*『神様のご計画』の表訂正:X 五旬節/ペンテコステ 使徒1:9 →O 使徒2:1~4
【患難時代の目的】
1)邪悪な行為とそれを行なう者たちを一掃するため。
患難時代を通して、罪人たちが根絶やしにされます。
イザヤ13:9ー見よ。主の日が来る。残酷な日だ。
憤りと燃える怒りをもって、
地を荒れすたらせ、
罪人たちをそこから根絶やしにする。
それによりキリストの御国『千年王国』に入る神の民を集めます。
2)世界規模のリバイバルを来らせるため。
マタイ24:14ーこの御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
神の選びの民である14万4千人のメシアニックジューを起こし、彼らを通して世界規模での大リバイバルをもたらすため。
3)聖なる民、つまりイスラエルの民の頑なさを打ち壊すため。
ダニエル12:7ーすると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
ホセア書5:15~6:3参照
患難時代を生き延びたイスラエル(ユダヤ人)のレムナントの民族的回心をもたらし、彼らを救い、千年王国においてアブラハムに約束された『地』にアブラハムーイサクーヤコブの子孫を住まわせます。
【七つの封印の内容】
1)第一の封印…反キリストによる世界征服
2)第二の封印…世界大戦
3)第三の封印…世界規模での飢饉
4)第四の封印…世界人口の1/4の滅亡
5)第五の封印…聖徒たちへの迫害
6)第六の封印…自然界の異変。天変地異
7)第七の封印…七つのラッパのさばき
7章の内容は、第六の封印の後に起こるということではなく、7年間の患難時代の前半(3年半)を通して起こることです。
患難時代の三つの目的の二番目ー世界規模のリバイバルをもたらすことについて解説しているのが、黙示録7章の内容となっています。
黙示録7:1ーこの後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押さえ、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにしていた。
*四隅…全世界
*地の四方の風を堅く押さえ…待機している様子。
1)4人の御使いが全地のさばきのために遣わされていました。
まさにスタンバイOKの状態です。
黙示録7:2ーまた私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
*生ける神の印…さばきから守るためのしるし
*日の出る方…神の救いを表わす。
エデンの園の出入り口も幕屋、神殿の出入り口も東側に一カ所だけでした。
*大声で叫ぶ…緊急性のある事、注意を引くための行為。
黙示録7:3ー「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
2)額に印を押す
*神のしもべたち…患難時代を生きる信者全員のことではなく、携挙後の不信者のみの世界で『信者の初穂』となるイスラエル民族からの144,000人のこと。
*額に印…自分の所有物であることを示します。
黙示録14:1ーまた私は見た。見よ。小羊がシオンの山に立っていた。また小羊とともに14万4千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。
患難時代中期・後期携挙説の人たちが、患難時代を生き延びる保証はどこにもありません。
*害を与えてはいけない…患難時代の裁きを始めてはいけない、ということ。
つまり、地と海をそこなう権威を持つ4人の御使いたちが行動を起こす前に、患難時代に神によって伝道者として立てられた14万4千人に、患難からの守りのしるしである「小羊の名と小羊の父の名」の印を押す、ということです。
それが終わるまで、少し待ってなさいという命令です。
守りとは、神のさばきからの守り、および反キリストによる迫害からの守りです。
この守りがあるので、彼らは患難時代であっても殉教はしません。
では、教会時代に生きるクリスチャンたちはどうでしょうか?神の所有物としての何か印が押されているのでしょうか?
