サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 2:1~13 〜差別について〜

ヤコブ2:1ー私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。

*私の兄弟たち…新しいセクションに入ることを示す書き出し。

 

*栄光の主…復活のイエスの現われが、ヤコブにとってどれほどの説得力があったのかを示しています。

1コリント15:7ーその後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

 

*信仰…福音としてよく知られる内容を指す。

1コリント15:3~4ー私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

 

*人をえこひいきしてはいけません…文字通りの意味は『人をかたよって見てはならない』の意。

言い換えると『人を差別することによって、信仰を妥協してはいけない』ということ。

レビ記19:15ー不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。

 

ギリシャ語本文では『えこひいきしてはいけない』ということばは、強調された位置にあります。

 

 

ヤコブ2:2ーあなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな服装をした人がはいって来、またみずぼらしい服装をした貧しい人もはいって来たとします。

ヤコブはここで、ごく一般的なユダヤ人信者の集まる普通の会堂=『シナゴーグ』をたとえにあげています。『シナゴーグ』ということばを使うことは、ユダヤ人信者の聞き手にとっては馴染みのある専門用語でした。

しかし、ヤコブはこの書簡の5章では『教会』ということばも用いています。

シナゴーグ』と『教会』は別々のものではなく、『シナゴーグであり教会である』信者の公の集会であり、シナゴーグ』は集会の場所を、『教会』はその集会に集う人々を強調することばとして用いています。

 

*金の指輪…たったひとつの金の指輪がはめられているのではなく、多くの指に金の指輪がはめられている様子。

 

*りっぱな服…『輝く服』『華やかな服』の意。

1世紀のイスラエルでは、輝くような白い衣は、裕福な人々が着ていました。

 

*みすぼらしい服装をした貧しい人…貧困に襲われた人、の意。

下品な言い方をすれば、『不潔である』または『粗末である』という意味で、『りっぱな服装をした人』の反対語。

 

 

ヤコブ2:3ーあなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、「あなたは、こちらの良い席におすわりなさい。」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、

 

*目を留めて…好みによって見る、の意。

集会では『輝くような服』に感動し、心からこの裕福な人を歓迎し「こちらの良い席におすわりなさい。」と招き、シナゴーグでの良い席を提供します。

1サムエル16:7ーしかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしはかれを退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。

 

*そこで立っていなさい…一方で、貧しい人が入って来ると、その人は「ここに立っていなさい。」と目立たない場所にいるように言いつけます。

 

*でなければ、私の足もとにすわりなさい…もしくは『足のせ台』の上にではなく、『足のせ台』の下に座っているように、または足もとの床にすわっているようにと言うのです。これが特別待遇であり、差別です。

 

 

ヤコブ2:4ーあなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。

*差別…二種類の人々に『区別する』『分ける』の意。

 

ヤコブはここで二つの罪を説明しています。

*自分たちの間で差別を設け①人を『区別』していませんか? 

これらの信者たちは、主の御前で『社会的な差別で有罪』となるのです。

 

*悪い考えで人をさばく者になった②彼らは自らを『裁判官』として差別しているために、ヤコブは彼らを『さばく者』と呼んでいます。彼らの判断は外側の見かけにだけよるものであり、賢明ではありません。彼らの判断は『悪い考え』に基づいたものなのです。

 

 

ヤコブ2:5ーよく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。 

 金持ちへの関心と優遇、貧しい者に対する差別と無礼が、どれほど間違った判断であるかを示すために、ここで神がどう扱われているのか、本当の状況を説明しています。

 

*愛する兄弟たち…こう呼びかけることにより、彼らが『信者であること』とここから新しいセクションに入ることを示しています。

 

 ここで、ヤコブは『貧しい者たち』に対して三つのことを指摘しています。

①神に選ばれた人々…ほとんどの場合、この世の貧しい人たちは『神に選ばれた人々』だということ。

金持ちも救われることがあるため、『神が貧しい人々だけを選んだ』という意味ではありません。貧困であるということに霊的メリットはないので、『神がすべての貧しい人々を選ばれた』というのでもありません。

