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サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

レギオンに憑かれた人 〜ルカ8:26~39〜

ルカの福音書

ルカ8:26ーこうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。

 

*ゲラサ人の地方ガリラヤ湖東海岸、デカポリス(ガリラヤ湖ヨルダン川東岸に散在していた『十の都市』の意)の一つ。ギリシャの神々を祭る異邦人の町。そこから1.5km程南に断崖がある。 

イエスたち一行はカペナウムから舟で移動する途中、突風に遭い、イエスが風と荒波に命じて嵐を静められた。ルカ8:22~25

 

 

ルカ8:27ーイエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。

 

*悪霊…被造物である天使たちに中の最高位のケルブが神に反逆して『サタン』となった時、その仲間となった『堕天使』たちのこと。天使たちは『仕える霊』なので、サタンに仕えるようになった『悪い霊たち』のこと。

 

osusowake.hatenablog.com

 

彼らの活動は、人類の創造から四千年をカバーする旧約聖書の中であっても数回、教会時代の最初の30年間をカバーする使徒の働きの中でも数える程しか記されていません。

なのに、なぜ私たちの記憶には『悪霊の働き』の印象が強く残っているのでしょう?

それは、私たちがよく読む四福音書にたくさん記されているからです。

福音書はイエスの生涯を記した書です。つまり、イエスの初臨時の33年半の間、サタンは世界中の悪霊たちをイスラエルに結集させて、メシアとしての働きを全力で妨害したのです。この箇所もその一つです。

 

*長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた…悪霊に憑かれた人は、

①長い間

②裸で

③墓場に住んでいました。

 

悪霊に憑かれた結果、この人は人間としての尊厳を失っていました。

マルコ5:3~5ーこの人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。

彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押えるだけの力がなかったのである。

それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。

 

 

ルカ8:28ー彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」

 

*御前にひれ伏して…この人自身がイエスを認めて『ひれ伏し』たのではありません。

 

*いと高き神の子、イエスさま…この人に憑いている悪霊が『敵対する者』として神の御子を認識してひれ伏しています

 

*どうか私を苦しめないでください…これは、彼の中に取り憑いている悪霊の叫びです。

なぜ、悪霊はこんなに恐れおののいているのでしょう?(その答えは、31節にあります。)

 

 

ルカ8:29ーそれは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。

 

*この人から出て行け…イエスの悪霊に対する態度、この『人』に対する態度の違いに気づかれましたか? 

人の人格を破壊する悪霊に対しては厳しく命じられ、この『人』の人格を大事に扱われている…つまり、神に似せて造られた人間は、神に愛される存在であるということに…。

 

創世記1:26ー神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」 

 

イザヤ43:4ーわたしの目には、あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。

だからわたしは人をあなたの代わりにし、

国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

 

ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

 

ルカ8:30ーイエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼に入っていたからである。

 

*「何という名か」…当時、悪霊を追い出す場合、まず取り憑いている悪霊の名前を聞き出し、その名を呼んで出て行くように命じていました。

 

しかし、耳が聞こえず話すこともできない人に悪霊が取り憑いた場合、ユダヤ教の指導者たちには追い出すことができませんでした。彼らは「耳が聞こえず、口もきけない人に憑いた悪霊を追い出すのは『メシアのわざ』であり、メシアだけができるのだと教えていたのです。それをやったのがイエスでしたが、イエスがメシアだとは認めたくない指導者たちは、イエスの神としてのわざを『悪霊どものかしらベルゼブルの力によって』だと説明し、自分たちだけでなく人々をも救いから遠ざけてしまったのです。

osusowake.hatenablog.com

 

*「レギオンです。」…『レギオン』とは、ローマ軍の最大の軍団で、六千人で編成されていたもので、そこから『大勢の悪霊』に取り憑かれていたことがわかります。

マルコ5:5ー石で自分のからだを傷つけていた…自虐性

ルカ8:27ー墓場に住んでいた。・ルカ8:29ー荒野に追いやられていた。…非社交性

ルカ8:29ー足かせや鎖を断ち切って…凶暴性

ルカ8:28ー私を苦しめないでください…人格の混濁

 

 

ルカ8:31ー悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。

 

*底知れぬ所…死後の世界の滅びを待つ部屋には、不信仰な人間が行く『ハデス』と悪霊たちが行く『アビス』、そして創世記6章のネフィリムを生み出した重罪を犯した堕天使たちが行く『タータラス』の三つに分かれています。

