*『神様のご計画』の表訂正:X 五旬節/ペンテコステ 使徒1:9 →O 使徒2:1~4
いよいよ患難時代の幕開けです。患難時代は、ダニエルの七十週の最後の一週にあたります。六十九週は既に終わっています。残りの一週に何が起こるのか?クリスチャンとして今 何をすべきか? これを読まれる方一人一人に、主のお導きがありますように…
〜ちょっとだけ復習〜
黙示録1章ーヨハネが見たこと。
2〜3章ー今あること。(1世紀当時実在したアジアにある教会)
4章以降ーこの後に起こること。(4〜5章は、7年間の患難時代が始まる前の天での様子)
6章からはいよいよ患難時代に入ります。その始まりは、七つの封印が解かれるところからです。それを解くことが出来るのは、神の小羊であるイエスのみです。
「患難時代」はいろんな言葉で表現されています。
「ヤコブの苦しみの時」…エレミヤ30:7
「ダニエルの七十週目」…ダニエル9:24~27
「試練の時」…黙示録3:10
「御怒りの大いなる日」…黙示録6:17
患難時代を表わす言葉で代表的なのは、「主の日」ということばです。cf イザヤ2:12、13:6、エレミヤ46:10、ヨエル1:15、第一テサロニケ5:2 etc。
*「主日」…日曜日のことですが、聖書では日曜日を「週のはじめの日」といいます。
黙示録を学ぶにあたり、keyとなるのがダニエル書です。
*ダニエル9:24ーあなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
ヘブル語では「週」=「シャブオット」。しかし、この箇所では「シャブオット」ではなく「シャイブ=7」ということばが使われているので、正しくは「70の7倍の預言」であって「70週」というのは誤訳になるのだそうです。「ダニエルの70週の預言」として、あまりにも有名ですけどね^^;
*ダニエル9:25ーそれゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場となりほりが建て直される。
引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから…これが計算の起点です。
この『命令』を
①BC538年のクロス王の命令とするのか…cf エズラ記1:1~4。
②BC457年アルタシャスタ王が、イスラエルの民のエルサレム帰還許可を与えた年とするのか…cf エズラ記7:11~26。
により意見の相違がありますが、聖書が預言した『命令』形をとっているのは、①のペルシャのクロス王の命令の方です。
イザヤ44:28ーわたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。
エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」
*クロスがこの世に現われる150年も前に預言しています。
イザヤ45:1ー主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。
「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰に帯を解き、
彼の前にとびらを開いて、その門を閉じないようにする。
エズラ記1:1~4ーペルシャの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。
「ペルシャの王クロスは言う。『天の神、主は地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々がエルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」
私もかつては、②の『アルタシャスタ王による命令が出されたBC457年』だという説を支持していました。その方が、年代的に計算が合うからです。
すると、まず命令が出されてから(7週…7X7=)最初の49年の間に、イスラエルの民は祖国に帰還し、エルサレムの町と神殿を再建します。(城壁は後にネヘミヤが再建した。ーcf ネヘミヤ記2~3章)これによりイスラエルの民は、再び神殿礼拝を回復することになりました。
『油そそがれた者、君主』であるメシアが来られるのは、神殿が再建されてからさらに62週(62 x 7=)434年後ということになります。この62週(434年)の間、異邦人の支配下に置かれ『苦しみの時代』が続きました。
メシア到来までの7週と62週の間にギャップはなく、計69週は連続しています。
