サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

イザヤ書1章 〜天での裁判〜

『イザヤの福音書』『第五の福音書と言われるイザヤ書は、メシア誕生からメシアの受難の預言、さらに主の日=患難時代と主の再臨の預言までを含んでいます。
エリヤの時代に初めて出てきた『レムナント=イスラエルの残りの者』という教えをイザヤが発展させ、継続したイスラエルの民族的回心への勧めが呼びかけられています。
 
イザヤ書1章は、天での裁判の様子(原告と裁判長…神、被告人…イスラエル、証人…天と地)が描かれています。
 
申命記30:19~20ー私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
あなたの神、を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたはが、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。
 
 1~9節…神がイスラエルを告訴し、
10~15節イスラエルの訴えが虚しいものであることを証言、
16~20節…神はイスラエルに恵みと憐れみとを差し出しますが、
21~23節イスラエルはそれらを拒否、
24~31節…神による判決がくだされます。
 
 
イザヤ1:1ーアモツの子イザヤの幻。これは彼が、ユダとエルサレムについて、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである。
 
*アモツ…イザヤの父、聖書ではそれ以上の情報はありませんが、『ユダヤ人の伝承』では、アモツも預言者であり、アマツヤ王の兄弟と言われています。
もしこれが事実だとしたら、イザヤは王族の一人であり、ウジヤ王と従兄弟ということになりますが、確定的ではない情報です。
 
*イザヤ…意味は三つ:①【主】の救い、②【主】は救い、③救いの【主】
 
*イザヤが見た幻…『預言者が幻を見る』というのは、異なる場所で起きていること、または、将来起こることを幻の中で見せられた、という意味。
 
*ユダとエルサレムについてイザヤ書全体のテーマ
異邦人諸国についての内容も含まれますが、イスラエルと接触する文脈での預言が付与される形となっています。
 
*ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代イザヤ書6:1によれば『ウジヤ王の死んだ年=BC742年』にイザヤは預言者として召命を受けており、マナセ王の時代まで約50年もの間、預言者として活躍したことになります。
 
*ウジヤ…別名:アザルヤ(BC783~742年)ー
王記14:21~15:7, Ⅱ歴代誌26:1~23
ユダ王国善王のひとり。軍事力により、勢力拡大に成功。後に、心が高ぶり、主に対し不信の罪を犯しました。王でありながら祭司職の仕事をしたため、レプラで神がウジヤを打ち、ウジヤはツァラアトの冒され、残りの生涯を隔離されて過ごしました。
 
*ヨタム(BC742〜735年)…Ⅱ列王記15:7b, Ⅱ歴代誌27章
短い治世の間に、偶像を取り除いた善王。しかし、ウジヤ同様『高き所』を取り除こうとはしませんでした。
f:id:bluemome:20171028092816j:plain                          中央の円形状の物が『聖なる高き所』
 
『聖なる高き所』はバアルやアシュケロンのような異教の神を礼拝する場所ではなかったため、ウジヤ王もヨタム王も取り除くことはしませんでした。しかし、『聖なる高き所』は、神が定めた礼拝場所=エルサレムの神殿(幕屋)ではないため、神の目には『罪』なのです。
 
*アハズ(BC735〜715年)…Ⅱ列王記16:1~20, Ⅱ歴代誌28:1~27
アハズは、イザヤが預言者として活動した時代の四人の王たちの中で最も悪い王でした。
アハズが犯した三つの大きな罪は、
①バアルカナン人の神々の一つ)のために鋳物の像を作り、
②異教の習慣に習い、
③聖なる高き所で誤った方法で礼拝をしたことです。
 
アハズ王の時代にシリヤと北イスラエルが連合し、ユダを攻めに来るという出来事があり、このことがきっかけとなって、イザヤにメシアに処女降誕の預言が与えられました。
イザヤ7:14ーそれゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
 
アハズはアッシリヤと同盟を結ぼうとした結果、アッシリヤの支配を受けることになりました。
 
*ヒゼキヤ(BC715~687年)…Ⅱ列王記18:1~20:21, Ⅱ歴代誌29:1~32:33
ヒゼキヤは、ウジヤとヨタムの善業を回復し、アハズによる混乱と聖なる高き所をも取り除いた非常に善い王でした。
国全体で過越の祭りを行うように働きかけ、アッシリヤによって壊滅状態になっていた北イスラエルに様々な布教活動を行いました。
 
 
イザヤ1:2ー天よ、聞け。地も耳を傾けよ。
が語られるからだ。
「子らはわたしが大きくし、育てた。
しかし彼らはわたしに逆らった。
 
9節まではイスラエル罪と罰について語られ、特に2節でイスラエルの反逆が宣告されています。
 
天よ、聞け。地も耳を傾けよモーセ契約が締結される時も天と地がその証人となっているため、ここでも天と地に呼びかけられています。契約の締結時には、証人が必要となります。申命記30:19, 31:28, 32:1 
 
