使徒1:16~17ー「兄弟たち。イエスを捕らえた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。
ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
*使徒たちの仲間として数えられており…
マタイ10:1~4ーイエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
主イエスに『十二使徒のひとり』として選ばれていたのに、何故ユダは脱落したのでしょうか?
人はキリストを信じた後、不信仰によって救いを失うことがあるのでしょうか?
ー答えは “NO” です❗️
一度、キリストの福音を信じた者が『救い』を失うことはありません。
なぜなら、新しい契約による『救い』は神にかかっていることだからです。
主は弟子たちにこう約束されています。
ヨハネ14:18ーわたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
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一度信者になった者が、その後の信仰の歩みの中で不信仰になったり、罪を犯しても、すべての罪は十字架で赦されています。
その人が失うのは、キリストの御座の裁きで受けるはずの『報酬』です。
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だからといって、罪にとどまってよいとは聖書は言っていません。
ローマ6:15ーそれではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
救われた者は、伝えられたキリストの教えの基準に従って歩むことにより、罪から解放されているからです。
ローマ6:17~18ー神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、
罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
では、なぜ『イスカリオテ・ユダは救いから脱落した』のでしょうか?
使徒1:25ーこの務めを使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
ヨハネ6:64ーしかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」ーーイエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを知っておられたのであるーー
*初めから信じない者…
イスカリオテ・ユダは、十二弟子として、また、
十二使徒として選ばれてはいたものの『初めから信じない者』だったのです。
つまり、信仰によって救いを得てはいなかったということになります。
表面的には『弟子のように』振舞っていたことがわかる記述があります。
ベタニヤのマリヤが純粋なナルドの香油300グラムをイ
エスの足に塗った場面での
イスカリオテ・ユダの発言です。
「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
もっともらしく聞こえますが、弟子たちの中で
ヨハネだけがユダの罪を見抜いていたようです。
ヨハネ12:6ーしかし、こう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
*いつも盗んでいた…罪の常習化
ヨハネ13:27~29ー彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。
そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのかを知っている者は、だれもいなかった。
ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。
ユダがイエスを売った銀貨30枚という代価は、奴隷ひとりの代価と同額でした。
マタイ26:14~15ーそのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところに行って、
こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
ゼカリヤ11:12~13ー私は彼らに言った。「あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。
主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、私は銀三十枚を取り、それを主の宮の陶器師投げ与えた。
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そのような安価でメシアである主を売ったイスカリオテ・ユダの最期は悲惨なものでした。
マタイ27:1~10ーさて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。
それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言った。
それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。
祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから」と言った。
彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。
そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。
彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」
使徒1:18~19ー(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真っ二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
『首吊り自殺』と聞くと、以前の私と同じように多くの人が上の写真のように木に吊るされた状況を思い描くことでしょう。そして、枝が折れて落下しからだは真っ二つに裂け、はらわたが全部飛び出し』たと想像し、自分なりに納得しようとするでしょう。
しかし、ユダが首を吊ったのは、種なしパンの祭りの初日=ニサンの月の十五日、キリストの十字架の死よりも前の『大いなる備えの日』の出来事です。
ですから、
モーセの律法に沿って解釈する必要があります。
申命記21:22~23ーもし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、
その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。
申命記21:23の律法に従ってユダの死体は木から取り下ろされ、ヒノムの谷に投げ捨てられたと考えるのが妥当。その時、谷底に落ちる過程で『
からだは真っ二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまったー
使徒1:18b』のでしょう。
イスカリオテ・ユダもペテロのように罪を悔い改めて、主イ
エスに立ち返れば赦されたはずです。十字架で贖うことのできない罪はないのですから…。
しかし、初めから信じていなかったユダは、自分で自分の罪の責任を負う道を選びました。
あなたはどうしますか?
イスカリオテ・ユダは
使徒職から脱落し、後に、ユダの代わりにくじ引きで『マッテヤ』が十二人目の
使徒として選ばれたました。
ですから、やがて来る完成された天の都
エルサレムの城壁の土台石に書かれる
十二使徒の名は、
パウロではなく、『マッテヤ』になります。
黙示録21:14ー また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。