ここでの『底知れぬ所』と訳されているのは、『アビス』という堕天使(悪霊)たちが行く所です。彼らはやがて七年間の患難時代の前半の終わり、第五のラッパの裁きの時に地上で人々を苦しめるためにそこから出されますが、千年王国の間はバビロンとボツラのに箇所に閉じ込められることになります。イザヤ13:19~22, 34:8~15

 

 

ルカ8:32ーちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。

 

*豚の群れが飼ってあった…豚の群れが飼われていたことから、ゲラサ地方が異邦人の町であったことがわかります。ユダヤ人たちにとって豚は汚れた動物であり、律法によって食することを禁じられていたので、食用に『飼う』ということはありえませんでした。

申命記14:8ー豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないから、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体にも触れてはならない。 

 

*豚に入る…悪霊たちにとっては『底知れぬ所=アビス=苦しみの場所』に行くよりは、豚の中に入ることの方がよかったのです。『豚の群れ』とありますから『レギオン(大勢)』が入るには適していたのでしょう。

 

*イエスはそれを許された…豚の群れとこの『人』とでは、神に似せて造られた『人』の方が大事な存在であることがわかります。イエスはこのひとりの人を悪霊の支配から解放するほど、人を愛されているのです。

 

 

ルカ8:33ー悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。

 

悪霊どもはイエスの命令に従っています。神に敵対することを選んだ彼らでさえ、イエスに逆らうことはできないのです。 

 

*豚の群れは〜おぼれ死んだ… 『レギオン』が入った豚の群れはおぼれ死にました。この後、レギオンがアビスに行ったのかどうかは、聖書にこれ以上書かれてないのでわかりません。しかし、間違っても第三の天に行くことだけはありませんので、ご安心ください。m(_ _)m

 

 

ルカ8:34ー飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。

 

*この出来事を見て逃げ出し…豚の飼い主の反応です。 

 

 

ルカ8:35ー人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。

 

*人々は恐ろしくなった…この辺りの町や村々の人々は、悪霊に取り憑かれていた人が正気になったのを見て恐れています。この人が悪霊に取り憑かれていた時は恐ろしくはなかったのでしょうか?

彼らは実際には何を『恐れた』のでしょう?(答えは、38節にあります。)

 

 

ルカ8:36ー目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。

 

*救われた…救いを意味するギリシャ語『ソゾ』は、『肉体的救い』にも『霊的救い』にも用いられる言葉です。

目撃者たちは、悪霊に憑かれていた人が悪霊の支配から解放され『救われた』次第を町や村々の人々に伝えました。

 

 

ルカ8:37ーゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。

 

*離れていただきたい…なぜゲラサ地方の民衆は、イエスに『自分たちのところから離れていただきたい』と願ったのでしょう?

彼らの価値観は、おぼれ死んだ豚の群れと正気に戻ったひとりの人と、どちらに重きを置いたものでしょうか?

 

キリストの到来を毛嫌いし、聖書では汚れた動物とされている豚の群れに重きを置く生活の価値観の中に留まろうとするこの地の人々と、現代を生きる人々の中に共通点はありますか?

 

 

ルカ8:38ーそのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。

 

*お供をしたいとしきりに願った…今まで長いこと悪霊に支配され、自分の自由意志で願うことこともなかった人が、最初に願ったことが 主の「お供をしたい」というものでした。このことからも、彼が完全に悪霊ども『レギオン』から解放されたことがわかります。

 

 

ルカ8:39ー「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

 

*「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」…イエスに従うということは、物理的にただイエスと行動を共にすることだけとは限りません。『証し人』としてその場に留まることもまた、イエスに従うことになるのです。

現に、3年半行動を共にして来たイスカリオテ・ユダは、最後にイエスを裏切りました。聖書は『ユダは初めから信じていなかった』と記しています。

ヨハネ6:64ーしかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」ーイエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのであるー

 

*町中に言い広めた…聖書はこの先、どのように神が働かれたかは記していません。しかし、この人は一度はイエスを恐れ、毛嫌いした人々が住む町で、神の大いなるみわざを『言い広めた』とあります。それが結果として、町の人々の救いへと変えられていくことに繋がったのではないかと思います。

  

主の御心のままに従順に従っていくこと、自分が今置かれた場でできることをしていくこともまた、『主に従う』ことなんですね。

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 私たちも『今できること』をしていけますようにー祈ー。

 

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