エペソ1:13ーまたあなたがたも、キリストにあって真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
エペソ1:14ー聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
エペソ4:30ー神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
*贖いの日…霊的に救われたキリストの弟子たち(教会時代の信者たち)の肉体的救いの日/キリストの空中再臨(携挙)の日/栄化
黙示録7:4ーそれから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
ここで初めて、印を押される人の数が分かります。14万4千人です。そしてその人たちが誰かも分かります。
*ユダヤ人ーアブラハム-イサク-ヤコブ(イスラエル)の3人を先祖とする者。
*あらゆる部族…イスラエルの12部族
この14万4千人のユダヤ人たちは、患難時代に異邦人の地にいるイスラエル人伝道者たちです。
つまり、携挙の恵みには預かれなかったものの、神のめぐみとあわれみとご計画により、患難時代に救われる初穂の人々です。
患難時代の初めにまず144,000人のユダヤ人が救われ、彼らの伝道を通して異邦人に世界規模のリバイバルが起こります。
こうして、患難時代の救いもまずユダヤ人から、それから異邦人へと救いの優先順位は神のご計画通りに成就します。
黙示録7:5ーユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、
*ユダの部族…ヤコブの長子はルベンですが、ここはユダが筆頭に来ています。
1歴代誌5:1ーイスラエルの長子ルベンの子孫--彼は長子であったが、父の寝床を汚したことにより、その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行うものではない。
黙示録7:6ーアセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、
マナセとは、エジプトでヨセフに生まれた二人の子のうちの一人です。8節の「ヨセフの部族」はもう一人の子「エフライムの部族」と同義語です。
つまりイスラエルの12人の息子のうち、長子の権利は父の寝床を汚したルベンではなく、ヨセフが受け継いだので、相続地が2倍になっています。
ヨセフの部族が『マナセ』と『エフライム』の二つになったため、実際には『十二部族』ではなく『十三部族』になっています。
創世記48:5ー今、私がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムと真瀬はルベンやシメオンと同じように私の子にする。
黙示録7:7ーシメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、
*レビの部族…黙示録7:5~8は、約束の地の割当地について語っているのではなく、患難時代を生き延びるための神の守りの印を押される十二部族について記しているので、レビ族も含まれます。
黙示録7:8ーゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。
12,000人 × 12部族 =144,000人となりますが、エホバの証人は「イスラエル民族の系図は失くなっているため、各部族の12,000人は象徴的な数である」「しかし、天から地上の楽園を支配する144,000人は実数である」とし、現在数千人が残りの者としています。
人間側には確かに系図が残っていないため、誰がどの部族かはわかりません。
しかし、神は全知全能であり、その神が各部族から12,000人ずつお選びになるのです。
また、レビ族だけはLevisやコーヘン(アロンの家系)など、姓から判別可能であり、第三神殿で大祭司や祭司として務めを果たすことには問題ありません。
12という数を保つために、民数記13:4~15ではレビ族が、申命記33章ではシメオン族が、抜けています。
エゼキエル48:1~28の千年王国王国における相続地では、ダン部にもシメオン族にもレビ族にも割当地があることがわかります。
14万4千人の数やダンの部族の名が入っていないことに対して、様々な解釈があります。たとえば…
a)14万4千人は、霊的な意味でのイスラエルととり、救われた者を指すー置換神学の考え方です
b)ダン部族の名が無いのは、ダン部族がしばしば偶像礼拝をしたためー他の部族もしています。
c)ダン部族から反キリストが出ると考える指導者たちがいますが、ダニエルの預言を無視しています。
ダニエル9:26ーその六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
*来たるべき君主の民…『来たるべき君主』とは反キリストのことであり、反キリストとその『民』は同じ国籍です。
ダニエルのこの預言は、AD70年アブの月の九日にローマ軍によって成就したことから、反キリストは、神の契約の民であるユダヤ人から出るのではなく、ローマ人の血を引く者から出ることがわかります!
