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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ピリピ人への手紙 3:13~21

ピリピ3:13ー兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

*うしろのものを忘れ…過去に捉われ、思い返して落ち込むのではなく、の意。

パウロは、かつてキリストの教会を迫害していた自分を忘れたわけではありません。自分がどれほどの『罪人』であったか、どのようなところからキリストが救い出してくださったのか、自分の信仰の原点として覚えていました。

 

パウロは、ダマスコ途上での救いの経験の証しをおもに用いて伝道したのではなく、みことばの説き明かし、旧約聖書が示すメシアこそイエスであると説いて歩いたのです。

使徒の働き26章パウロの証しは、伝道のためではなく、アグリッパ王に対する自分の弁明のためでした。

 

Ⅱコリント11:23~12:10パウロの証しは、不信者をキリストに導くためではなく、コリントの信者たちを導き、励ますためでした。

ですから、私たちも伝道するときは、自分のことばによる自分の経験ではなく、みことばからキリストを宣べ伝えるべきです。 

 

Ⅱテモテ2:15ーあなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。

 

Ⅱテモテ4:2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

 

もし、今までの伝道が自分の証し中心であったのなら、悔い改めて、これからは『真理のみことばをまっすぐに説き明かせる働き人になるように』『みことばを宣べ伝えるキリストの弟子となるように』祈り求め、変えられていきましょう。

 

*ひたむきに前のもの …パウロが目指していたのは、日々の霊的成長『聖化』であり、救いの完成『栄化』でした。

 

 

ピリピ3:14ーキリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

*神の栄冠…キリストの御座のさばきにて頂ける神様からの報酬の冠。 

 

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ピリピ3:15ーですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

*成人…別訳:完全。霊的に成長した者、の意。

コリントの信者たちの霊的理解度は、個人差があったのでしょう。まだ、霊的幼子や成長過程にある人たちには、神が足りない点を明らかにしてくださることを、パウロは確信しています。霊的に成長するには、みことばを慕い求めることです。 

 

 

ピリピ3:16ーそれはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

*すでに達しているところを基準…生後間も無い赤ちゃんに、固形物を与える人はいません。霊的幼子にも同じこと。 救われて間も無い人は、不信者だった時の基準ではなく、キリストにあって救われた者としての考え方を、みことばの乳によって成長した者は、その成長度合いに見合ったみことばによる基準を、霊的成人となった者は、より堅い食物としてのみことばの理解ができるようにと成長を続けるべきなのです。

 

1ペテロ2:2ー生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

*それによって成長し、救いを得るため新改訳聖書の誤訳箇所の一つ。要注意!

私たちはキリストの福音を信じ、告白した時に、すでに救いを得ています。その救いはどんなことがあっても失うものではありません。救いは『私たち』の状態にかかっているのではなく、御子の十字架の贖いのゆえだからです。ここは『救いの中で成長し、完全な者となるためです。』という『聖化〜栄化』のことを意味しています。

 

ヘブル5:14ーしかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

 

 

ピリピ3:17ー兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

*私を見ならう者になってください…パウロは、肉的なものを誇りとする『ユダヤ主義者』たちのように、間違った信仰の考え方をする者たちを手本にするのではなく、みことばに基準を置く自分を、またそのような基準で歩んでいる人たちを手本にして欲しいと訴えています。 

 

現代でも、キリスト教の仮面をつけたご利益宗教のような『繁栄の神学』を土台にした教え、キリストの栄光ではなく、自分たちの栄光を求めるような教え、みことばの真理よりも人間の感情を土台とするような教えがあります。今こそ、聖書のみことばに基準を置いて、『良い物と悪い物とを見分ける信仰の目を持つべき』時ではないでしょうか。 

 

 

ピリピ3:18ーというのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

*十字架の敵…キリストの贖いをないがしろにし、また、救われたのだから何をしてもいいと、自分の欲望のままに歩んでいる人。みことばに従おうとしない人。

 

マルコ9:40ーわたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。 

 

 

ピリピ3:19ー彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

*彼らの最後は滅びです…本当にキリストを信じた者は、キリストを愛します。キリストを愛する者は、キリストの戒めを守ります。キリストの戒めとは、キリストのことばであり、キリストのことばとは『聖書のみことば/神のことば』です。みことばをないがしろにし、みことばの一部だけを用いて持論だけを説く者は『偽教師』なのです。

 

 

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ヨハネ1:1, 14ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 

ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

*そうすれば…『イエスのことば/戒め/みことば』を守れば、の意。

みことばを守る人は、神に愛され、御霊の内住ヨハネ14:16~17a)だけでなく、御父も御子もその人の内に住まわれるのです。逆に、みことばをないがしろにする偽教師たちは、神に愛されていない、三位一体の神の内住のない『滅び』に向かう人々であるということです。

 

 

*彼らの思いは地上のことだけ…永遠の御国のことなど眼中になく、目先のこと、今が良ければいいという考えに囚われているということ。この世がすべてだと思っているのです。

 

 

ピリピ3:20ーけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

*私たちの国籍は天にある…キリストを本当に信じる者は『神の子ども』なったのですから、当然信者のたましいの国籍は『天/神の御国』にあります。

 

*救い主として…キリストは、私たちのたましいの救い主であられるだけでなく、来るべき『主の日/七年間の患難時代/試練の時/ヤコブの苦しみのとき』からの救い主でもあられます。

 

黙示録3:10ー あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

*試練の時…患難時代の裁きは『全世界』に及びますから、たとえ信者であってもこの地上には『逃れの町』はありません。(イスラエルのレムナントにのみ、『ボツラ』が『逃れの町』として用意されています)

教会時代の信者のために、キリストが備えてくださっている『逃れの町』は、私たちの国籍のある『天』です。キリストは『救い主』として携挙により、そこに引き上げて守ってくださるのです。つまり、携挙は患難時代の前に起こる出来事だということです。

 

 

 

ピリピ3:21ーキリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

*私たち…パウロを含む『教会時代のユダヤ人信者(メシアニックジュー)と異邦人信者(クリスチャン)』のこと。教会時代の信者だけが『御霊の内住』が与えられる、キリストの花嫁となる『普遍的教会』です。

 

*栄光のからだ…『携挙』の瞬間に与えられます。

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今を生きる信者の希望は、この『携挙』とその次に来るキリストによる統治の『千年王国』そして『新天新地での永遠の秩序』なのです。