マタイ13章は『天の御国』についての譬え話が語られています。
マタイはユダヤ人であり、ユダヤ人に向けて福音書を書いているため『神の御国』という言い方はしていません。しかし、意味としては同じであり、『神(キリスト)の王国/千年王国』について教えています。
聖書にある『神の国』とは、全部で五種類あります。
⑴ 永遠の王国…普遍的王国。神が支配権をお持ちの被造物世界。
⑵ 霊的な王国…私たちの心に神様の支配を受け入れていく時に、聖霊により、信仰によってキリストに従っていく王国。
アダムから始まり、教会の誕生と携挙、人類の歴史の終わりを経て永遠へと続く王国。
⑶ 神政政治の王国…神の選びの民であるイスラエルにおいて、モーセからゼデキヤまでの時代。
⑷ 奥義としての王国…ユダヤ人のメシア拒否から、ユダヤ人のレムナントによるメシア受容まで。
マタイ13:11ーイエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
⑸ メシア的王国/千年王国…キリストの地上再臨からサタンによる最後の反論まで。
マタイの福音書13章で取り扱っているのは、『奥義としての王国』です。
マタイ13:44ー天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
*畑に隠された宝… 神の民、イスラエルのこと。
出エジプト記19:5ーいま、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
申命記14:2ーあなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
詩篇135:4ーまことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、
イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。
キリストの初臨時は、イスラエルの人々はパリサイ人などの宗教指導者による誤った教えーベルゼブル論争ーによってなかなか救われない時代でした。
しかし、その時代にあっても、イエスのメシア性を認め、信じて救われるイスラエル人がいるということ。
*持ち物全部を売り払ってその畑を買います…ご自分のすべてを投げ出して、ユダヤ人たちを買い戻すメシアを象徴しています。
マタイ13:45ーまた、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
真珠が採れる『海』は、聖書預言では異邦人世界を象徴することば。
ダニエル書7:2~3ーダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、
四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
異邦人の中から『反キリスト』が現れることを預言している聖句。
黙示録17:1ーまた、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。
地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。
マタイ14:46ーすばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
つまり、『奥義としての王国』の時代は、ユダヤ人だけでなく、海から真珠が採れるように異邦人の中からも救われる人が起こされる時代だということ。
*行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます…神の宝の民であるユダヤ人たちだけでなく、ご自分を信じる異邦人たちのためにも、ずべてを投げ出して買い戻してくださるキリストの姿を象徴しています。
私たちに対し「伝道のためにすべてを投げ打ってせよ!」ということを命じているのではなく、ユダヤ人たちのためにすべてを投げ打って、畑(イスラエル)ごと買い戻してくださるイエス様であり、私たち異邦人のためにもすべてを投げ打って、買い戻してくださるイエス様のことをたとえているのです。
マタイ14:47ーまた、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
これらの譬えはすべてガリラヤ湖畔で語られました。
*地引き網…ガリラヤ湖での漁の仕方。地元直結型の教えですね。^ ^;
網を引き上げると、食するのに適した魚とそうでない魚とを選り分けたように、千年王国の前には、御国に入れる神の民と入れない人とが選り分けられます。
これがメシア的王国/千年王国の準備となる『羊と山羊の裁き』です。
マタイ14:48ー網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
その作業は、エルサレムのヨシャパテの谷で行われます。