興味はあるものの、なかなか学ぶ機会の少ない黙示録のお裾分けに挑戦!
どのような立場で解釈するかにより、着地点が大きく変わるのも事実です。このまとめは、私なりにみことばをみことばで確認し、聖書全体と調和がとれると納得したヘブル的視点からの解釈です。学びの参考になれば幸いです。
新約聖書の中で唯一、これから起こることの預言が書かれています。黙示録は、旧約聖書のあちこちに預言者たちによって語られた終末時代に関する預言を時系列にまとめたものです。彼らに与えられた啓示を、ヨハネが奥義として明らかにしたものです。
黙示録に出て来る「イスラエル」という言葉を「霊的イスラエル=新約時代のクリスチャン」と理解するのか、文字通り「イスラエル=ユダヤ人(アブラハムーイサクーヤコブの子孫)」と理解するのかで、全体的な理解、着地点が大きく変わってきます。
*患難時代と千年王国の間には、75日間の移行期があります。ダニエル12:11~12
黙示録1:1ーイエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
*イエス・キリストの黙示…邦訳聖書のタイトルは『ヨハネの黙示録』だけど💦
*すぐに起こるはずの事…初代教会時代の使徒たちをはじめとする聖徒たちは、キリストの空中再臨(携挙)、その後に来る七年間の患難時代はいつでも起こり得ると思っていました。
神の時が来たら、これら一連の事はすぐに成就します。
自分の感覚での『すぐに』ではありません。
黙示録が与えられた経路は
①神がキリストに与え、
②キリストが御使いを遣わし、
④ヨハネが書き記したものを、日本語に翻訳された聖書によって、私たちに届けられました。
黙示録1:2ーヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。
高等批評支持派は、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録の著者は別人だと言いますが、私は同一人物だという立場です。
ヨハネの手紙でヨハネ自身を『長老』と記していますが、1ペテロ5:1で使徒ペテロも自身を『長老』と記しています。長老とは、教会の指導者のことを指す言葉なので、使徒たちが自身のことをそう呼んでも不思議ではありません。
1ペテロ5:1ーそこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現れる栄光にあずかる者として、お勧めします。
*彼の見たすべての事をあかしした…『彼』とは、使徒ヨハネのこと。
若い頃のヨハネはアンデレと共にバプテスマのヨハネの弟子でした。師であるバプテスマのヨハネに「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」として示されたイエス様に、アンデレと共に弟子入りしました。ヨハネ1:35~39
ヨハネは、キリストの公生涯の初めから復活までずっと傍で見てきた証人(十二使徒)の一人です。
黙示録1:3ーこの預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
*この預言のことば…聖書は黙示録のことを『預言のことば』だと記しています。
黙示録22:10ーまた、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。
*朗読する者…単数
通常、ひとりが朗読し、
*聞く者…複数
複数人で聞き、
*そこに書かれていることを心に留める者…複数
さらに、その内の幾人かは黙示録の預言を心に留めます。
黙示録の預言を『朗読する者』も、『聞く者たち』も、『心に留める者たち』も、幸いだと聖書は記しています。
が、もし教会の指導者が「黙示録は黙示文学であり、いろいろな解釈があるから」という理由で、黙示録を敬遠しているなら、その指導者は信徒たちから幸いを取り去ることになります。
現在は黙示録が書かれた時よりももっと『時が近づいています』。
封印せずに、黙示録の預言を学びましょう📖
黙示録1:4ーヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
*アジアにある七つの教会…黙示録2〜3章に記された教会
①1世紀の教会の代表であり(コリントやコロサイなど、教会は他にもありました)、
②各教会の特徴を記した地域教会の型でもあり、
③ペンテコステ〜携挙までの教会時代の流れを、預言的に記したものです。
*今いまし、昔いまし、後に来られる方…パッと読むと、主イエスのことかと思ってしまいますが、ここでは『御父』のこと。
詩篇68:4ー神に向かって歌い、御名をほめ歌え。
雲に乗って来られる方のために道を備えよ。
その御名は、【主】。
その御前で、こおどりして喜べ。
*【主】…YHWH(御父)
*七つの御霊…①主の霊、②知恵の霊、③悟りの霊、④はかりごとの霊、⑤能力の霊、⑥主を知る知識の霊、⑦主を恐れる霊。
イザヤ11:2ーその上に、主の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
黙示録1:5ーまた、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
前節から【主】= 御父、七つの御霊、ここでは御子と三位一体の神が記されています。
*忠実な証人…御子は御父から聞いたことを話されました。
ヨハネ3:12~13ーあなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
ヨハネ15:15ーわたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
*死者の中から最初によみがえられた…キリストは復活の初穂として、初穂の祭りの日によみがえられました。
1コリント15:20ーしかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
*地上の王たちの支配者…再臨のキリストは、王の王として千年王国を治められます。
*恵みと平安…ともに、神から与えられるもの。
ヨハネ14:27ーわたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
*罪から解き放ち…私たちを罪の奴隷から義の奴隷にするため
ローマ6:6ー私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
ローマ6:18ー罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