貧しい者たちは、神の恵みに基づいて純粋に選ばれたのです。

 

②信仰に富む者現在の側面貧しい人たちは『信仰に富む者』として選ばれました

貧しい者の富は、彼らの救いと救いの中にあるすべての恵み恵みを含みます。これらの富は、神の恵みによる富であり、この地上における位置的真理ーこの世の貧困とは対照的に霊的に裕福ーなのです。

 

③御国を相続する者将来の側面。将来のメシア的王国が貧しい者たちによって、受け継がれることへの言及です。

貧しい者たちはこの『王国』に不動産権利証書を所有しているということです。

ローマ8:17ーもし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 

ただし、『御国を受け継ぐこと』『御国に入ること』とには違いがあります。

*すべての信者は『神の御国=千年王国』に入ります!

マタイ5:20ーまことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。

*律法学者やパリサイ他人の義モーセの律法613を守ることによる『行いによる義』。

*まさるもの…メシアであるイエスを信じる『信仰により義』。

 

*従順な霊的信仰生活を送る者だけが、御国を受け継ぎます!!

ガラテヤ5:19~21ー肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、

偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 

 

*キリストの命令に従順な信仰の歩みをした者だけが、メシア的王国で、王であるメシアとともに支配する権限の冠を与えられ、栄光と報酬が与えられるのです。

 

 

ヤコブ2:6ーそれなのに、あなたがたは貧しい人を軽蔑したのです。あなたがたをしいたげるのは富んだ人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。

*あなたがたは…強調された位置にあり、彼らの罪を強調している。

 

*貧しい人たちを軽蔑した… 神が貧しい人に敬意を表したのとは対照的に、貧しいひとを軽蔑したということ。

 

*軽蔑…上司の前で、身を低くかがませることを意味。彼らの態度は、貧しい人にさらに身を低くしてかがむように強要しています。これは、神が選び、命じた方法とは真逆です。

 

ヤコブは、肯定の答えを期待する疑問文を三つ投げかけます。

①あなたがたをしいたげるのは富んだ人たちではありませんか?

*しいたげる…王が下の者たちを傷つけたり、弾圧するのに権威を用いている、の意。

七十人訳では、貧困者からの搾取と貧しい者たちを強調して、このことばが使われています

 

②あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか?

*引いて行く…裁判所に強制的に連れて行かれる、の意。

金持ちたちはユダヤ人信者たちから搾取するために、裁判所を使っていました。

 

 

ヤコブ2:7ーあなたがたがその名で呼ばれている尊い御名をけがすのも彼らではありませんか。

③あなたがたがその名で呼ばれている尊い御名をけがすのも彼らではありませんか?

*尊い…『美しい』『立派である』『素晴らしい』の意。

この美しく、立派で、素晴らしい御名『イエス』は、人類が救われるために呼び求める神の御名なのです。

使徒4:10 &12ー皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。 

 

ローマ10:13ー「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

信者たちはキリストの御名に属しているため、彼らは『キリスト者(クリスチャン)』と呼ばれていました。彼らは『メシア』に属していたのです。

 

使徒11:26b弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

 

*けがす…ことばによる冒涜。金持ちたちは、イエス・キリストの御名を汚していたのです。

 

 

ヤコブ2:8ーもし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。

8~11節で、著者ヤコブはどの行いが最高の律法の違反であるかを確認します。

*聖書(Spricture)…成し遂げるべき基準、を意味。 

 

*最高の律法を守るなら…『ゴールに達するように実行する』の意。

この律法を守るというゴールに達するには、他者に敬意を払うか否かによって示されます。『最高の律法』は、モーセの十戒の一つではなく、レビ記19:18で説かれたものです。

レビ記19:18ー復讐してはならない。あなたの国の人々をうらんではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。

 

