マタイ11:15~18ー耳のある者は聞きなさい。
この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、
こう言うのです。
『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。
弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
現代の日本もイエスの初臨時のユダヤ人たちに似ている。
キリストの福音を伝えても喜ばず、聖書の終末預言を伝えても気にも留めない。
今の平和が続き、自分は長寿を全うし、天国に行くと思い込んでいる。
まさに
“聞く耳のある人は聞きなさい。”と、主が言われたとおりですね。
Ⅱペテロ3:6~7ー当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
*当時の世界…ノアの時代。
*さばきと滅びの日…患難時代。
ヨエル書2章は、黙示録9章で発展します。
私たち異邦人信者(クリスチャン)が、黙示録を読んでもよくわからないのは、旧約聖書の預言書を理解していないからが一番の原因なのでしょうね。
詩篇147:19~20ー主はヤコブには、みことばを、
イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主は、どんな国々にも、
このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知っていない。ハレルヤ。
ある人々は「神の選びの民であったユダヤ人が、主イエスをメシアとして拒否し、十字架につけて殺したので、ユダヤ人に約束されていたすべての祝福は彼らから取り上げられ、イエスを信じる異邦人信者(クリスチャン)に与えられた。クリスチャンこそ『霊的イスラエル』である。」と説きます。
しかし、ユダヤ人信者であるパウロが主の十字架と復活の後で、次のように記しています。
ローマ3:1~2ーでは、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。
*ユダヤ人のすぐれたところは、神のいろいろなおことばをゆだねられている…今のキリスト教会で、一番理解が足りないのがこの部分なのです。
ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストに導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
*養育係…モーセを通してユダヤ人に与えられた『613ある律法』が、神の基準を示し、人間はどんなに頑張ってもその基準に到達することはできません。なぜなら、一つでも違反すれば、律法の違反者となってしまうからです。
『罪』とは、神の基準に到達していないことであり、神の御子イエスが人類の代表としてただひとり、この基準をクリアしてくださったのです。
ローマ5:17ーもしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
*ひとりの人の違反…アダムの違反により人間は『霊的に死』に、神から離れて自己中心に生きる者となり、『肉体的死ぬ』ことが決まりました。しかし、肉体が生きている間に、神の基準をクリアしたただひとりの『人であり、神である方』キリスト・イエスに結びつくことにより、『霊的に復活し、たとえ肉体の死を迎えても、携挙の時にキリストにある死者は復活する』と聖書は教えています。
ユダヤ人がイエスを拒否した『ベルゼブル論争』の後で信者になったパウロが、ガラテヤ人への書簡でこう述べているのですから、ユダヤ人に対する契約を神が反故にされたわけではありません。
ベルゼブル論争 〜マタイ12:22~28〜 - サザエのお裾分け
もし、神の選びの民であるユダヤ人に対する契約を反故にするような神であるのなら、異邦人信者であるクリスチャンに対する約束も反故にされる神だということになってしまい、救いの確信は持てなくなってしまいます。
神のユダヤ人に対する契約は、患難時代の終わりに必ず成就し、その時に生き残っているユダヤ人はみな救われるのです。
ローマ11:26aーこうして、イスラエルはみな救われる、ということです。
そして、アブラハムに約束された『土地・子孫・祝福』は、神を信じる全ユダヤ人の上に成就するのが、千年王国(メシア的王国)でということになり、この時、主を信じるクリスチャンたちは、神の子として『アブラハム契約の祝福』に与る者となるのです。
こうして神は、ご自分の選びの民ユダヤ人にも、御子を信じる異邦人にも約束を果たされることになります。だからこそ、聖書の神様は信頼できるお方なのです。
では、なぜ私たちは黙示録を難しいと感じてしまうのでしょう?
