、1・Ⅱ ペテロの手紙は、一世紀当時の『国外に散っているユダヤ人』宛であることを理解しなくてはなりません。
レビ記8:33~35によると、任職式には七日間を要します。
私たちはまだ『祭司』としての任職式を受けてはいません。
イザヤの預言から、千年王国で生まれてくる肉体を持った人々に対する神の忍耐の期間は、100年間であることがわかります。
その間に、キリストが『王の王』であることを認め、受け入れた人々はどこかの時点で『栄光のからだ』に変えられると思われます。(おそらく100歳の時でしょう)
イザヤ65:20ーそこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、
寿命の満ちない老人もない。
百歳で死ぬ者は若かったとされ、
百歳にならないで死ぬ者は、
のろわれた者とされる。
千年王国での人間の寿命は、100歳。
それまでに『王の王』であるキリストを受け入れない者たちは、肉体の死を迎えることになります。
千年王国は『エデンの園の回復』ではありますが、『原罪』を持った人々がいるため『いのちの木』だけはありません。
原罪を持った人々が、『いのちの木の実を食べて永遠に生きないように』という神様の恵みによる配慮です。
キリストの地上再臨前の最後の三日間で民族的回心をしたレムナントであるユダヤ人と、彼らから生まれてくるその子孫たちには御霊が下るので、千年王国において不信者のユダヤ人はひとりもいません。神の最初のご計画どおり『神の民』が増え広がることになります。
イザヤ44:3ーわたしは、潤いのない地に水を注ぎ、
かわいた地に豊かな流れを注ぎ、
わたしの霊をあなたのすえに、
わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。
⒋ 『いのちの木』はまだ無い。
神がアブラハムに約束されたすべての『土地』『子孫』『祝福』は、千年王国において文字通り成就します。
ですから、千年王国において百歳で死ぬ人々は、全員『不信仰な異邦人』ということになります。
千年王国の終わりになると、百歳に満たない人々の中で、王の王なるキリストに従って『永遠の御国』に入る人たちと、キリストに反抗する人たちとに振り分けるために、千年間アビスに閉じ込められていたサタンが解き放たれます。
黙示録20:1~3ーまた私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
『神の民』として、イスラエルは、神が最初の人アダムを創造された時のように『霊・肉ともに生き物』として千年王国で生きることになります。
しかし、異邦人から生まれて来る人々の中には『原罪』があり、神に不従順な者が出てきます。彼らを『永遠の秩序』である完成された『天のエルサレム』に入れることはできないため、『いのちの木』はまだありません。
『いのちの木』は、ユダヤ人、異邦人問わず、すべての民が神を信じる者だけになる『永遠の秩序/天のエルサレム』になるまで回復されません。
黙示録22:2ー都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
⒌ 祭りの回復
律法に基づく『イスラエルの七つの祭り』は、キリストの『型』でした。
①過越の祭り…キリストの十字架で成就
②種なしパンの祭り…キリストの葬りで成就
③初穂の祭り…キリストの復活で成就
⑤ラッパの祭り…花婿なるキリストのお迎え『携挙』で成就
⑥贖罪の日…患難時代で成就
⑦仮庵の祭り…キリストの御国/千年王国で成就
『千年王国』は、仮庵の祭りが『型』となっています。
ですから、千年王国で守り行うのは『仮庵の祭り』だけになります。
祭りを行うために必要な神殿は、千年王国のエルサレムに『第四神殿』が建っており、その御座に王の王なるキリストが着座されています。
仮庵の祭りを守る責務について、ゼカリヤが預言しています。
ゼカリヤ14:16~19ーエルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。
これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。
異邦人の国々からも、仮庵の祭りには巡礼団を派遣されます。
『仮庵の祭り』は、出エジプトの出来事と関連しているため、礼拝に上って来ない国に対する裁きの例に『エジプト』があげられているだけであり、原則はどこの国に対しても同じです。
現在を生きるクリスチャンの希望は、患難時代から救い出され、キリストの花嫁となる『携挙』と、キリストの御国である『千年王国』で生きることなのです。
この世のご利益宗教との大きな違いではないでしょうか?
私たちが何を目指し、どこに行こうとしているのかをよく理解し、目的と希望を持った信仰生活を送ることができますように。