イエスを裏切り自殺したイスカリオテ・ユダが抜けた後、ユダヤ人伝道のために使徒として選ばれたのは、パウロではなく『マッテヤ』でした。
使徒1:21~22ーですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。
パウロはイエスの公生涯の間もペンテコステ以降しばらくの間も、ユダヤ教のパリサイ派としてメシアニック・ジューたちを熱心に迫害する側に立っていましたから、十二使徒となるための『公生涯の目撃者』という条件を満たしていません。
では、十三人目の『使徒』となったパウロについて見ていきましょう。
①パウロはキリキヤのタルソ生まれのユダヤ人(ベニヤミン族)。
使徒22:3ー「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
*キリキヤのタルソ…トルコ南部の地中海に面した地域の町
*この町…エルサレム
*ガマリエル…使徒5:34ーところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
ローマ11:1ーすると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族出身です。
パウロは生れながら、ローマの市民権を有していた。
使徒22:28ーすると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ」と言った。そこでパウロは「私は生まれながらの市民です」と言った。
②改宗前のパウロは、ユダヤ教の中で最も厳格なパリサイ派に属していた。
使徒23:6ーしかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
使徒26:5ー彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活していました。
③改宗前は、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対していた。
使徒26:9ー以前は、私自身もナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。
④実行したのは、エルサレムで。
使徒26:10 ~11ーそして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばをいわせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追放して行きました。
使徒8:3ーサウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
⑤エルサレムから国外への離散のきっかけとなったのは、ステパノの殉教。
その時、少年サウロ(のちのパウロ)は、証人たちの着物の番をしていた。
使徒7:58ーそして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
使徒8:1ーサウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。
その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
使徒11:19ーさて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
*ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった…救いの優先順位は、いつの時代もユダヤ人が先。アブラハム契約
創世記12:3bー地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。
⑥パウロは『第二グループ』の使徒の条件を満たしており、異邦人への使徒として神によって召された。
1コリント9:1~2ー私は自由がないのでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。
たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です。
⑨異邦人への使徒であっても、パウロの伝道は常にまずユダヤ人から、それから異邦人へ。
使徒9:20ーそしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。
使徒13:13~15ーパウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤにペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。
しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」
*律法と預言者…パウロたちは『旧約聖書』からイエスがメシアであることを説き明かした。
使徒13:44~45ー次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。
*ユダヤ人たち…パリサイ人たちは、口伝律法を人々に教えていた。律法と預言者という旧約聖書の教えをイエスの教えたとおりにまっすぐに解き明かすパウロに人々が集まるのを見て、ねたみに燃えた。
※このときのことがきっかけとなり、パウロの異邦人伝道は始まった。
使徒13:46~48ーそこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。
なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。
『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。
あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』
異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。
使徒14:1ーイコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂ににはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も大ぜい人々が信仰にはいった。
使徒17:2ーパウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
*聖書に基づいて彼らと論じた…パウロたちは常に口伝律法ではなく、、(旧約)聖書に基づいて論じました。
使徒17:17ーそこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。
⑩みことばに対する姿勢の違いでバルナバと別行動をとったこともあった。