つまり、BC457年にアルタシャスタ王から帰還命令が出されてから、7週+62週(69 x 7=)483年後に『油そそがれた者、君主』であるメシアが来られるということになり、時はAD26年になるからです。
イエスの誕生はBC4年ですから、AD26年は『およそ30歳』公生涯を始められた年になる計算になるわけです。
cf ルカ3:23aー教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。
また、アルタシャスタ王がネヘミヤに許可を出したBC445年説をとると、69週後はAD32年4月6日(日)のエルサレム入城となり、こちらも計算上は合うのですが、五日後の11日(金)に十字架にかかることになります。しかしこの説では、当時の過越の祭のタイミングと重ならないということがわかりました。
しかし、アルタシャスタ王の出したのは、『命令ではなく、許可』ですーネヘミヤ2:1~8ーから、聖書預言に矛盾が生じます。預言されたクロス王の治世は、BC539年ですから単純計算すると、BC56年となりイエスの初臨よりも前となります。しかしクロス王が、イザヤの預言どおり聖都再建命令を出しています。
年代のズレが生じる一つの可能性としては、ペルシャのクロス王の治世の年代記に問題があるということが考えられます。ですから、クロス王の『命令』は、BC539年よりも後に出された可能性、もしくは、69週後は『イエス誕生以降のタイミング』となると理解すべきという見解があります。
69週と最後の1週の間にはギャップがあります。そのギャップの間に起こることが次の26節の内容です。
ダニエル9:26ー油そそがれた者は断たれ…①メシアの身代わりの(十字架の)死。
来たるべき君主の民…②反キリストに属する者たち。つまり、メシアを信じず、神に逆らう者たち。
町と聖所を破壊する…③メシアの死に続いて、再建されたエルサレムの町と神殿が再び破壊される。これは、AD70年にローマ軍により成就しています。
洪水が起こり…『軍勢の侵略』の比喩的表現。
cf 黙示録12:15ーところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。
荒廃が定められている…AD70年〜1948年にイスラエル国家が再建されるまで、約束の地は荒廃していました。ここまでが既に歴史上成就している内容です。
黙示録6:1ー小羊が七つの封印の一つを解いた…神さまに右手から、内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた巻き物の封印の一つを解いた、ということです。その時、ヨハネは四つの生き物(セラフィム)の一つが「来なさい」という声を聞きました。それは雷のような声でした。
黙示録6:2ーヨハネは幻を見ました。白い馬…「征服」を表わします。それに乗っている者…反キリスト。
冠…王冠には二種類あります。
a)神さまがかぶる王冠…ダイアデム。
この人物(反キリスト)に与えられたのは「ステファノス」です。キリストならダイアデムのはずだからです。
勝利の上に勝利を得ようとして出て行った…反キリストは、平和と安全を掲げて現れて来ます。
様々な不思議やしるしを行なって、人々を惑わすのです…cf 第二テサロニケ2:9~10ー不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれなす。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
*患難時代の「悪の三位一体」は、御父⇔サタン、御子⇔反キリスト、御霊⇔にせ預言者として、神に敵対します。
サタンは元々ケルビムの一人(単数形:ケルブ)だったので、天における「悪の支配者」となり、反キリストは地における悪の支配者とも言えるでしょう。
黙示録6:3ー第二の生き物…四つの生き物も第二「雄牛のような」セラフィム。cf 黙示録4:7ー第一の生き物は、ししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶわしのようであった。
小羊であるキリストが、第二の封印を解きました。
黙示録6:4ーヨハネはまた幻を見ます。赤い馬…「戦争」を表わします。流血のイメージです。
地上から平和を奪い取ることが許された…その理由は、人々が互いに殺し合うようになるため。赤い馬に乗った人物に、大きな剣が与えられました。
世界の混乱、動揺した社会の中で反キリストは「平和と安全」を唱えて出て来ます。彼のその言葉に人々は、望みを抱き、惑わされてしまうのです。彼は絶大な指示を受けて世界のリーダーとなるべく、ユダヤ人と契約を結びます。
