『タラントの譬え』の次は、やはり『ミナの譬え』…ですよね〜。
「タラントの話とミナの話って似てるけど、違うんだってよ〜。」
私「へぇ〜!どういう風に違うの?」
「…よく分かんない。」
「タラントの譬えは “賜物” についてだけど、 “ミナの譬え” ってどうも牧師のことらしいよ。」
私「あら、そうなの!? で、どういう風に “牧師” に当てはまるの?」
「・・・」
今まで『ミナの譬え』を分かり易く説明されたり、メッセージで聞いたことはほとんどありませんでした。でもヘブル的視点で学んだ時、初めて『へぇ〜!そういう意味だったのかぁ!! 』と納得❗️
どこまで伝えられるかはわかりませんが、頑張ってお裾分けしてみたいと思います。
ルカ19章の『ミナの譬え』は、公生涯最後の一週間となる『エルサレム入城』直前に話された内容です。
既に、ユダヤ人たちはメシアのわざを悪霊のかしら『ベルゼブルの力によるもの』(つまり、サタンのわざ)として、イエスのメシア性を拒否していましたから、イエスは直接的に教えることを止め、間接的に『譬え話』で教えられるようになっていました。
ベルゼブル論争 〜マタイ12:22~28〜 - サザエのお裾分け
しかし、イエスが話される譬えには『真理』が隠されています。
そしてその『真理』を求める者には、必ず聖霊の助けにより理解できるようになるのです。
ルカ19:12ーそれで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
*身分の高い人…ここでは、もちろんイエス様のこと。
*遠い国…イエスは復活後、オリーブ山から天へ帰られました。
*王位を受けて帰る…再臨のイエスは『千年王国の王の王』として来られます。
この譬えを話された当時、『身分の高い人』という言葉の背後には、イエスの誕生時王だった『ヘロデ大王』とその息子の一人で当時のユダヤの王『アケラオ』のことを、人々は容易に連想しました。それは、エドム人である彼らが『王』になるには、ローマ政府によって認定される必要があり、二人ともそのためにユダヤを離れ、ローマに行ったことがあったからです。
ルカ19:13ー彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
*十人のしもべたち…キリストの弟子たち。
*十ミナ…十人に十ミナですから、単純に一人『一ミナ』ずつ与えたということ。
『一ミナ』は『百デナリ』。一デナリは、労働者の一日分の給料ですから、約三ヶ月分の給料相当。ボーナスより多い額かもしれませんね…。
『タラント』は、それぞれの能力に応じて与えられていました。ですから『ミナ』とは違います。では、しもべたちである『信者』全員に等しく与えられている『ミナ』とは何でしょう?
『ミナ』とは、キリストの福音信仰のことです。『一ミナ』は『百デナリ』以上の価値のあるものです。キリストの福音は、私たち罪人に永遠のいのちを与え、神の国に住む特権を与えるものなのですから。
*私が帰るまで…イエスの昇天〜(空中)再臨(携挙)までの間。
*商売しなさい…一ミナを元手に商売をして『儲け』を出しなさい。
ルカ19:14ーしかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。
*国民たち…『弟子たち』ではない人。一般人。 イエスが『王』となることに反対する不信者。
当時、非常に残忍な王で有名だった『ヘロデ大王』、父親譲りの残忍さを持つ『アケラオ』が王となることに反対表明した人々は、少なくありませんでした。しかし、彼らが王になってローマから戻って来ると、ヘロデ大王もアケラオも反対者たちを片っ端から殺してしまいました。
ルカ19:15ーさて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
*王位を受けて帰って来た時…イエスが天から帰って来た時、つまり『空中再臨』の時。留守の間とは、『教会時代』の現在のことです!
