王室の役人の子どもの癒しはガリラヤ伝道の時の出来事であり、最初のカナの婚礼で水をぶどう酒に変えるという奇蹟に続き、ガリラヤにおけるイエスの第二のしるし(奇蹟)です。
cf ヨハネ2:23ーイエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。
cf ヨハネ4:45ーそういうわけで、イエスがガリラヤに行かれたとき、ガリラヤ人はイエスを歓迎した。彼らも祭りに行っていたので、イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。
*そのためイエスの評判は、この地方一帯に広く知れ渡っていました。
ヨハネ4:46ーイエスは再び、最初の奇蹟を行なわれたガリラヤのカナに行かれました。(カナの婚礼 http://osusowake.hatenablog.com/entry/2014/05/01/072518)
王室の役人…『小さな領地の王』をあらわすこともあることから、相当高い地位にいたと思われる、ガリラヤ地方の王ヘロデ・アンテパスの宮廷に仕える高官。
病気…『病気にかかっている』という動詞で、長期間『病気にかかっている』状態をあらわします。
ヨハネ4:47ー息子(ヨハネ4:49では『子ども』)…乳児〜7歳くらいまでの子どもを指します。愛情を込めて言う時にも用いられる言葉。
これほど高い地位についている役人であるなら、自ら出向くことなくイエスを呼び出すこともできたでしょうに、なぜわざわざカペナウムからカナまで30kmも離れたイエスのところに来たのでしょう?
願った…『ずっと願い続ける』という継続形が使われています。
この役人(とその家族)の苦しみとは、どのようなものでしょう?
立派な身なりの役人が、ナザレの田舎出身の粗末な身なりのイエスに、息子の癒しを願い続ける姿に、何を感じますか?この役人の地位や財力は役に立つでしょうか?
ヨハネ4:48ーガリラヤ地方でのイエスの評判は、必ずしも良いものばかりではありませんでした。また多くの人々は、メシアとしてのイエスを求めるより、イエスが行なわれる奇蹟や不思議を見たいと思っていました。
cf マタイ13:54~56ーそれから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
この人は大工の子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
*ここから少なくとも四人の弟たちと、二人以上の妹たちがいたことが分かります。
cf ヨハネ4:44ーイエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」と証言しておられたからである。
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」…息子の癒しを求めて来た役人に対するイエスのこのことばについてどう思いますか?
イエスはこの役人に何を教えようとしているのでしょう?
cf ルカ7:7ーですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。
ヨハネ4:49ーこの役人の応答は、イエスに何を求めていますか?イエスをどのようなお方として求めているでしょうか?周りの人々との違いは何でしょう?
あなたにとってのイエス・キリストとはどのようなお方でしょうか?不思議なことをしたり、しるしを見せてくれたり、議論の対象ですか?それとも霊肉ともに『生きるか?死ぬか?』に関わるお方でしょうか?
ヨハネ4:50ーイエスは役人の求めにどう答えられていますか?
マルコ5章の会堂管理者ヤイロの娘の癒しのときには、イエスは娘は亡くなったという知らせが来た後であっても、直接家まで来て蘇生させてくださいました。
しかしここでは、おことばだけでした。それは何故でしょう?
「直っています」…このことばが言われている時点で、それが起こりつつあるという現在進行形をあらわしています。
このことばを戴くまでの役人は『なんとしても直接イエスに来てもらわなければ、子どもは直らない。』という考えでしたが、この時点でどのような信仰へと導かれる必要がありましたか?
役人はどのように反応しましたか?息子の癒しに対する保証は何だったのでしょうか?
このことから、『イエスを信じる』『神のみわざを見る』と願うときには、何をする必要がありますか?
ヨハネ4:51ー役人がイエスのことばに従い、カナからカペナウムに帰る途中で、しもべたちに会いました。そこで嬉しい知らせを聞きました。
ヨハネ4:52ーなぜ役人は、息子がよくなった時刻をしもべにきいたのでしょう?
ヨハネ4:53ーその結果、彼と彼の家族は何をどう信じたのでしょうか?
ヨハネ4:54ー『第二のしるし』とありますが、何の『しるし』だと思いますか?
あなたはイエスの何を信じていますか?
*イエスを信じる…つまり、イエスを神のことばとして信じるということです。
cf ヨハネ1:1ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
cf ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。