*反キリストがユダヤ人と契約を結ぶ=「患難時代の始まり」です。
しかし反キリストは、ユダヤ人と契約を結ぶとすぐに、その平和と安全が偽りであったことが明らかになります。そして、平和と安全の代わりに「戦争」が起こります。
7年間の患難時代には、全部で3回の戦争が起こります。
1)第一の戦争…黙示録6:4の「赤い馬」に乗った人物がもたらします。
2)第二の戦争…患難時代中期に起こりますーcf 黙示録12:15~16。
3)第三の戦争…患難時代最後に起こるハルマゲドンの戦いーcf 黙示録19:19。
旧約時代、イスラエルは神の民、契約の民としてさばき司や祭司を通し、神が直接導いて来られました。しかしイスラエルの人々は神に信頼するより目に見える自国の王を求め、イスラエルの王たちは他国の王たちと結ぶ同盟契約に信頼しました。信仰よりも政治的方策により頼んで国の安全を守ろうとしました
それと同じ事が、患難時代の始まりにも起こるのです。ユダヤ人たちにダビデ王の歌を思い出して欲しいです。
詩篇20:7ーある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇る。
クリスチャンである私たちには、パウロがこう命じています。
ガラテヤ6:14ーしかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。
第二コリント10:17ー誇る者は、主にあって誇りなさい。
黙示録6:5ー小羊が第三の封印を解いた時、第三の「人間のような顔をもった」セラフィムが「来なさい」というのを聞き、ヨハネは幻を見ます。
黒い馬…「飢饉」を表わす。戦争の結果の苦難です。
量り…食物が極度に不足し、量りで計りながら売買することを意味します。
黙示録6:6ー一つの声…四つの生き物の間で、語っている声は神からのものです。「小麦1枡は1デナリ。大麦3枡も1デナリ。」
1デナリ…労働者の1日分の賃金。飢饉による食料の高騰を表わします。平常時の10倍以上の価格に跳ね上がり、労働者の日当では家族全員満腹するだけ買えない状況です。
cf エゼキエル書4:16~17と同じような状況が、地球規模で起こるというわけです。今日本では3.11を教訓に、再び起こるかもしれない大地震に備えて、食料や水等を備蓄する傾向があります。黙示録によれば、患難時代に備えることも同じように重要なことなのです。
あっ☆クリスチャンは大丈夫ですよ!患難時代の前に携挙されて、さばきから守られるのですから…本物の信仰(福音の三要素。1コリント15:3~5)を持っていれば、ですけどね^^; 問題はまだ信仰告白をしていない家族や友人たちです。だからこそ、携挙が起こる前に彼らに福音を伝えなければならないのですーcf エゼキエル3:17~21。
オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない…神が定められた飢饉の限界です。オリーブもぶどうも根を深く張る植物のため、穀物が枯れてもこの二つの植物までは枯れることはありません。オリーブ油とぶどう酒は当時医薬品として用いられていたことから、飢饉であっても医薬品は残るという神の恵みです。
cf 第一コリント10:13ーあなたがたの会った試練はみな、人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
黙示録6:7ー小羊が第四の封印を解いた時、第四の「空飛ぶわしのような」セラフィムが「来なさい」というのを、ヨハネは聞きました。
黙示録6:8ー青ざめた馬…「死」を表わします。
ハデス…広い意味で、旧約聖書の「よみ(陰府)」=ヘブル語:シェオールと同じで、死者のたましいが行く所。
*聖書的には、死は肉体とたましいの分離です。肉体的に母から生まれ、霊的に神から生まれた者は、肉体の死のみを通過します。たましいは神にあって生きているので、復活の恵みに預かります。肉体的にのみ生まれただけで霊的に新生しなかった者は、肉体の死とたましいの死の2回死ぬことになります。
*狭い意味での「ハデス」は、肉体が生きている間に、霊的に新生しなかった人々(不信者)のたましいが行く所で、神のさばきを待つ所です。分かりやすく言えば、「地獄行きの待合室」といった感じです。
日本人は不思議なもので、「死んだら空の星になる」と言ってみたり「天国で〜してください」と言ってみたり、「死んだら無になるだけだ」と言ってみたりと、どれも事実のようで『真実』ではないのです。聖書はきっぱりと言い切っています。肉体が滅びてもたましいは生きていて、意識、感情があると!