申命記4:26私は、きょう、あなたがたに対して、天と地とを証人に立てる。あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしているその土地から、たちまちにして滅びうせる。そこで長く生きるどころか、すっかり根絶やしにされるだろう。
 
*子らイスラエルのこと。出エジプト記4:22~23, 申命記14:1, 32:20
旧約聖書には、ユダヤ人が個人的に『神の子』と呼ばれることはありません。
 常に民族として『わたしの子』『わたしの子ら』と言われています。
 
*子らはわたしが大きくし、育てたエゼキエル書16:3~7参照
エジプトで数を増し、荒野で信仰の訓練を受け、二代目リーダー、ヨシュアに引き連れられ、カナンの地を征服し、士師たちによって守られ、ダビデ、ソロモンによって領土を広げたというイスラエルのユニークな立場を表現。
 
*しかし彼らはわたしに逆らった…『子ら』であるイスラエルを神は養い、育てました。しかし、イスラエルの民は消極的に反抗したというよりは、神に対して十分な知識を持ちながら積極的に反逆した、という意味が強い。
 
 
イザヤ1:3ー牛はその飼い主を、
ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。
それなのに、イスラエルは知らない。
わたしの民は悟らない。」
 
*牛、ろば…安定性を欠いた頭の悪い愚かな動物として表現されており、その動物たちでさえ、飼い主や飼い葉桶を認識しているのに、イスラエルはその飼い主がわからない。
 
*わたしの民は悟らない…飼い主のことを考えもせず、気にもかけない、の意。つまり、牛とろばよりも出来が悪いということ。
 
 
イザヤ1:4ーああ。罪を犯す国、咎重き民、
悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。
彼らはを捨て、
イスラエルの聖なる方を侮り、
背を向けて離れ去った。
 
イスラエルの聖なるかた… 神の『聖さ』を表すことば。旧約聖書で31回出て来る中で、26回がイザヤ書で用いられています。
 
 
イザヤ1:5ーあなたがたは、なおも
どこを打たれようというのか。
反逆に反逆を重ねて。
頭は残すところなく病にかかり、
心臓もすっかり弱り果てている。
 
*反逆に反逆を重ねてイスラエルは荒廃しきっているのに、なおも反逆を続けているということ。
 
 
イザヤ1:6ー足の裏から頭まで、
健全なところはなく、
傷と、打ち傷と、打たれた生傷。
絞り出してももらえず、
包んでももらえず、
油で和らげてももらえない。
 
*足の裏から頭まで…その荒廃ぶり、不健康さがどれくらい深刻なのかを表現。
 
*油で和らげてももらえない…油は医薬品としても用いられていた。 
 
 
イザヤ1:7ーあなたがたの国は荒れ果てている。
あなたがたの町々は火で焼かれ、
畑は、あなたがたの前で、他国人が食い荒らし、
他国人の破滅にも似て荒れ果てている。
 
*町々は火で焼かれ…BC701年のアッシリヤの侵略が背景にあり、セナケリブ王によって町々が放火されたことを表現。
当時のイスラエルの状態は、セナケリブによって48の町々が破壊され、20万人のユダヤ人たちがアッシリヤに連れて行かれていました。
 
イザヤ1:8ーしかし、シオンの娘は残された。
あたかもぶどう畑の小屋のように、
きゅうり畑の番小屋のように、
包囲された町のように。
 
*しかし、シオンの娘は残された…『シオンの娘』とは、エルサレムのこと。
大きくて広い家に住むのではなく、小屋みたいな所に残される羽目になった、ということ。
 
 
イザヤ1:9ーもしも、万軍のが、少しの生き残りの者を
私たちに残されなかったら、
私たちもソドムのようになり、
ゴモラと同じようになっていた。

*少しの生き残りの者…『レムナント』の教理。イスラエルが民族として滅びない最大の理由は、真の信仰者である『レムナント』をイスラエルにのこしておいたためだとわかります。
 
1列王記19:18ーしかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめずバアルに口づけしなかった者である。」
 
アモス4:11ーわたしは、あなたをくつがえした。
神がソドムとゴモラをくつがえしたように。
あなたがたは炎の中から取り出された
燃えさしのようであった。
それでも、あなたがたは
わたしのもとに帰ってこなかった。
ーーの御告げーー
 
*ソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていた…ソドムとゴモラの壊滅は完全な荒廃であり、生き残りはいない状態でした。しかし、」イスラエルの場合は、神が『生き残り』を守ってくださいました。もし、そうでなければ、イスラエルもソドムとゴモラと同じように壊滅状態になっていた、ということ。
 
ローマ9:27~29ーまた、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。
「たといイスラエルの子どもたちの数は、
海べの砂のようであっても、
救われるのは、残された者である。
主は、みことばを完全に、しかも敏速に、
地上に成し遂げられる。」
また、イザヤがこう預言したとおりです。
「もし万軍の主が、私たちに
子孫を残されなかったら、私たちはソドムのようになり、
ゴモラと同じものとされたであろう。」
 
 
10~17節では、イスラエルがいかに『形式的な礼拝』を膨れ上がらせていったのか?…を、神はイスラエルが自らを弁護することを想定して、先取りして回答していきます。
『形式的な礼拝』は、神の御前に何の効果ももたらしません。
私たちはこの箇所から、自らの礼拝が形式的になっていないか吟味する必要があると思います。
 
イザヤ1:10ー聞け。ソドムの首領たち。のことばを。
耳を傾けよ。ゴモラの民。
私たちの神のみおしえに。
 
*ソドムの首領たち神の回答は、ソドムのように罪深いイスラエルの指導者たちに向けて語られています。
 
ゴモラの民ゴモラのように罪深いイスラエルの民に向けての呼びかけ。
 
 
イザヤ1:11ー「あなたがたの多くのいけにえは、
わたしに何になろう」と、は仰せられる。
「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、
肥えた家畜の脂肪に飽きた。
雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。
 
雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない…神は動物のいけにえを喜びません。
旧約聖書には、ここ以外の箇所でも繰り返し言われています。詩篇50:8~15, エレミヤ7:21~23, ホセア6:6, アモス5:21~24, ミカ6:6~8
 
 
イザヤ1:12ーあなたがたは、わたしに会いに出て来るが、
だれが、わたしの庭を踏みつけよ、と
あなたがたに求めたのか。
 
*あなたがたは、わたしに会いに出て来るがユダヤの祭りを表現。
 
*わたしの庭を踏みつけよ…祭りの度にエルサレムの神殿に上って来ても、神の目から見ると、それは神の庭を踏みつけているようなもの、の意。
 
 
 
イザヤ1:13ーもう、むなしいささげ物を携えて来るな。
香の煙――それもわたしの忌みきらうもの。
新月の祭りと安息日――会合の召集、
不義と、きよめの集会、
これにわたしは耐えられない。
 
神は、香の煙やささげ物を気にかけてはおられません。
不義ときよめの集会など、形式的な礼拝には耐えられないと言われています。
 
 
イザヤ1:14ーあなたがたの新月の祭りや例祭を、
わたしの心は憎む。
それはわたしの重荷となり、
わたしは負うのに疲れ果てた。
 
*例祭…過越、七週、仮庵の祭りの三大祭り
*重荷…無益で耐え難いもの
 
 
イザヤ1:15ーあなたがたが手を差し伸べて祈っても、
わたしはあなたがたから目をそらす。
どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。
あなたがたの手は血まみれだ。
 
*手を差し伸べて…祈りの姿勢
香の煙、祭り、祈りなどのシステムを廃棄した、という意味ではなく、
多くの祈りがささげられたとしても、神はそれらを気にはしていないということ。
律法によるこれらの規定は、信仰と従順が土台にあって行われるべきものであって、不信仰と不従順で行うことには何の意味もないということを教えています。
 
動物のいけにえの規定は必要ではあるけれど、その効果は発揮されるのは信仰によって行われた場合のみだということ。
 
 
ここまでは、否定的な内容となっていますが、16~17節では肯定的な命令になります。
 
イザヤ1:16ー洗え。身をきよめよ。
わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。
悪事を働くのをやめよ。
 
八つの命令
①身をきよめよ…罪赦された状態を表す
②わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け
③悪事を働くのをやめよ
 
 
イザヤ1:17ー善をなすことを習い、
公正を求め、しいたげる者を正し、
みなしごのために正しいさばきをなし、
やもめのために弁護せよ。」
 
④善をなすことを習え
⑤公正を求めよ…正義を求めよ、の意
⑥しいたげる者を正せ
⑦みなしごのために正しいさばきをなせ
⑧やもめのために弁護せよ
 
①〜⑧のことをおろそかにして、動物のいけにえをささげても何の意味もないと言われています。
 
 
18~20節で、神は罪人を招いておられます。
しかし、21~23節を見ると、その選びの結果がどうなるのかを予め警告されており、この招きもイスラエルに拒否されていることがわかります。
 
 
イザヤ1:18ー「さあ、来たれ。論じ合おう」とは仰せられる。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとい、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。
 
