多くの異邦人信者は、『新しい契約は父なる神と人とが結んだもので、キリストがこの契約の仲介者』だと理解されてきたと思います。
が、『新しい契約』は、父なる神と『イスラエルの二つの家=北イスラエルと南ユダ』の間で結んだものであり、『アブラハム契約』の条項の一つである『祝福』を発展させたものであって、異邦人と結んだ契約ではありません。
新しい契約は、キリストにおいて成就したものであって、教会において成就したものではありません。
この『新しい契約』の優位性 の本質は、旧い契約である『モーセ契約』が一時的であり、新しい契約に変えられたということです。
しかし、『新しい契約』は、変えられることのない永遠の契約です。
ここでのポイントは、旧約聖書の預言者たちが、いつか旧い契約はより優れた新しい契約にとって代わることを預言していたということです。
『旧い契約=モーセ契約/律法』は、『義』を産み出すことのできない欠けのあるものだったからです。
ローマ3:20~21ーなぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
ヘブル8:7ーもしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。
もし神が旧い契約(モーセ契約)を永遠の契約とされるのであれば、もう一つの契約が入り込む余地はありませんでした。
旧い契約が完全であり、欠けのないものであったならば、新しい契約を求める必要はなかったのです。
しかし実際は、旧い契約は将来の『義』をもたらすには不完全なものでした。
へブル8:8~12は、エレミヤ31:31~34からの引用です。
エレミヤ31:31ー見よ。その日が来る。ー主の御告げーその日、わたしはイスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。ー主の御告げー
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。ー主の御告げー わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。ー主の御告げーわたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」
ヘブル8:8ーしかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。
「主が、言われる。
見よ。日が来る。
わたしが、イスラエルの家やユダの家と
新しい契約を結ぶ日が。
著者は、“旧い契約には欠けがある”として、エレミヤ書からの引用を紹介しています。
*それ…律法が有効でなければならなかったことに言及しています。
ヘブル8:9ーそれは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、
彼らをエジプトの地から導き出した日に
彼らと結んだ契約のようなものではない。
彼らがわたしの契約を守り通さないので、
わたしも、彼らを顧みなかったと、
主は言われる。
律法に従い通すことができなかったイスラエルに問題があり、律法には従わせるだけの力がなかったことに問題がありました。
問題は、律法にあるのではなく、律法によって導かれる者が誰もいなかったところにあるのです。
ヘブル8:10ーそれらの日の後、わたしが、
イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、
主が言われる。
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつける。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。
著者は、教会がイスラエルにとって代わった、または、教会が契約を成し遂げていることを示すために、これらの聖句を引用しているのではありません。
著者は、モーセの律法が一時的であることを、旧約聖書の中で既に知られていたということを証明するためにだけ、これらの聖句を引用したのです。
ヘブル8:11ーまた彼らが、おのおのその町の者に、
また、おのおのその兄弟に教えて、
『主を知れ』と言うことは決してない。
小さい者から大きい者に至るまで、
彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
ヘブル8:12ーなぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、
もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
新しい契約の内容には、神との新しい関係、内側の変化による罪の赦しの約束があります。
ヘブル8:13ー神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
13節は結論を述べています。
エレミヤは『新しい契約』と言うとすぐに、モーセ契約を一時的な『旧い契約』だとしました。
旧い契約は、廃れていく途上にありました。『モーセ契約』はエレミヤのもとで『旧い契約』となり、イエスの十字架の死とともに旧い契約の時代は幕を閉じました。
*古い…ギリシャ語:『パレイオス』、英語の『考古学』の起源の言葉。それは、使用目的において『古い』という意味。“すり減らされる” “役に立たない” “廃れさせる” などの意で、使用不可能という意味において『古くなった』ことを意味するギリシャ語の完了時制。
新しい契約は、旧い契約を永遠に効力を失った『古い』ものとしました。
したがって、レビ系の祭司職とモーセ契約は一時的なものであり、その代わりのこの新しい契約は永久的であり、永遠に変わらないものだということです。
そして、今、私たち異邦人信者は、この永遠に変わることのない新しい契約のもとに生かされているのです。ハレルヤ!