*どんな商売をしたか…どのような御国のための働きをしたのか。
*彼ら…一ミナずつ分け与えた『弟子たち』。
*呼び出す…携挙。
現代のクリスチャンへ 〜決算報告書を準備せよ〜 - サザエのお裾分け
ルカ19:16ーさて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
*十ミナをもうけました…預かった御国の責任を忠実に果たし、十ミナまで増やしたしもべ。 つまり、多くの人々にキリストの福音を語り、信者を増やしたという意味。
ルカ19:17ー主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
*小さな事…この世のこと。
*十の町を支配…神の国『千年王国』において『十の町』の支配を任されること。
ルカ19:18ー二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
*五ミナをもうけました…できる限りのことをした結果、儲けは五ミナだったのでしょう。
できることをする 〜ヨハネ12:1~11〜 - サザエのお裾分け
ルカ19:19ー主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
*五つの町を治めなさい…しもべの働きに応じた報いが与えられるのです。
九〜六ミナ儲けた者、四〜二ミナ儲けた者もいたと思います。彼らもそれぞれ、九つ〜六つの町、四つ〜二つの町を任されることになったことでしょう。
ルカ19:20ーもうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
*ふろしき…英語では『ハンカチーフ』。汗を拭う布。
最後の十番目に決算報告をしに来た『しもべ』は、何もせず『一ミナ』を布の包んでしまっておいたのです。タラントの譬えで『穴を掘って一タラントを隠しておいた人』のことを思い出しますが、ミナの譬えでの『もうひとり』は『しもべ』です。つまり、『キリストの弟子』『信者』ですから、意味は大きく違います!
ルカ19:21ーあなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
*計算の細かい、厳しい方。恐ろしい存在…これが十番目のしもべ(弟子)が持っていた主人(キリスト)像でした。
ルカ19:22ー主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
*私はあなたのことばによって、あなたをさばこう…自分がどのようにイエスを信じているかが、将来『決算報告』の評価の基準となることがわかります。
ルカ19:23ーだったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
ここで思い出されるのが、これです。
不正な管理人のたとえ 〜ルカ16:1~13〜 - サザエのお裾分け
ルカ19:24ーそして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
*そばに立っていた者たち…既に決算報告を済ませた者たちでしょう。
このしもべ(信者)は、キリストという『信仰の土台』を正しく据えていました。しかし、その上に『信仰の歩み』として建てた家の素材が『木・草・わら』という、火で真価を試された時、燃え尽きてしまうものだったのです。
1コリント3:12~13ーもし、だれかがこの土台の上に、金・銀・宝石・木・草・わらなどで建てるなら、
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
ルカ19:25ーすると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。
肉的な思いでは、既にたくさん持っている人にさらに与えるのは不公平な気がしますが、報酬の分配を決めるのは『主人』にあるのです。
後の者が先になり、先の者が後になる 〜マタイ20:1~16〜 - サザエのお裾分け
ルカ19:26ー彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。
この十番目のしもべは、預かっていた『一ミナ』を取り上げられただけであり、それ以上『罰』は受けていないことに注目してください!
なぜでしょう?
この『しもべ』は、キリストを信じる『信者・弟子』だったからです。つまり、一度キリストを信じた者が『救い』を失うことはないということです。
1コリント3:15ーもしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
ルカ19:27ーただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」
*私が王になるのを望まなかったこの敵ども…『国民たち』=不信者たち。
ヘロデ大王もアケラオも、自分が王になることを望まなかった反対者たちを殺してしまいました。地上再臨されたキリストは、ヨシャパテの谷でその時生きている不信者たちを裁きます。
イエスの初臨時に、御国(千年王国)の王となられることを望まなかったイエスのメシア性を拒否した世代のAD70年のエルサレム崩壊を予見しています。
ルカ19:28ーこれらのことを話して後、イエスは、さらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
この譬えをもってご自分の昇天後、弟子たちがどのように働くべきであるかを教えられたのです。その決算は、花婿として迎えに来られた(携挙)直後の『キリストの裁きの座』で行なわれます。それは今日かもしれないし、明日かもしれない…いつ起こってもおかしくない時期にきているのです。
みことばに留まって御国のために働き、堂々と決算報告を上げられるしもべでありますようにー祈ー。