詳しくは、サザエのお裾分け〜金持ちとラザロ〜ルカ16:19~31 http://togetter.com/li/452436 を見てね。
黙示録6章の馬の色は、象徴的な役割を持っています。
白い馬…征服、赤い馬…戦争、黒い馬…飢饉、青ざめた馬…死。
小羊が第四の封印を解いた結果、さらに厳しい患難に襲われます。地球上の人口の1/4が、赤い馬に乗った人物に与えられた剣と、黒い馬に乗った人物による飢饉と、青ざめた馬に乗った人物による死病と、地上の獣に与えられた権威によって殺されるのです。
剣、飢饉、死病、獣のいずれかによって世界人口の1/4の人々が死ぬことになります。
cf エゼキエル14:21ーまことに、神である主はこう仰せられる。人間や獣を断ち滅ぼすために、わたしが剣とききんと悪い獣と疫病との四つのひどい刑罰をエルサレムに送るとき、
*神の恵みの視点からみれば、世界人口の3/4は生き延びるということです。
黙示録6:9ー小羊が第五の封印を解いた時、ヨハネが見た幻は、患難時代の殉教者たちのたましいが天の祭壇の下にいるというものでした。
神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々…殉教者たち。
患難時代にも救われる人々がいるということが分かります。患難時代前半3年半の殉教者たちです。
彼らを信仰に導いたのが、黙示録7章に出てくる14万4千人のユダヤ人たちです。旧約聖書を熟知している彼らだからこそ、短期間に人々が納得するような福音の説明ができるのです。
*ヘブル的背景を持たない異邦人が福音を理解しょうとすると、どうしても私的解釈が入る危険性があるのです。
黙示録6:10ーこれは復讐を求める叫びではなく、神さまの栄誉を守るための祈りです。
cf ローマ12:19ー愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それはこう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』
黙示録6:11ー白い衣…罪からの赦しを得た者に与えられる義の衣。患難時代であっても伝道は行なわれ、聖霊の働きによって救われる人が起こされます。
cfマタイ12:31~32ーだから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。
また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
*聖霊に逆らう冒瀆…マタイの文脈では『ベルゼブル論争』により、イエスのメシア性を拒否した当時のユダヤ人にのみ適用されます。
聖霊の働き、導きを否定すること。
ヨハネ6:63、14:26、16:13~15、
第二コリント12:3bー聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
今の恵みの時代とは違い、患難時代に信仰を告白をするということは、命がけの行為となります。このことからも「今」がいかに恵まれてるかが分かります。
神さまは「殉教者の数が満ちるまで待つように。」と命じられました。このことから、教会時代(めぐみの時代)は携挙をもって終わりますが、「異邦人の時」はさらに患難時代の7年間分長いことが分かります。
*救われる人々が起きるのは、患難時代中間で「666」の獣の印を押されるまでです。そこから先、獣の印を受けた人々に聖霊が働くことはありません。cf 黙示録13:14~18。
唯一の神を信じるユダヤ人と、患難時代前半にイエスをメシアと信じた異邦人は、この獣の印を受けることを拒否します。
患難時代の聖徒たち(患難時代に主を信じる者)を迫害して殺すのは、17章に出て来る「大バビロン」です。
黙示録6:12ー小羊が第六の封印を解いた時、
1)大きな地震、
2)太陽が暗くなり、
3)月の全面が血のようになり、
黙示録6:13ー4)天の星が地に落ち、
黙示録6:14ー5)天が巻き物が巻かれるように消えてなくなり、
6)すべての山や島がその場所から移されました。
これらの表現から、自然界の崩壊、天変地異が起こるということが分かります。
黙示録6:15ーその結果地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人などすべての人に恐れが広がります。
cf イザヤ13:7~8ーそれゆえ、すべての者は気力を失い、
すべての者の心がしなえる。
彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、
苦しみと、ひどい痛みが彼らを襲う。
彼らは驚き、燃える顔で互いを見る。
罪人たちが恐れるのは「死」ではなく、神のご臨在です。神のさばきのメッセージは常に聖書を通して私たちに届けられています。それを無視し続けてきた人々が、自然界の崩壊を見て恐れるのです。
黙示録6:16ー小羊の怒り…罪に対する怒り。
cf ローマ1:18ーというのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
cf 黙示録19:15ーこの方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
黙示録6:17ー罪人にとっては神のご臨在の前に立つことは恐ろしいことでも、小羊の血によって罪が赦された者にとっては、喜びとなるのです。
神のご臨在の前に今立たされたなら、あなたは恐ろしいと思われますか?それとも喜びですか?
Ⅱコリント6:2ー神は言われます。
「わたしは、恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた。」
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
これを読まれたすべての人が、神を無視して自己中心に生きてきたことを悔い改め、神との和解である救い主イエスを信じ、受け入れることができますように。「携挙」の恵みに与る者となりますように、主の御名によって祈ります。アーメン †