創世記1:26ー神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
*われわれに似せて…被造物である『人間』と『動物』の違いは、『霊』があるか否かです。
動物は、創造のはじめから『種類別に』造られました。
創世記1:25ー神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。
創世記2:7ー神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
人間の存在は、
*霊…神との交わりをするところ。良心はここから発生します。
*たましい…自分の意思を決めるところ。自我。自己中心。
心…『霊』と『たましい』の領域。何かを決める時、自分の中で二つの異なる意見があるのはそのため。
*からだ…社会において、他者との関係を持つ部分。
神が最初の人 アダムを創造された時、土地のちりで『からだ』を造られ、『たましい』という自由意思を与えられ、その鼻から『いのちの息である霊(御霊)』を吹き込まれました。
それは人が、創造主である神との会話を楽しみ、神に感謝し、神の命令に喜んで従うという『愛の関係』の中で幸せに生きるためです。
しかし、エデンの園で神の命令に背き『善悪の知識の木の実』を食べた瞬間から、人は『神のように』振る舞うようになり、善悪の判断基準を創造主 (霊) から自分自身 (自己中心であるたましい) へと移ったのです。
こうして人は真の神から離れ、『罪ある者』となりました。
憐れみ深い神はそれでも人を愛し、人が再び神に立ち返ることができるようにと、神を求める思い、良心を残してくださっています。
マラキ2:15ー神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。
さらに、人が神との関係を回復することができるように、神との関係の中でどう生きるべきかの手本を示し、神の『赦し』を受け入れるようにと招くために、神のひとり子イエスを送ってくださいました。
ヨハネ3:16ー神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
*御子を信じる…新約時代の今は、イエス・キリストが、神を無視して自分自身が神のように生きている人間の罪の身代わりとして
①十字架で死に
②墓に葬られ (イエス自身には、罪がなかったことを意味する)
③聖書に従って、三日目によみがえってくださった
こと (福音) を『からだが生きている間に信じる』こと。
この福音を信じた者は、再び神の霊(御霊)が与えられ、最初の人アダムが造られたときと同じ状態に回復させられます。
それが『御霊の内住』であり、教会時代の信者の特徴です。
この御霊の内住のある信者だけが『キリストの花嫁』となる特権が与えられています。
1コリント11:2ーというのも、わたしは神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。わたしはあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
私たちはキリスト・イエスを信じ、受け入れた瞬間に御霊の内住を得ます。それだけでなく、御父も御子も内住してくださることが約束されています。
ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
ヘブル13:5ー金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
なんと力強いことでしょう!真の生ける神が、私たち信者といつも共にいてくださるのです。
信仰を持った後もこの地上生活においては、悩み、苦しみ、試練や悲しみはあります。しかし、そのような時に私たちは助けを祈り求める対象を持ち、みことばや人を通して実際に乗り越える力が与えられるのです。
キリストはこの世における試練に打ち勝つ力を与え、助け出してくださるだけでなく、やがて来る患難時代からも『携挙』によって救い出してくださる助け主であり、救い主です。
キリストの福音を信じた時、人はキリストの『婚約者』となります。地上で肉体が生きている間は、花嫁修行の期間でもあるのです。やがて天から花婿であるキリストのお迎えが来ます。これが『携挙』です。
ペンテコステで始まった『教会時代』は、この『携挙』をもって終わります。
携挙の恵みに与れるのは、携挙が起きた時に生きている御霊の内住のある教会時代のメシアニック・ジューとクリスチャンだけです。
『御霊の内住』のある信者は、復活の初穂であるキリストに続いて『栄光のからだ』を最初に与えられる人々です。
日本人の多くの人々は、「死んだら無になる」と言いながら、同時に善人のたましいは「天国に行く」と矛盾したことを信じていますが、聖書は死後の世界のことまではっきりと人間に知らせ、神とともに永遠に生きる道を選ぶようにと招いています。
教会時代は『恵みの時代』でもありますから、神の子とされ、御霊の内住により永遠のいのちが保証され、キリストの花嫁となること、忠実な信仰の歩みをした者には天の御国で報酬が与えられることが約束されています。
「携挙が起きたら信じるよ」と言う方がおられます。
確かに、『携挙』の恵みにもれ、レフトビハインドされたとしても、次に来る患難時代中期までは救いのチャンスはあります。しかし、時代は患難時代ですから、迫害により命がけの信仰が求められることになるのです。
黙示録2:10bー死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
聖書は、信者の復活だけでなく、最期まで神を拒み続けた不信者の復活もあると記しています。
『復活』の順序は、
①初穂としてのキリスト
②『携挙』の前に肉体の死を迎えた教会時代の信者ー1テサロニケ4:16
この時、地上で生きている信者が挙げられ、空中で栄光のからだに変えられる−1コリント15:52
③ 患難時代にエルサレムに立つ二人の証人ー黙示録11:3~12
④旧約時代の信者(主にユダヤ人)と患難時代の殉教者(主に異邦人)ーダニエル12:1~2, イザヤ26:19, 黙示録20:4~5
*ここまでの復活が千年王国開始前に起こり、『第一の復活』として千年王国に入れる『幸いな者、聖なる者』とされる人々ですー黙示録20:5
この他に、患難時代を肉体をもって生き延びた異邦人がいます。
彼らは地上再臨したキリストによる『羊と山羊の裁き』を受けるために、エルサレムのヨシャパテの谷に集められます。
迫害の時代の中で反キリストに従わず、666の刻印を受けず、親ユダヤ主義を貫いた人々=信者は『羊組』として、肉体を持ったまま千年王国に入ってきます。
彼らは千年王国で結婚もし、子どもを産み育てます。サタンは千年間、アビスに閉じ込められていますから、罪の誘惑をしてくることはありませんが、彼らの子どもたちは肉を持った人間であるがゆえに『原罪』を持っています。
私たち栄光のからだで千年王国に入る教会時代の信者たちは、この子どもたちがキリストの教えに従うように導くようになります。(それが御国における祭司としての役割)
それでも『原罪』のゆえにキリストを信じず、その教えに従わない者たちは100歳の時に肉体の死を迎えますーイザヤ65:20
一方、神の招きを拒み続け、時代に流され、反キリストの権力に従い、反ユダヤ主義を貫いた人々=不信者は『山羊組』として肉体の死を迎えます。 彼らのたましいは、『ハデス』に送られます。
黙示録20:15ーいのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
ローマ2:11ー神にはえこひいきなどはないからです。
とあるように、人間は死んでも『無』にはなりません。
肉体が生きている間に、神を信じる者も信じない生き方を選んだ者も、同じように『永遠に生きることのできる新しいからだ』に復活させてくださいます。
問題は、その新しいからだで、『永遠をどこで過ごすのか』なのです。
神からの和解を受け入れ、キリスト信じて、みことばに従って『今』を生き、千年王国〜永遠の御国で神と共に過ごすのか…
神を頑なに拒み続け、目先の利益を追求し、この世の快楽にのみ身を任せて自己中心に生きる責任を自ら負う生き方をして、『ハデス』という苦しみの場所〜永遠に燃える火の池で過ごすのか…
私たち先に神を知った者は、愛する家族や友人が後者になることを望みません。
このブログを読んでくださった方が、聖書の内容を知り、よく考えて、神の招きに応答してくださいますように、心から願っています。
どうか、神の愛の招きを受け入れてください。神はあなたにこう言われています。
イザヤ43:4aーわたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
ヘブル3:15ー「きょう、もし御声を聞くならば、
御怒りを引き起こしたときのように、
心をかたくなにしてはならない。」
と言われているからです。