黙示録1:6ーまた、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。
*私たちを王国とし…御国(千年王国)の民とし、の意。
*祭司…モーセの律法ではレビ族からのみ。(大祭司は、レビ族のアロンの家系の世襲)
千年王国では、異邦人の中からも祭司となる者がでます(御国の律法)。
イザヤ66:18ー「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
イザヤ66:21ーわたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする」と主は仰せられる。
*彼ら(異邦人)の中からある者を選んで祭司とし…❌万民祭司論
祭司として任命されるのは、携挙直後のキリストの御国の裁きにおいてです。
黙示録1:7ー見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
*彼…地上再臨のイエス・キリスト
*すべての目〜彼を見る…詩篇68:4では【主】=御父が雲に乗って来ると預言されていますが、ここでは御子イエスが裁き主として地上再臨されることを預言しています。その理由は⤵️
ヨハネ10:30ーわたしと父とは一つです。
マタイ12:22~のベルゼブル論争により民族的にメシア拒否をしたユダヤ人たちが、民族的回心をした結果キリストの地上再臨が起こります。そのイスラエルのレムナントたちが地上再臨のキリスト・イエスを肉体の目で目撃するということです。
その一方で
*地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く…『地上の諸族』とは、患難時代を生き延びた異邦人たちです。その異邦人たちが『彼のゆえに嘆く』理由は、キリストの福音を聞きながら信じなかったからです。
つまり、地上再臨の直後、ヨシャパテの谷(ケデロンの谷)で行われる『羊とやぎの裁き』でやぎ組となり、滅ぼされる異邦人の不信者たちです。
マタイ25:31~46
黙示録1:8ー神である主、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
*神である主…第二位格の御子イエス・キリスト
*今いまし…第三の天にあるまことの聖所で、大祭司として神の右の座に座し、とりなしておられます。と同時に地上にいる私たち信者のうちに内住されています。
ヨハネ14:23ーイエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。【新共同訳】
*昔いまし…神のことばである御子は永遠の初めから存在されます。
ヨハネ1:1ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
そして、受肉され、私たち人間の間に住まわれました。
ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
*後に来られる…七年間の患難時代の終わりに、イスラエルが民族的回心をすると、キリストは復活の栄光のからだで再び地上再臨されます。
使徒1:11ーそして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
マタイ24:30ーそのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
黙示録22:20ーこれらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
*アルファであり、オメガである…ギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字。
『初めであり、終わりである』『最初であり、最後である』と同じ意味。永遠の存在。
黙示録1:9ー私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
*ヨハネ…十二使徒のひとり 一番最初に殉教した使徒ヤコブの弟。
*イエスにある苦難…キリスト・イエスを信じる信仰によって迫害を受けることは、主が予め預言しておられます。
ヨハネ15:18~21ーもし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。
しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。
*神のことばとイエスのあかしとのゆえ…使徒ヨハネが迫害により、パトモス島に流刑された理由。
患難時代前半は、同じ理由で殉教することになります。
黙示録20:4ーまた私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
黙示録1:10ー私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
*主の日…原文では「主の」は形容詞。
Lordian Day…『主の日』は旧約聖書では、すべて神のさばきである『患難時代』を指します。
イザヤ13:6ー泣きわめけ。【主】の日は近い。
全能者から破壊が来る。
イザヤ13:9ー見よ。【主】の日が来る。残酷な日だ。
憤りと燃える怒りをもって、
地を荒れすたらせ、
罪人たちをそこから根絶やしにする。
訳者はそのことを考慮せずに『主の日』と訳したのではないかと思われます。
『主の栄光が満ちた特別な日』という意味です。
ちなみに聖書では「日曜日=週の初めの日」となっていますので、
日曜礼拝のことを「主の日の礼拝」と呼ぶのは、意味が違いますよね💦
つまり、ここは、ヨハネは主の栄光が満ちた特別な日に、御霊に感じ、うしろにラッパの音のような大きな声を聞いたと言っているのです。
黙示録1:11ーその声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」
ヨハネは二つの命令を受けました。
1)あなたの見ることを巻物に書き記せ。
2)巻物に書き記した物を七つの教会に送りなさい。
*七つの教会…『七』は完全数
初代教会時代(使徒たちが生きている時代)に実存した教会の代表。
他にもコリントやガラテヤ、コロサイ、ピリピなどの教会がありました。
また、これら七つの教会はペンテコステ〜携挙までの間に建つ地域教会の『タイプ』としての意味もあります。
自分が属する教会がどの教会に似ているのか、その教会は何を賞賛され、何を叱責され、何を矯正されているのかなどを参考にすることも可能です。
さらに、黙示録は預言書であるという観点から言えることは、教会時代の歴史的特徴でもあります。
