サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ペテロの召命 〜マタイ5:1~11〜

イエス様が捕えられた時、心配で大祭司カヤパの中庭まで入り込んで、事の成り行きを見守っていたペテロ。

鶏がニ度鳴く前に、三度も主を「知らない。」と裏切ったペテロ。

 

復活の主に出会い、聖霊を受けてからは、力強く『福音』を宣べ伝えた使徒ペテロ。

 

そんな彼もキリストの弟子として歩んでいた頃は、熱し易くて冷め易い、人間的には共感する部分が多々あって、とても親しみを覚える存在だった。今回は、そんなペテロの召命の箇所からのお裾分け♡

 

ルカ5:1ー群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき…この群衆の雰囲気はすごいですよね?!

まさに『みことばに飢え乾いている』といった感じがします。

私たちもみことばに対して、この時の群衆のような『飢え渇き』を感じているでしょうか?みことばの適用以前に『みことばの持つ本来の意味を知る』ということに、飢え渇きを感じるべきなんですよ!

 

ゲネサレ湖…ガリラヤ湖のことーマタイ4:17。

他にも『キレネテ湖』民数記34:11、申命記3:17、ヨシュア記12:3、13:27『テベリヤ湖』ヨハネ6:1とも呼ばれています。

 

ルカ5:2ー群衆を前にしてイエスは、湖の岸べに小舟がニそうあり、その近くで漁師たちが網を洗っているのをご覧になりました。

みことばに飢え乾く群衆と、みことばに無関心の漁師たちの対比にクリスチャンとこの世の人々との違いを見るようです。

 

ルカ5:3ーシモン…ペテロの本名。『ペテロ』はイエスが名づけた。ールカ6:14。

そのうちの一つのシモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれました。

 

イエスはすわって…当時は、教える人がすわり、聴衆が立っていたそうです。

群衆はイエスに押し迫るようにしていたので、身の安全を考えてのことだったのかもしれません。イエスはシモン(ペテロ)の舟に乗り、少し漕ぎ出したところですわって教え、群衆は湖の岸べで立って聞いていました。

 

この間、シモン(ペテロ)はどうしていたのでしょう?

5節を見ると『夜通し働いていた』とあるので、きっとくたくたに疲れていたことでしょう。イエスの教えには、興味を示すこともなく、黙々と網を洗っていたのですから(退屈だな〜。疲れてんだから、早く終わってくれないかな〜。)と思っていたかもしれません。なのに、イエス様ったら、そんな彼に…

 

ルカ5:4ー「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」だなんて!!

 

ルカ5:5ーこのとき、シモンはどんな思いだったでしょう?

 

先生…ギリシャ語:エピスタテース。権威ある監督者。

敬意は表わしているもののシモンの気持ちとしては、「俺たちはプロの漁師として、夜通し働いてきたんだ。魚ってのは、夜〜早朝の暗いうちに獲れるもんだ。だが昨夜は何一つとれなかったんだ。(こんな明るくなって、今さら行ったって、とれるとは思わないけどな。やっと網を洗ったのに、またおろすのか…やれやれだな。でもお偉い先生が言われるんだ。ものは試しで)そう言うんなら、網をおろしてみますか。」って感じだったんじゃないかな〜と思うのです。

 

ルカ5:6ー自分ではやりたくない事も、主が『やりなさい』と言われていると感じる時、従うと祝福がくるんですよね〜。

 

ヤコブ1:22ーまた、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。

 

まことに、アーメンです…。

シモンのおろした網は、たくさんの魚で破れそうになりました。

まさに、舟を貸してくれたシモンに対する主からの報いですね。

 

ルカ5:7ープロの漁師としてのプライドは、この時 崩れ去ったでしょうね。網が破れそうになっただけでなく、助けに来てくれた仲間の舟ともに沈みそうになったわけですから…。

 

ルカ5:8ーこの出来事を通して、シモンのうちに変化が起こりました。『先生』と呼んでいたのが『主よ』に変わり、この時から著者ルカはシモンのことを『シモン・ペテロ』と記しています。

 

主…『先生』以上の権威を表わす。

 

なぜシモン・ペテロは「私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言ったのでしょう?

 

ルカ5:9ープロの漁師としての『常識』とは、かけ離れた出来事だったんですよね。彼らの『常識』では、この時間の大漁はあり得ないことだったんですから…!! そりゃ、ビックリしたでしょう。

 

ルカ5:10ーこの時の仲間が、後にイエスの弟子となるゼベタイの子ヤコブやヨハネでした。彼らも同様に驚きました。

 

イエスはここでシモンを召命しています。

「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」と。

 

ブラピ主演のハリウッドの映画 “Son of God” は、ここで聖書にはない『一緒に世界を変えよう。』という台詞を付け加えています。

みことばで確認することは、とても大事なことなのです。

使徒17:11bー非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

 

ルカ5:11ー彼ら…シモン・ペテロ、ゼベタイの子ヤコブとヨハネ

舟を陸に着けると、何もかも捨てて…え〜!! 大漁の魚はどうしたの?と思ったのは、私だけかな…?

 

シモンたちにとっては、仕事であった『魚』のことよりも、イエスに従っていくことの方が大事に思えるようになった、ということですよね。優先順位の変化です!

 

*シモンは何をしたから『素晴しい経験』をしたのでしょう?

*イエスに従うには、何が必要なのでしょう?

 

ここにはあえて答えを書くことはしません。このブログを読まれた方が、自分で考え、御霊の導きにより、答えを見つけられますように。