サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

ヤコブの手紙 1:2~8 〜試練に打ち勝つ秘訣〜

ギリシャ語の『peirasmosー罪への誘惑ー』には二つの定義があります。

①外側から来る試練…信仰の強さと質を明らかにするため、神によって用いられる。

②内側から来る誘惑…信仰の聖化ではなく、誘惑する者を明らかにするため。

この両方の意味で、ヤコブはこの単語を用いてこの書簡を記しています。

 

ヤコブ1:2~12では、“peirasmos” というギリシャ語の単語を肯定的に用いて、①外側から来る試練について記されています。

 

ヤコブ1:2ー私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

*試練に会う…『会う』とは、『落ちていく』という意味のギリシャ語ですが、『罪に陥る』のではなく、予期しない、また避けることのできない状況に人が『会う』という意味。

ルカ10:30でエリコに下る道で強盗に襲われた人や、使徒27:41船が座礁したように、避けられない状況に陥ることをルカは言っているのであって、罪に陥ることを言っているのではありません。

 

*喜びと思いなさいギリシャ語では、『最高の喜び』『完全な喜び』『純粋な喜び』『多くの喜び』『主にあっての喜び』という意味。

新約聖書中の『喜び』という言葉は、すべて強調される位置にあるので、その点に注意して理解する必要があります。

外側から来る試練に打ち勝つ秘訣は、『喜び』にあると言えるでしょう。 主イエスも次のように教えられました。

マタイ5:11~12ーわたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

 

 

ヤコブ1:3ー信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

*知っている…『知る』という二つのギリシャ語のうち、ここでは『経験によって知る』という意味。

つまり、『経験によって外から来る試練は信仰の純粋性をテストし、証明するということを知っている』ということ。

 

苦しみは、信仰が聖化されるテスト段階だということ。

試練は、信仰の忍耐ではなく、むしろ既にある信仰の強化だということ。

試練を通してもたらされる信仰は、救いへと導く信仰だということ。

 

外側から来る試練の中で、それを『喜び』とみなす理由は、信仰が試される中でポジティブな態度をとることにより忍耐を生じさせるからです。

 

ローマ5:3~5ーそればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 

 

ヤコブ1:4ーその忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

 

著者ヤコブは、ここで『その忍耐を完全に働かせなさい』命じています。

 

完全に働かせた結果には、二つの意味があります。

①何一つ欠けたところのない者となる…罪のない者となるというのではなく、『霊的に成熟した者となる』という意味。

②成長を遂げた完全な者となる『完全に完成された者となる』という意味。

 

これら二つの内容の結果として

*何一つ欠けのない…この節で挙げられた二つの特徴以外他には何もない、ということ。

試練と忍耐の関係において、正しい姿勢で試練に臨むなら、忍耐を生み出す結果となります。

 

 

ヤコブ1:5ーあなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

次に、ヤコブは『試練と知恵の関係』について記しています。

『神の知恵』は、試練を乗り越えるのに必要です。

 

ヘブル書の著者は『おりにかなった助け』の大切さを強調しています。

ヘブル4:16ーですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵の御座に近づこうではありませんか。

 

試練に対する『おりにかなった具体的な助け』として、ヤコブは『知恵』をあげ、信者が必要に応じて知恵を求めるように励ましているのです。

日本語では、さらっと読めてしまう一文ですが、ギリシャ語本文では緊急事態であり、『試練の中にいる信者は、知恵を求めなさい!』と命じられています。

 

*お与えになる神ギリシャ語では『与え続ける神』『継続的に与えられる神』『知恵を与えるのが好きな神』という意味。

 

知恵に対するユダヤ人の概念は、日常生活における『義の実践』でした。

知恵に欠けているならば、神に願わなくてはならないのです。

マタイ7:7ー求めなさい。そうすれば与えられます。*求め続けなさい、の意。

捜しなさい。そうすれば見つかります。*捜し続けなさい、の意。

たたきなさい。そうすれば開かれます。*たたき続けなさい、の意。

 

*だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神このような祈りに答えてくださるかもしれないし、答えてくださらないかもしれないというような約束ではなく、神は必ず答えてくださると約束されたのです。

神が『知恵を与える』と約束されたのですから、信者は『求め続け』なくてはなりません。

『与える』ということは、聖書の神の特徴の一つです。上よりの知恵は、求め続ける者に対し惜しみなく与えられるものであり、祈り求める者に恥をかかすような応答はなさいません。

 

神に知恵を求めることは、神に対する絶対的な『畏怖の念』を持つようになります。

①試練を乗り越えるために、知恵を祈り求めるべきである。

②試練を乗り越えた時には、試練を通して得た知恵をどう用いるのか、さらに神に祈り求めるべきである。

 

 

ヤコブ1:6ーただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

6~8節でヤコブは、注意と警告を発しています。

試練に耐え抜くために知恵を求めるなら、少しも疑わずに信じて願うようにしなくてなりません。 

信仰とは『神が必ず意志を持って答えてくださる』と信じることであり、何も疑わずに祈り求め続ける態度です。

 

*疑い…『信仰』の反対であり、『内側のためらい』を意味する言葉。

 

*風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようギリシャ語では『波が次々と押し寄せ、風が舞う』という意味の言葉が使われています。

*揺れる…『風によって左右に、横に揺れる』という意味。

*動く…『風によって上下に、縦に動く』という意味。

『揺れ動く』とは、縦横、前後左右の不安定を意味します。

 

外側から来る試練の影響力に対し、内側の意志と信仰による安定性を持っていないと、不安定に心が揺れ動く原因となります。

そのような人は、次の7節の事実を目の当たりにすることになります。

 

ヤコブ1:7ーそういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

*何か…何かの知恵を神からいただけると思ってはならない。

 

 

ヤコブ1:8ーそういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。

疑いを抱く人について、ヤコブは二つのことを挙げています。

①二心のある人ギリシャ語では『二つのたましい』の意。

疑う人は、一つは『神に仕え』、もう一つは『世に仕える』という二つのたましい、二つの心を持つ人のようです。一方で神を信じますが、他方で神を信じていない状態です。

 

②歩む道のすべてに安定を欠いた人…日常生活のすべての分野で『不安定な状態』が習慣となっている人。日常生活も霊的生活もすべての面で安定さに欠け、祈りも不安なものとなっている人。

 

キリストの十字架の贖いを信じ、神の子どもとされる特権を与えられた以上、御父を信頼し、御霊の助けを得ながら、主なるキリスト・イエスに従う信仰の歩みを続けられますように。