①エペソの教会…使徒たちが生きていた初代教会時代
②スミルナの教会…迫害の時代
③ペルガモの教会…国家教会時代
④テアテラの教会…暗黒時代
⑤サルデスの教会…宗教改革の時代
⑥フィラデルフィア…大宣教時代
⑦ラオデキヤ…人間中心の背教の時代
現在は七番目の『背教の時代』にあたります。
そして、キリストの空中再臨(携挙)により、御霊の内住の時代である教会時代は終わります。キリストの空中再臨が現実に近いことがわかりますよね。
黙示録1:12ーそこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
*七つの金の燭台…七つの教会
黙示録で象徴的な言葉が出てきた場合、
①同じ黙示録の中でその言葉の説明があるかを探す、
②黙示録にない場合、聖書の他の箇所で説明があるかを探す、
③どこにもない場合のみ、象徴的な言葉として解釈することが鉄則です。
黙示録1:20ーわたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。
黙示録1:13ーそれらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
*燭台…黙示録1:20から『教会』であることがわかります。なので『燭台の真ん中』とは、『教会の真ん中』にたっておられるということ。
*人の子のような方…初臨時のイエス様もご自身のことを『人の子』と呼んでおられました。
ヨハネ3:13ーだれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
第二位格の神の御子が受肉されたことに強調点があります。
ここでは『人の子のような方』とあり、復活の栄光のからだの主をあらわしています。
黙示録1:14ーの頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
*白い、白く…潔さをあらわします。
*燃える炎…罪に対するさばき、の意。
黙示録1:15ーその足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
*しんちゅう…黄銅
*大水の音…権威をあらわす。
黙示録1:16ーまた、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
*七つの星…黙示録1:20で『七人の御使い』だと解説があります。
聖書に『星』ということばが象徴的に用いられている場合、例外なく「御使い」を指します。
イザヤ14:12~14ー暁の子、明けの明星よ。
どうしてあなたは天から落ちたのか。
国々を打ち破った者よ。
どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。
『私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の王座を上げ、
北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、
いと高き方のようになろう。』
*明けの明星…堕落した最高位のケルブ、サタン😈
ラテン語:ルシファー
サタンの固有名詞ではありません。
👿の目的は、神のようになることです。
だから、すべてにおいて神の真似をします。
黙示録1:17ーそれで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、
*私…黙示録の著者ヨハネ
*この方…人の子のように見えるキリスト
キリストの自己啓示
①最初であり、最後であり、
黙示録1:18ー生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
②生きている者である…もしキリストがただの人だったとしたら、誰かひとりのために身代わりで死ぬことはできても、全人類のために身代わりとなることはできません。
もしキリストが神の子として来られたら、キリストに出会った人はみな死んでしまったでしょう。罪ある人間が神を見てなお生きていることは出来ないからです。
神の子としてだけで来られたら、身代わりになることはなかったでしょう。なぜなら、神は死ぬことはないからです。
だからキリストは神なのに全人類の身代わりとして死ぬために、人として来られました。
ピリピ2:6~8ーキリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
黙示録1:19ーそこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。
黙示録のテーマは、キリストの地上再臨です。黙示録1:7
それまでの間にどのようなことが起こるのか?
地上再臨後は?
千年王国の後は?
これらのことを記しているのが、ヨハネの黙示録です。
19節は、ヨハネに対するキリストの命令です。
「書き記す」内容は
①あなた(ヨハネ)が見たこと…黙示録1章の内容
②今あること…ヨハネが生きていた初代教会時代に実在した地域教会…黙示録2~3章の内容
③この後に起こること…教会時代の後に来る患難時代〜完成された天の都エルサレムまでを記した黙示録4~22章の内容
新約聖書のクライマックスは、黙示録21~22章に記された『永遠の都エルサレム(完成された天の御国)』です。
新約聖書での『新天新地』は、この永遠の都エルサレムを指します。
⚠️要注意⚠️
「永遠の都エルサレムが、地上に降りて来る」と説く人がいますが、現在の地球や天体は無くなっていると聖書は記しています。
黙示録21:1ーまた私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
黙示録1:20ーわたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。
ここでキリストは、12節の『燭台』と16節の『星』という象徴的なことばの意味を解説をされています。
*七つの星…七つの教会の御使いたちのこと
*七つの燭台…七つの教会のこと
*教会…二種類あります。
①地域教会…建物等、目に見える教会で、信者も未信者も、求道者も時には反対者もいます。
イエス様は地域教会を『畑と種』に譬えて、教会の裁きについて語られました。
マタイ13:24~30
なので、地域教会に問題があっても不思議ではありません。
②普遍的教会…建物ではなく、目に見えない教会で、イエスを主と信じる信者の集まり。ペンテコステから主イエスの空中再臨(携挙)までの期間に救われた、御霊の内住のあるすべての信者を含みます。集合体としてキリストの花嫁となります。