最初にエルサレムに神殿を建てたいと思ったのは、イスラエルの二代目の王ダビデでした。
Ⅱ サムエル7:2ー王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」
しかし、ダビデ王は戦いの人であり、多くの敵の血を流したために、神の宮を建てることは許されませんでした。
Ⅱ 列王記5:2~3ーそこで、ソロモンはヒラムのもとに人をやって言わせた。
「あなたがご存じのように、私の父ダビデは、彼の回りからいつも戦いをいどまれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、彼の神、主の名のために宮を建てることができませんでした。
その代わり、ダビデには『ダビデ契約』が与えられました。
ダビデの願い『神殿建築』は、その息子ソロモンに与えられました。
1列王記5:5ー今、私は、私の神、主の名のために宮を建てようと思っています。主が私の父ダビデに『わたしが、あなたの代わりに、あなたの王座に着かせるあなたの子、彼が私の名のために宮を建てる。』と言われたとおりです。
神が約束どおりソロモンに知恵を与え、周囲の国々との間に平和が保たれ、ツロの王ヒラムの協力もあり、レバノンの杉の木やもみの木材を望むだけ手にに入れることもでき、またダビデが資材を準備していたこともあって、神殿建築に要した歳月はわずか7年でした。
1列王記6:38ー第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。
ソロモンの宮殿を建てるのに13年かかっていることを考えれば、いかに早く神殿が建てられたかがわかります。
1列王記7:1ーソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。
1列王記6章の神殿建築の記述をよく読むと、そこには『異邦人の庭』に関することは何一つ書かれてありません。
つまり、ソロモンの神殿(第一神殿)には、『異邦人の庭』は存在しなかったのです。
ソロモンの息子レハブァムがイスラエルの王であった時代に、北の十部族が謀反を起こしてヤロブアムを立て、国は『北イスラエル王国』と『南ユダ王国』に分裂しました。
1列王記12:20ー全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。
*ヤロブアムの罪は、1列王記12:28~33に記されています。この時からエルサレムの神殿の祭壇の代わりに『高き所』が造られました。
イスラエル王国が分裂した理由は、晩年のソロモン王の偶像礼拝の罪です。
1列王記11:1ーソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。
1列王記11:3~4ー彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
ソロモンが年をとったとき、その妻たちがかれの心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つになっていなかった。
真の神を捨て、偶像の神々を礼拝した結果、BC721年に北イスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされ、民はアッシリヤ捕囚として引いて行かれました。
南ユダ王国もまた偶像崇拝と土地の安息を守らなかった罪により、偶像崇拝の中心地であったバビロンに捕囚の民となりました。
ソロモンが建てた神殿は、BC586年第五の月、すなわちアブの月の九日に、バビロニア帝国のネブカデネザル王によって崩壊しました。
Ⅱ 列王記25:8~9ー第五の月の七日ーそれは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった。ーバビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、
主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、その主だった建物をことごとく火で焼いた。
*この時から(BC586年)エルサレムが異邦人によって支配される『異邦人の時』が始まったのです。
バビロニア帝国を倒したメド・ペルシャ連合帝国のペルシャの王クロスによって命令が出され、南ユダ王国の民は70年のバビロン捕囚から帰還し、第二神殿建築に取り掛かりました。
エズラ記1:2~4ー「ペルシャの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。
あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。
残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」
この時、第二神殿建築の総督を務めたのが、ゼルバベルでした。そのため、第二神殿は『ゼルバベルの神殿』とも呼ばれます。
エズラ記5:2ーそこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも彼らといっしょにいて、彼らを助けた。
第二神殿はBC515年の第十二の月、すなわちアダルの月の三日に完成しました。
エズラ記6章に、第二神殿建築の詳細が記されていますが、ここにも『異邦人の庭』については何も触れられていません。ユダヤ人がモーセ契約である旧約の律法に基づいて、神を礼拝するためのものですから、契約の外にいる異邦人には関係なかったのです。
しかし、イエス様の時代、主の宮には確かに『異邦人の庭』がありました。
誰が、いつ、何のために、『異邦人の庭』を造ったのでしょうか?
また、そこに至るまでには『ハヌカの祭り』の元となった『宮きよめ』がありました。
それは旧約聖書の終わり〜メシアの来臨までの約400年間の中間時代の出来事です。
ー続くー