一部の教会では「恵みの時代は、新約聖書だけで十分」として、旧約聖書を避けてしまっています。この旧約聖書こそ、ユダヤ人に託された書物であり、キリストに導く『養育係』なのですから、本来は一世紀のように旧約聖書をよく知り、尚且つキリストを信じるユダヤ人たちからみことばの解き明かしを教えられるべきだったのです。
それを長い教会時代という歴史の中で、ユダヤ人を排除し、旧約聖書の土台を持たない異邦人が勝手に解釈して出来上がった『キリスト教』をユダヤ人に押し付け、キリストの名の元にまだメシアを信じていないユダヤ人を迫害してきたのです。
本来は、旧約聖書の土台に立って、新約聖書を理解すべきなのです。
そうすれば、イエスの行われたしるしや奇跡が単なる愛やあわれみだけでなく、『メシア預言の成就』『イエスこそメシアであるしるし』だということがはっきりと理解できるようになります。
『ベルゼブル論争』により、民族的にメシアを拒否してしまったユダヤ人たちから『メシア的王国=千年王国』は一度延期され、救いはメシアを信じる異邦人へもたらされることになりました。それが『教会時代』です。
今、教会時代の終わりになってようやく、メシアを信じるユダヤ人たちが多く起こされるようになってきました。今こそ、初代教会時代のように『ユダヤ人信者と異邦人信者が共に、キリストのからだなる “教会” を建て上げる』時なのだと思います。
黙示録には、旧約聖書の預言書からの引用が550箇所以上あり、ヨハネはそれらを時系列にまとめたのです。ですから当然、預言書と黙示録には類似点がたくさんあります。その一つが、ヨエル書との類似点です。
【類似点】_φ(・_・
①進軍の様子が、いなごや軍馬に例えられている。
②全地を破壊する火と炎について記されている。
③全地を襲う暗黒について記されている。
黙示録9章は第五のラッパの裁き。患難時代前半の終わりの出来事。中期には666が!
ヨエル2:31ー主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。
終末時代に起こる『暗黒』は、全部で5回。
そのうち、教会時代の終わりに起こる『暗黒』は1回。
黙示録9:1~11…この侵略で、悪霊たちは人間を殺すことは許されず、5ヶ月間苦しめることだけが許された。
黙示録9:13~21…第六のラッパの裁きでの侵略の目的は、人類の1/3を殺すこと。
患難期前半の裁きで悔い改めず、中期に反キリストの像を拝み、666の刻印を押された者たちは救いの機会を失い、後半の鉢の裁きにおいて文字通りの『火による裁き』を体験することになります。
それはまさに『生き地獄』🔥
だから、聖書は警告を発しているのです。
異邦人の救いは患難時代中期までです。中期になると、反キリストは自分の獣の像を拝むこと、また拝む者には『666の刻印』を押すことを強要します。この刻印を持たない者は、売買ができなくなりますから、日常生活が送れなくなります。多くの人々は、目先の日常の生活を第一に考え、また反キリストの不思議なしるし(メシアのしるしのコピー)を見て惑わされ、刻印を受けてしまうでしょう。
しかし、一度この刻印を押されたら、患難期後半はこの世で肉体のまま『生き地獄』を経験し、その後ハデスでは千年間苦しみ、復活のからだにされて永遠の火の池で苦しむことになるのです!
目先の生活よりも、永遠のいのちが大事な理由がここにあるからです。
このことを知っているクリスチャンだからこそ、本気で伝道するのです。
旧約聖書・新約聖書ともにこのことを警告しているのにも関わらず、地獄否定する者、全人類救済説を説く者が多すぎます!!
だからこそ、黙示録を学んだ者は、敢えて『腹には苦いことを伝える責任がある』と思っています。
神の愛と厳しさのバランスが大事。
そのような裁きから救い出してくださるのが、キリストの十字架の贖いだからです。
ルカ24:46b~48ーキリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。
詩篇56:13ーあなたは、私のいのちを死から、
まことに私の足を、つまずきから、
救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、
神の御前を歩むためでした。
マタイ24:4bー人に惑わされないように気をつけなさい。
①キリストの神性を否定するもの。
②キリストが人として来られたことを否定するもの。
③三位一体を否定するもの。
④キリストの十字架を否定するもの。
⑤キリストの復活を否定するもの。
⑥地獄を否定するもの。
⑦キリストの再臨を否定するもの。
⑧聖書以外の書物に権威を置くもの。
⑨行ないによる救いを強調するもの。
⑩正体を隠して勧誘したり、キリストの福音以外を宣べ伝えるもの。
これらの教えを聞いたら、必ず聖書箇所を聞き、みことばで確認しましょ。
聖書には終わりの時代についての預言がいくつもあります。
①時系列に起こる出来事が九つ、
②時間順不明の預言も四つ。
歴史を振り返ると、その中で既に三つのことが成就しています。
『いつ』とか『どの順番で』かはわからないが、患難時代前に起こる出来事が、3~4あり、『第三神殿』に関しては既に建設準備は整っています。つまり、いつでも着工可能であり、着工したらあっと言う間に建つことになるのです。
聖書が伝える『終末預言』ーその2 - Togetterまとめ
順不同で起こることの一つに『携挙』があります。もう既にいつ起こっても不思議ではない時期に入っていることだけは事実です。
キリストの花嫁として霊的に覚醒して、日々の信仰の歩みができますように。