なぜダンの部族の名が抜けているのかに対して、聖書は沈黙しています。
聖書が語っていないということは、神が隠されているということです。神が隠されているものを、人間側が偽典を用いたり、憶測を持って様々な解釈しても無駄なことです。
聖書が沈黙するなら、私達も沈黙すべきです。(『御父の名』に関しても、聖書は沈黙しています。それは、御子の御名だけが『私たちが救われるべき名』として与えられているからです。ー使徒4:12)
黙示録7:9ーその後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
*だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆…患難時代に救われる異邦人たち
患難時代は人類に残された最後の救いの期間で、7年間しかありません。教会時代のクリスチャンたちはみな、携挙され地上には残されていません。
短期間に世界宣教をするには、旧約聖書の知識を持ち、既に世界中に離散し、その国の言語・文化に精通したイスラエル人でなければなりません。
なぜなら、イスラエル民族こそが神のみことばを託された民だからです。
詩篇147:19~20ー主はヤコブには、みことばを、
イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。
主は、どんな国々にも、このようには、なさらなかった。
さばきについて彼らは知っていない。ハレルヤ。
そして、次のみことばが成就します。
マタイ24:14ーこの御国の福音は、全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終わりの日が来ます。
使徒1:8ーしかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまでわたしの証人となります。
*だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆…患難時代に救われる異邦人たち
患難時代前半に世界規模の大リバイバルが起こりますが、迫害時代でもあるため、命がけの信仰となります。
迫害するのは、世界統一宗教となった偽りのキリスト教の信者たちであり、迫害の理由は『神のことばとイエスの証しとのゆえ』です。黙示録20:4
*白い衣…信者に与えられる義の衣
*しゅろの枝…ナツメヤシの枝
メシアを迎え入れることを意味します。
*御座と小羊の前に立っていた…神の御座は第三の天にあることから、この白い衣を来た異邦人の群衆は、患難時代前半の殉教者たちであることがわかります。
迫害の時代の七年間を生き延びる保証は144,000人のユダヤ人信者にしか与えられていないことがわかる聖句の一つだと思います。
黙示録7:11ー御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
患難時代前半の殉教者たちに続き、御座と長老たち(普遍的教会)と四つの生き物(セラフィム=天使)との回りに立っていた御使いたちも、御座の前にひれ伏し礼拝しています。
黙示録7:12ー言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」
そして、栄光を神に帰しています。
黙示録7:13ー長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。
*長老のひとり…携挙された普遍的教会に属するひとり
*白い衣を着ているこの人たち…患難時代前半の殉教者たち
黙示録7:14ーそこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
*主よ…13節で質問をした長老のひとりのこと
質問を受けたヨハネは答えることができませんでした。
その長老のひとりがヨハネに答えていることから、ヨハネがどの程度理解しているのかを、質問することによって確認したと思われます。
*大きな患難から抜け出て来た者たち…患難時代の殉教者たち
彼らの殉教の理由は、黙示録20:4に『イエスのあかしと神のことばとのゆえに、首をはねられた』とあります。
つまり、患難時代にキリストを信じるということは、いのちがけであるということです。
その患難時代を生き延びる神の守りは、額に神の印を押された144,000人のイスラエルの民しかいません。
*小羊の血で洗って白くした衣…小羊を信じる信仰によって罪を許された異邦人たちが着ている義の衣
ここから、患難時代にも聖霊の働きがあることが分かります。
ヨハネ16:8ーその方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
Ⅰコリント12:3bーまた、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。
しかし、患難時代の聖霊の働きは、旧約時代と同じような働きに戻ります。
教会時代のように信者に内住するのではなく、上にとどまるだけです。
黙示録7:15ーだから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
*御座に着いておられる神が、彼らの上に幕やを張られる…彼らの上に神がご臨在され、守りの御手を伸ばされる、という意味。
黙示録7:16ー彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
地上の患難に伴う飢えや渇き、また患難期後期の裁きも、殉教者たちを苦しめることはもはやありません。
*太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません…患難期後期の裁き
黙示録16:8ー第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
黙示録7:17ーなぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
*神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる…患難期前半の殉教者たちに対する約束であり、成就は天においてです。
これが患難時代を通り抜けた殉教者たちへの慰めのことばです。
*いのちの水の泉…御霊のこと
ヨハネ4:14ーしかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
御座には御父、小羊であり牧者である御子イエス、いのちの水の泉である御霊と三位一体なる神がここにも啓示されています。