*来たれ…この節はよく異邦人信者(クリスチャン)によって引用されますが、文脈から神が招いておられるのは『イスラエルの民』であることがわかります。
 
いかに私たちが普段 文脈を無視して、自分に当てはめてみことばを引用しているのかが分かる箇所の一つです。
 
 
イザヤ1:19ーもし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、
この国の良い物を食べることができる。
 
*もし喜んで聞こうとするなら…『この国の良い物を食べることができる』という祝福が来ます。
どんなに罪の状態がひどくても『喜んで聞こうとするなら』赦されます。
 
 
イザヤ1:20ーしかし、もし拒み、そむくなら、
あなたがたは剣にのまれる」と、
の御口が語られたからである。
 
*しかし、もし拒み、そむくなら…『剣にのまれる』という呪いが来ます。
 
 
イザヤ1:21ーどうして、遊女になったのか、忠信な都が。
公正があふれ、正義がそこに宿っていたのに。
今は人殺しばかりだ。
 
*遊女…霊的姦淫。御父の妻であるイスラエルが、遊女になったと言われています。
ホセア書により詳しく記されていますが、この意味は『他国の神々と姦淫した(偶像崇拝)』ということ。
 
出エジプト記34:15あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。
 
 
イザヤ1:22ーおまえの銀は、かなかすになった。
おまえの良い酒も、水で割ってある。
 
イスラエルの不純さを表します。
 
 
イザヤ1:23ーおまえのつかさたちは反逆者、盗人の仲間。
みな、わいろを愛し、報酬を追い求める。
みなしごのために正しいさばきをせず、
やもめの訴えも彼らは取り上げない。

*おまえのつかさたちイスラエルの指導者たちに対する有罪判決を宣告
 
みな、わいろを愛し、報酬を追い求める…原語のヘブル語では『平和を求める者』ということばの一文字だけ変えて、『わいろを求める者』となっており、イザヤの高尚さ、言葉遊びを垣間見る箇所です。
 
 
24~31節は、神に裁かれるイスラエルと贖われるイスラエルの預言です。
 
イザヤ1:24ーそれゆえに、――万軍の
イスラエルの全能者、主の御告げ――
「ああ。
わたしの仇に思いを晴らし、
わたしの敵に復讐しよう。
 
*それゆえに…ここまでイスラエルは希望のない状態であるため、神ご自身が介入する必要が出てきました。
 
*わたしの敵に復讐しよう…神の介入
 
 
イザヤ1:25ーしかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、
おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、
その浮きかすをみな除こう。
 
*かなかすを灰汁のように溶かし、その浮きかすをみな除こうイスラエルの不義を取り除く、の意。
 
 
イザヤ1:26ーこうして、
おまえのさばきつかさたちを初めのように、
おまえの議官たちを昔のようにしよう。
そうして後、
おまえは正義の町、忠信な都と呼ばれよう。」

25節の『イスラエルの不義を取り除いた』結果。士師記に出てきた『義なる士師たちの回復』。
エルサレムが現在のように悪の中心的な都に成り下がっている状態から、『正義の町、忠信な都と呼ばれよう』となるという預言。
 
 
イザヤ1:27ーシオンは公正によって贖われ、
その町の悔い改める者は
正義によって贖われる。
 
 
*シオンエルサレム
エルサレムが正義と義によって贖われる、つまり、代価を払って買い取られるということ。
 
※その『代価』が何であるかは、ここではまだ明らかにされていません。
イザヤ書53章で、その『代価』が神の小羊である『メシアの血』であることがわかります。
 
 
28~31節で、エルサレムの贖いは、不義を取り除くまで実現しないことがわかります。
その不義を取り除く期間が、これから訪れる七年間の患難時代『主の日』なのです。
 
イザヤ1:28ーそむく者は罪人とともに破滅し、
を捨てる者は、うせ果てる。
 
患難時代の一つの目的は、『罪人を破滅させ』取り除くことです。
 
 
イザヤ1:29ーまことに、彼らは、
あなたがたの慕った樫の木で恥を見、
あなたがたは、
みずから選んだ園によって
はずかしめを受けよう。
イザヤ1:30ーあなたがたは葉のしぼんだ樫の木のように、
水のない園のようになるからだ。
 
29~30節…すべての『偶像崇拝』が取り除かれます。
 
 
イザヤ1:31ーつわものは麻くずに、
そのわざは火花になり、
その二つとも燃え立って、これを消す者がいない。
 
偶像と共に偶像を造る者が取り除かれます。
こうして、イスラエルのレムナントだけが真の神の立ち帰ると、キリストの地上再臨が起こり、御国の時代となるのです。