この戒律は、マルコ12:28~31で『613あるモーセの律法』の中で二番目に重要な戒めとしてイエスによって引用されました。それが『キリストの律法』『黄金律』と言われるものです。

マルコ12:28~31ー律法学者のひとりが来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」

イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

 

 彼らが、人を差別しないことにより、聖書の命令に従うなら『立派だ』と行いが認められます。経済的な地位により、人を差別するならば『黄金律』『キリストの律法』に違反することになります。

 

 

ヤコブ2:9ーしかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。

*えこひいきする…神の義に達していないため、罪を犯すことになります。これは『黄金律』を犯すことであり、結果として罪に定められます。

 

ヤコブの手紙の受取手(聞き手)であるユダヤ人信者たちの多くは、キリストの十字架によりモーセの律法は無効になったにも関わらず、律法が彼らのためにまだ有効であると確信していました。

使徒21:20ー彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。 

 

【罪と違反の区別】

…神の基準に足りないこと。この場合の基準は、レビ記19:18と『キリストの黄金律』。

違反…特定の戒め、命令に対する故意の違反。

 

新約聖書27巻の中で一番最初に書かれたのがこの書簡のため、書かれた時にはまだすべたが完全に明らかにされたわけではありませんでした。そのため、モーセの律法でさえ、彼らの行動に対し、降りな証言をして有罪判決を下すという時代でした。

ローマ2:12ー律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

 

ヤコブ2:10ー律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。

『律法』というと『モーセの十戒』を思い浮かべる方は多いとおもいますが、実際には『613』あるのがモーセの律法です。そしてこれらの一つでも破った者は、たとえ他の612の律法を守ったとしても、『律法の違反者』となるのです。そして、律法の一つでも破ることによって、その人は律法の全てを違反した者として神から見られるということです。

 

ヤコブ2:11ーなぜなら、「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者となったのです。

*なぜなら…ヤコブは、10節の理由を『律法のすべての戒律は同じ神からきている』と述べています。言い換えると、全く同一の神がこれらすべての戒律を授けたということであり、613ある全律法は同じ権威者の印が押されているということです。そのため、律法の一つにでも違反するということは、すべての律法を制定された方に対して、抵抗することになります。

 

*殺してはならないモーセの十戒の第六戒。

*姦淫してはならないモーセの十戒の第七戒。 

これら二つの戒律の反転であり、ともに『愛の律法に違反』します。

 

モーセの律法は、613全てを守り行うか、メシアの十字架によりすべてを無効とするかの二者択一なのです。

ローマ10:4キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

 

 

ヤコブ2:12ー自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行いなさい。

『黄金律』の原則は、メシアの律法の原則です。

 

*語り…ことばによって明らかにされる手段、の意。

*行いなさい…行動によって明らかにされる手段、の意。

*さばかれる者らしく…将来の出来事を指します。それは『キリストの律法』に言及し、ユダヤ人信者をモーセの律法にパリサイ派による形式主義的解釈からの解放を提供します。この『さばき』とは、信者だけが立つ『キリストの御座のさばき』であり、誰一人『有罪判決』になることはありません。

 

ヤコブはことばで言い表すことの証拠として、行いを強調しているため、信者はことばと行いによって示す必要があると述べています。

 

 

ヤコブ2:13ーあわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

 

*あわれみ…『キリストの律法』はあわれみに準じたさばきです。他者に対するあわれみの欠如は、自分に返ってくるということ。

 

ここでいう『さばき』とは、キリストの御座のさばきのことです。

Ⅱコリント5:10ーなぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 

*勝ち誇る…『自慢する』『有頂天になる』の意。

 

ポイントは、

*あわれみを示す…あわれみを手に入れる、の意。

*さばきを示す…判断を手に入れる、の意。

 

あわれみ深い神様は、信者を責めたくないと思っておられます。神はあわれみを示したいと望んでおられます。しかし、あわれみを示したことのない者は、責められる結果となるのです。